2013.12.27掲載

【年末ご挨拶】

まもなく、2013年も終わろうとしています。時代・経済・嗜好その他、多くの原因で演劇界は厳しい「冬の時代」とも言えます。

しかし、時の流れが止まらないように、厳しい時代だからと停滞をしていることはできません。砂漠の中でキラリと光る原石を探す私の旅は、今年はこれで終わることにします。

来年は新たな志を立て、できる限りの仕事をしたいと考えております。

読者の皆様には、ご健康で幸多き一年であると共に、来年もこの「演劇批評」の応援をお願い申し上げます。

良いお年をお迎えください。

              中村 義裕

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2013.12.22掲載

八月の鯨 2013.12 三越劇場

何か劇的な事件が起きるわけではない。静謐、とも言える日常生活にさざなみが立つようなものだ。しかし、そのさざなみは、我々にいかに「生きる」かを教えてくれる音でもある。この作品は、1987年に映画『八月の鯨』として公開され、映画の草創期に活躍したリリアン・ギッシュが93歳で主役を演じ、80歳を超えたベティ・ディヴィスとの大女優の共演が話題になった。この映画を観た時にも同じ感覚を持ったが、今回の民藝の舞台は、人生の最期までそう時間がない老姉妹の生き方に、前向きな力強さが見える。外国の映画と日本の舞台を比較し、優劣を付けても意味がないが、ここに特色を持たせた丹野郁弓の演出がこの芝居の収穫の一つであることは間違いない。

この作品は、そもそもが舞台劇として書かれたもので、それが、先に述べた映画によって大きな話題になり、また元の形で舞台で上演される、という経歴を持っている。日本では、過去に三百人劇場で劇団「昴」が上演した。今回は、演出の丹野郁弓が自ら翻訳もしており、劇団の女優の個性を巧く活かした訳になっているのと、「明るさ」や「希望」を強調した脚本で、良い翻訳だ。

1954年、アメリカのメイン州の島にある一軒の家。視力を喪った姉・リビーと、妹のサラが二人で暮らしている。子供の頃から、この島で八月に鯨が来るのを見ていた姉妹は、毎年この島で八月に鯨を見ることを楽しみにしているのだが、もう鯨は来なくなっている。そこへ長い付き合いの友人であるティシャや、亡命貴族のマラノフが訪れ、八月の週末が過ぎてゆく。表面上は何もない、静かな暮らしの中で、年老いた人々の暮らしが断面として切り取られているような芝居だが、登場人物はそれぞれに懊悩や事情を抱え、残り少ない人生をいかに生きるか、を模索している。今回は、民藝では珍しく客演を迎え、亡命貴族のマラノフを篠田三郎が演じている。民藝には初めての出演だが、違和感がなく、少し怪しげな生活力のない、「亡命貴族」にぴたりとはまった。

姉のリビーが奈良岡朋子、妹のサラが日色ともゑ、友人のティシャが船坂博子、建築工のジョシュアが稲垣隆史、亡命貴族のマラノフが篠田三郎。登場人物はこの五人だけだ。奈良岡朋子のリビーが秀逸だ。生来の頑固で皮肉めいた性格の上に、視力を喪い、何もかも妹の世話にならなくてはいけない苛立ちがそれをますます募らせている。一言の科白に含ませた棘の表現が、一通りではなく、細かな工夫が積み上げられた芝居だ。日色ともゑのサラも、従順な妹、という役回りだけではなく、ふとした瞬間に「女」を感じさせる。単純に陰と陽といった対比ではなく、血のつながった姉妹だからこそもっと複雑な感情が心の中で蠢いているのがよく分かる。このコンビ、民藝を代表する女優二人だけあって、今年の舞台の収穫の一つだ。船坂博子のあけっぴろげなジョシュアが、この姉妹二人の静かなドラマに良いアクセントとなっている。

当たり前のことだが、丁寧に創った芝居にはそれなりの価値がある。最近、雑な仕上げの芝居が散見される。今回の舞台のように、自分の劇団で上演するために脚本を訳し直し、丁寧な稽古を重ねて初日を開ける、というのは、芝居道の上では当たり前のこととも言えるし、それが本来のあり方だ。しかし、その当たり前が当たり前ではなくなりつつある今、こうした丁寧に創られた芝居を観ると、ホッとする。上質な大人の作品だけに、その効果はより高い。

来年はこの作品での巡演が予定されている、と聞いた。地方の方々にも、ぜひご覧いただきたい芝居だ。

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2013.12.12掲載

ジーザス・クライスト=スパースター<ジャポネスク・バージョン>
 2013.12 自由劇場

先月から公演されていた「エルサレム・バージョン」に続いての上演である。劇団四季創立60年記念公演が各劇場で行われているが、自由劇場ではこれが年内最後の公演となり、それにふさわしい演目でもある。1973年の初演以来、40年の歳月をかけて劇団四季の大きな財産となり、上演回数が1400回を超えた。特筆すべきは、この作品の初演がスタンダードな「エルサレム・バージョン」ではなく、今回の「ジャポネスク・バージョン」だったことだ。その後、3年を経て、1976年に「エルサレム・バージョン」の初演となった。

舞台の大道具は、巨大な白い大八車。登場人物は、みな歌舞伎風の隈取のメイクで現われ、オーケストラの音に三味線や横笛、太鼓などの邦楽が加わる。今では何でもないことだが、40年前には大きな衝撃を持って迎えられたことだろう。さしずめ、「ミュージカルと邦楽のコラボレーション」とでも言ったところか。今聴いてもまったく違和感は覚えないが、初演の反響は相当に大きかった。海外のミュージカルをそのまま上演するのではなく、日本風、もっと言えば浅利慶太風の味付けで演出すればこういう舞台になるのだということを、初演の時点ではっきりと表明したことが、当時としては相当に大きな冒険であったろうことは想像に難くない。しかし、それが支持されたからこそ、今、こうして財産演目となって繰り返し上演されているのだ。

出演メンバーは若干の変更があったものの、12月1日に「エルサレム・バージョン」の千秋楽を迎え、わずか一週間足らずの7日に「ジャポネスク・バージョン」の初日を開けるというのも大変な話だ。ジーザスの神永東吾は、柄や仁から言って、近年のジーザスの中では最も役のイメージに近い。四季の主だった作品への出演も多いことだし、今後の劇団のホープの一人として期待するところは大きい。もう一つ、特筆して賞賛したいのは、馬鹿でかいとも言える五台の大八車を、僅かな時間に移動し、セットとして機能させている10人のメンバーたちだ。カーテンコールで顔を見せてくれたが、彼らが舞台を走り回る努力がなければ、この作品は成立しなかっただろう。どんな舞台でもそうだが、主役だけで成り立つわけはない。アンサンブルがいて、それを支えるこうした人々の役割は大きいものだ。彼らの中から、新しいメンバーが出て来ることを楽しみにしよう。

私が常々芝居を観る中で、かなり大きな割合で考えるのは、役者の演技や脚本もさることながら、作品を見つけ出すプロデューサーの「眼」だ。この眼が良くないと、どんなに名の売れたスターを並べても、舞台の質が良質であるとは限らない。質の良い作品、それは内容だけではなく、再演、その後の上演までも可能かどうかを見通した上での作品、ということになる。日本で何十年にわたり上演されている海外の作品は多数あるが、それを見出したプロデューサーの眼が、演劇界の一つの潮流を創って来たことは否定できない。昨今は、余りにも早いサイクルの中で、取り敢えずこの公演が無事にすめば良い、という考え方で芝居創りをする向きもあるが、それでは芝居は育たない。長い時間をかけて、何度も洗い上げ、時には方向性を見直し、という試行錯誤を繰り返したものだけが残る。観客は、何が面白いかを眼だけではなく五感で感じ取る。この作品もそうした観客の厳しい感覚に耐えながら、公演を重ねて来た作品だ。それは、劇団四季の海外ミュージカルをどんどん招聘し、芝居の裾野を広げるという方向とは別の、もう一つのあり方として評価できる。

そういう点でも、この作品が60年記念公演の掉尾を飾ることは意味があるのだ。

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2013.12.08掲載

CLUB SEVEN9 2013.12 シアタークリエ

この公演を観るたびに思うのは、キャストの何十回にも及ぶ早替りなどで、一回の公演で一体何枚の衣装を使うのだろうか、そのクリーニングはどうするのか、という余計な心配だ。同時に、舞台袖で待ち受けてキャストの早替りを手伝い、膨大な量の衣装を毎日管理しているスタッフたちにまず敬意を表し、拍手を贈りたい。

2003年に玉野和紀を中心に始まったダンス&ソングのショーが、今年で9年目を迎えた。2006年と2009年に公演がなかったためだが、毎回、多くの歌と踊り、コントなどで構成し、特に2幕の「50音順ヒットメドレー」はこの公演の名物だ。毎年の流行やヒットソングを巧みに配置しながら、「あ」から「ん」までの文字で始まる歌を連続で歌い、踊る。今年は70を超える曲を43分掛けて一気に歌い、踊り抜けた。脚本・構成・振付・演出も自ら行う玉野和紀の多才さを感じさせる。

今年の出演メンバーは、初演からの玉野和紀、西村直人をはじめ、吉野圭吾、町田慎吾、中河内雅貴、古川雄大、上口耕平、小野田龍之介、橋本汰斗の9人だ。実際に、良く身体が続くと思うほど、全員が衣装を変えては入れ替わり立ち替わり歌い、踊る。メンバーは毎年少しずつ変わってはいるが、初演から10年間続けている玉野、西村の努力には頭が下がる。20代のメンバーと比べれば、もうそろそろ息が上がる場面もあるが、それでも身体を惜しむことをせずにダンサーとしての気概を見せるから、ファンにも恒例の公演になるのだろう。私が観劇した日は、北海道からこの公演を観るために上京したファンもいたようだ。

一部は、「コント」と呼んでいいようなシーンが6本、その他に歌と踊りで65分。二部は、「ミニ・ミュージカル」の後、先ほど述べた「50音順ヒットメドレー」で85分。休憩を挟んで約3時間という大作だ。9人のメンバーは一人がいくつの役を演じて踊るのか分からないほどで、それぞれの経験などで歌やダンスに差はあるが、この舞台では「誰のどこが良い」ないしは「悪い」という問題ではなく、2013年の「CLUB SEVEN」というカンパニーがどうだったか、という問題だろう。誰もが自分の持つ力を全部発揮しなければ乗り越えられないようなステージだからだ。もちろん、経験豊富な玉野、西村、吉野が突出している部分はあるし、若い出演者は技術が及ばない分を、若さを武器に乗り切っている場面もある。出演者の個性を見極め、バランス良く配分するのも玉野のチームリーダーとしての重要な役割だろう。

キレの良いダンスや歌、高度な身体能力を活かしたステージは楽しく観ていられるのだが、今回、2幕の冒頭の「ミニ・ミュージカル」は、努力は買えるものの、これによりステージ全体のボリュームが重くなったことは否めない。この後の「50音順ヒットメドレー」だけでも充分に賞賛に値するものであり、その前に付けるには、公演時間全体の制約もあることから、充分に意を尽くすことができず、舌足らずの印象になってしまうこと、また、こうしたミュージカルは他の劇場でも観られる種類の物であることを考えると、2幕を圧縮して駆け抜けてしまった方が効果的な印象を残すことになったかも知れない。来年も再来年も続くであろう公演だけに、クオリティの高さを維持し続けるのは大変なことだ。そのための試行錯誤とも取れるが、来年への更なるブラッシュ・アップを楽しみにしたいものだ。

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2013.12.01掲載

ハレクイネイド 2013年11月 恵比寿・エコー劇場

日本ではあまり馴染みのない作家かもしれない。劇作以外にも、映画の脚本などを手がけ、本国では現代の人気作家の一人である。ローレンス・オリヴィエやヴィヴィアン・リーが初演した作品もあり、1977年に没してはいるが、いまだに人気は衰えない。今回の「ハレクイネイド」は、いわゆる「バック・ステージ物」の芝居で、『ロミオとジュリエット』の開幕一時間前の舞台で繰り広げられるコメディだ。最終リハーサルの真っ最中に、いささかくたびれの来ている座長の俳優夫妻が主役のロミオとジュリエットのシーンの稽古の途中で、いろいろな邪魔が入り、見知らぬ人物が登場し、無事に本番の幕が開くのかどうか、という問題の中で芝居が進む。

洋の東西を問わず、さまざまな形で舞台の裏側を描いた「バック・ステージ物」に人気があるのは、観客が目にすることのできない世界であり、そこには独特の人間模様が渦巻いているからだろう。どんなに有名な大スターでも、名優でも、所詮は一人の人間に過ぎず、幕が開けば観客を魅了はするものの、それまでの人には見えない姿や感情が興味の対象となるのだ。

座長であり、ロミオを演じる安原義人と、座長夫人でジュリエットを演じる森澤早苗が息の合った芝居を見せる。こうしたウェルメイド・プレイは一瞬の間が命だ。安原の懸命の力演が観客を笑わせている。もう一人、舞台狭しと駆け回る舞台監督の松澤太陽が、エネルギッシュな芝居を見せた。劇団「テアトル・エコー」の前身である「ひまわり会」としてスタートしたのが1950年、1954年に現在の「テアトル・エコー」に名を変えた。恵比寿に稽古場を建設して今年で半世紀以上になると言う。街に根付いた劇場として、ニール・サイモンやノエル・カワードなどの外国のコメディを上演し続ける一方、井上ひさしとの濃密な関係で舞台を創り上げて来た歴史が、日本の演劇史に刻んでいる足跡は決してなおざりにはできない。大劇場で長期間の公演を行うわけではないが、こうしたコツコツした努力に魅力を感じ、新しい世代が続いていることに、いささかの安堵感を覚えるものの、ここまで歩みを重ねるには、先人の筆舌に尽くしがたい苦労があったはずだ。

今回上演されている作品にしても、テレンス・ラティガンの作品の中では異色のもので、しかも日本での本格的な上演は今回が初めてのことだ。海外は言うに及ばず、日本にも秀作・佳作の戯曲はまだたくさん眠っている。それらに光を当て、ステージに載せる仕事も、大切だ。名作を繰り返して質を高める仕事の意義も大きいが、どんな名作も必ず「初演」があってのことだ。歴史を重ねても新しいものに挑戦する気概を持つ劇団の底力は大きなものだ。それは、今までの歴史が物語っている。今後さらなる歴史を積み重ねるためにも、特に若い観客たちに、こうした手作りの芝居の味を知ってもらいたいものだ。

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2013.11.10掲載

ジーザス・クライスト=スーパースター 2013.11 自由劇場

今までに一体何人の「ジーザス」を観て来ただろうか。いま上演中の「エルサレム・バージョン」の後、パターンが違う「ジャポネスク・バージョン」の千秋楽を迎える12月には、上演回数が1、400回を超えるという。この作品は、1971年に初演されたロック・ミュージカルで、キリストを「神の子」ではなく、一人の苦悩する青年として描いたショッキングな内容と、その音楽でセンセーショナルを巻き起こした。日本では初演の2年後の1973年に劇団四季が初演をしているが、その折には歌舞伎の隈取を施した化粧で舞台には大八車が行き交う「ジャポネスク・バージョン」として上演された。その後、1976年に正反対にリアリズムを追求した「エルサレム・バージョン」が初演されている。いずれも、訳詞は先ごろ97歳で長逝した岩谷時子の手によるもので、改めて合掌瞑目すると共に、岩谷時子という巨星が日本のミュージカル界に果たした仕事の大きさと幅の広さを感じる。

私が最初にこの舞台を観たのは、1979年の日生劇場公演辺りではなかったか。それから何度も観て来たが、若い頃はテンポの良いミュージカル・ナンバーと、初めて体験するロック・ミュージカルの魅力が優っていた。いつの頃からだろうか、幕切れ近くのナンバー「スーパースター」の中で、三人のソウル・ガールがキリストに向かい「ジーザス・クライスト ジーザス・クライスト 誰だあなたは誰だ ジーザス・クライスト ジーザス・クライスト あなたは自分のことを ジーザス・クライスト ジーザス・クライスト 聖書のとおりと思うの」という挑発的な歌詞に衝撃を受け、以降はキリストの人間ドラマとしてこの作品を観るようになった。これは、世界中に20億人いると言われるキリスト教の信仰者にとっては理解不可能な衝撃で、まさに神への冒涜だと真面目な信仰者は言うだろう。

私は熱心な信仰を持たないが、神仏や信仰を否定するものではない。しかし、お釈迦様もマホメットもキリストも、写真もなければ「会ったことがある」という人もいない。はっきりと確定した文書が残されているわけでもない。それを理由に存在が否定ができる代わりに、逆に信仰の対象にもなりうるのだ。「神の子」であるキリストに、「あなたは誰だ?」と問い掛ける芝居が衝撃的でないはずはない。とは言え、これは結論を求める問題ではない。「こういう考え方があるのだ」という1970年代の時代感覚を提示した作品としての魅力なのだ。

今回ジーザスを演じている神永東吾には、不思議な透明感が漂っている。その分、ドラマのテーマである人間・キリストとしての苦悩が薄まる感はあるが、役柄には似合った役者だ。今回が二回目の挑戦であり、どこまで進化できるかが勝負だろう。シモンの佐久間仁の懊悩が良く出ているのと、北澤裕輔のいかにも派手なヘロデ王が面白い。キリストと対照的に描かれるユダは芝清道で、かつて自身がジーザスを演じているだけに、ユダの悩みが鮮明だ。総じて、この日のキャストは出来が良く、ここ数年の「ジーザス」の中では最も作品の表現力を持っている組み合わせだ。もちろん完全ではなく、まだまだ改良の余地はある。

しかし、キャストを入れ替えながら40年にわたって演じ続けている劇団四季の財産演目の一つであり、洗練されて来ているのは事実だ。今年は劇団創立60年記念で『リトル・マーメイド』の初演や『昭和三部作』など、力の入った質の高い舞台を多く見せてくれている四季だが、こうした歴史を持つ作品を、更に磨き上げることも、今後の四季の大きな役割の一つと言えるだろう。

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2013.11.04掲載

線路は続くよどこまでも 2013.10 下北沢 楽園

最近、舞台での活躍が多い「コント赤信号」の小宮孝泰が、下北沢の小劇場・楽園で、無謀とも思える試みに挑戦している。三本の一人芝居を一日に二本ずつ、千秋楽に至っては一日で三本すべてを上演する、というハードな舞台だ。昨今、一人芝居や朗読の舞台がずいぶん増えているが、そうしたものとは明らかに一線を画している。と言うのは、中年の弁護士を主人公にした『接見』は水谷龍二が2001年に書き下ろして以来、数を重ねて上演しているものであり、もう12年目に入った。うだつのあがらない落語家の襲名問題を題材にし、中島淳彦が書いた『先代』は今年初演だ。そして鄭義信が小宮の実父の体験を基にした『線路は続くよどこまでも』は2008年に初演している。今年初演の『先代』はともかく、他の二本は大切に温めながら繰り返し上演して来た作品だ。しかも、上演時間が短いもので1時間と少し、長い物は1時間40分に及ぶ。これだけの膨大な科白に囲まれて逃げ場のない一人芝居を演じるのは、無謀としか言いようがない。大劇場などでの舞台にも出演しながら、それよりも遥かに苦しく大変なこの公演を持つということ、よほどの芝居好きにしかできまい。昨今、本当に芝居が好きで役者をやっているのかどうかに疑問を感じるような態度の人をちょくちょく見かける中で、こうした役者馬鹿ぶりは嬉しいものだ。

さて、『線路は続くよどこまでも』である。終戦当時、朝鮮半島にあった「国鉄」、つまり朝鮮鉄道に勤務していた小宮の父親の体験を中心に、家族が引き揚げて来るまでの苦労を、実話をベースにした芝居だ。幕開きは、小宮が自分の父のことを素で語り、どういう芝居を演じるか、それに当たっての朝鮮半島の基礎知識を説明する。今は戦後生まれの世代も二世代、あるいは三世代に及び、「戦争」と言っても第二次世界大戦だけが記憶にあるわけではない。湾岸戦争、イラン・イラク戦争などを思い浮かべる世代もいる。そうした配慮だろうが、それほどに、第二次世界大戦というものの記憶が遠ざかっている証拠だ。だからこそ、こうした戦争にまつわる記憶や体験を芝居にする意味があるのだ。

芝居が始まって驚いたのは、小宮が一人でいくつもの役を演じることだが、二つや三つではない。数えていて途中でわからなくなったが、全部で30はあるだろう。それらを一人で舞台を駆け回りながら演じ、芝居を進めてゆく。当然、女性も外国人も演じなくてはならず、容易なことではない。たった一つ難を言えば、相手の人物に変わるまでの動きに、場所を変えるためのわずかな時間がかかる。それが、1時間40分の間で積み重なって来ると、途中で一瞬「ダレ場」のような瞬間が出る。動きの速さには限界があり、スポーツをしているのではないから、ここは演出と脚本で工夫し、もう少し交通整理をした方がより見やすかっただろう。

私も戦後生まれで、戦争は「聞かされた」体験しかない。しかし、戦時中、あるいは戦後にどこにいようと、塗炭の苦しみを味わった人々は多く、命を喪った人の数は300万人もいる。それから68年が経った今、戦争の記憶は高齢化と共に風化しているが、近隣の国とのやり取りを見れば、まだその尾を引きずった状態が続いている。そんな今、「小宮家」の家族が味わった苦労や眺めた朝鮮半島の風景を、我々観客が擬似体験し、「聞かされる」ことに意味がある。もちろん、小宮自身も戦後の生まれであり、「聞かされた」世代だ。しかし、また聞きでも良いのだ。何も知らないでいることの方が遥かに恐ろしい。「戦争は悲惨だ」「世界が平和であるべきだ」という小学生でも分かる事が、実践できない時代が世界中で何年続いているのだろう。戦争のない瞬間が地球上に一体どれほどあったのだろうか。そこに想いをいたす時、「小宮家」の問題は普遍性を持って、我々に迫ってくる。

熱演、である。

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2013.10.10掲載

夏祭浪花鑑 2013.09 松竹座

片岡愛之助を座頭とし、中村壱太郎、坂東薪車、坂東亀鶴、中村翫雀などの若手の一座が、秋の大阪・松竹座で幕を開けている。昼の部は近松門左衛門の『女殺油地獄』を再度劇化した『大阪純情伝』と舞踊『三人連獅子』、夜の部が上方狂言の『夏祭浪花鑑』の通し上演である。『夏祭』は人気のある芝居で、比較的上演の頻度も多いが、通して上演されることは滅多になく、私もこうした形で観るのは初めてのことだ。

愛之助の団七九郎兵衛を中心にした上方の芝居を、上村吉弥、中村翫雀など、上方の役者を中心に関西の劇場で観るのは、東京の劇場で観る時とは感覚が違う。いわば、原産地で観ているようなもので、客席の雰囲気にも上方の香りが漂っている。今、ここで「上方歌舞伎復興」などという大きな狼煙を上げるつもりはない。しかし、今回の通し上演によって、愛之助が果たした二つの功績は大きい。

最初は、愛之助にとっては義理の祖父に当たる十三世・片岡仁左衛門が、かつて上方歌舞伎衰退の折に、その復活に賭けて同じように通して上演した『夏祭浪花鑑』が、その精神を途絶えさせることなく、21世紀に蘇ったことだ。上方の芝居は、江戸のそれに比べて厳密な型が決まっているものは少なく、役者によって、また演じるたびに細かな部分が変わる。しかし、役が持っている性根さえ変わらなければそれでよし、とする気風があり、その点で言えば、私は十三世仁左衛門の団七九郎兵衛の精神がこの舞台で確実につながったと考える。細かな点での違いは多々あるだろうし、演じた年代も年齢も違えばあって当然だ。しかし、伝統芸能である歌舞伎の大きな使命の一つは、時代と共に変容しながら続いていくことだ、と私は考えている。それが今回の舞台で証明された、ということだ。

もう一つ、今までに上演されない場面を復活することによって、今までの上演で知っていた登場人物の性格や物語のストーリーがぐっと深みを増し、より立体化したことだ。「長町裏の場」でなぜ団七が自らの舅である義平次を殺さなければならなかったのか、あるいは浴衣の袖を交換して兄弟の契りを結んだ一寸徳兵衛と団七九郎兵衛の男伊達の意識が、大詰めの一幕がつくことでより明確になる。そうしたことが他の役でも具体的な深みと説得性を持つのだ。作品によって、という注釈付きにはなるが、普段上演されない場面を復活することの意義が大きいものと小さいものがある。今回は、前者のケースだと言える。この二つの大きな意義を果たしただけで、『夏祭浪花鑑』を通し上演した意味があったと言えよう。団七が単なる喧嘩っ早い棒手振りの魚屋ではなく、そこに幾重もの義理に連なる人間関係があり、当時、「義理」という感情が人々の間でどれほどに重きをなしていたか、が分かるだけでも、今まで我々が観て来た団七像とは明らかに違う。これは、他の登場人物にも言えることだ。

愛之助の団七九郎兵衛は、上方の伊達男の濃厚な色気を持っている。同時に、これは上方の芝居の特徴の一つでもある、捨て科白でのやり取りを大切にしているところが評価できる。何気ない一言に意味を持たせることで捨て科白が捨てられずに生きる。また、自分の感情の迸りを、思わず口に出してしまう場面に共感が持てるのも、その延長だろう。訃報や病気など、芳しくないニュースが続く歌舞伎界にあって、理屈ではなく情熱で汗を流し、大車輪で演じている愛之助には拍手を贈りたい。舅である義平次を殺す見せ場の立ち回りの極まりの姿も美しく、ここぞ、という場面での目が効いているのが身上だ。

老侠客の釣舟三婦を翫雀。今までの舞台は年配の役者がご馳走の意味合いで出るケースが多かったために、いささか若すぎるのでは、とも思ったが、予想以上の好演である。雑駁な言い方をすれば、「昔の上方にいそうな親爺」で、これこそまさに役の匂いだ。当然ながら自然な関西弁での愛之助とのやり取りが面白く、また、大詰めが復活されたことで、三婦の性格がよりくっきりと浮かび上がった。一寸徳兵衛が亀鶴と、愛之助との釣り合いも良い。徳兵衛の女房・お辰の吉弥に濃厚な上方の年増の色気が漂うのも、大阪ならではだろう。壱太郎、尾上右近、坂東新悟たちの若い女形はまだまだ課題の多いところがあるが、良い兄貴分のもとで役に挑戦し、大いに勉強することだ。

細かな部分を観て行けば、いくつか気になる点はある。しかし、今は、重箱の隅をつつくよりも、新しい形で上方の芝居、松嶋屋の芸の平成バージョンができた、ということの方が大きい。まだ何度も上演の機会があるだろうし、その都度磨き上げてほしい舞台だ。

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2013.10. 8掲載

フォーエヴァー・プラッド 2013.09 東京グローブ座

出演者は川平慈英、長野博、松岡充、鈴木綜馬の男性四人だけ。ほとんどを音楽で綴るミュージカルだ。アメリカン・ドリームを夢見て努力し続けている四人が、やっと大きなステージに出られるというチャンスが舞い込んだ。しかし、ステージへ向かう途中で、彼らの車はビートルズの公演を観に行く途中のティーンエイジャーのバスと衝突し、即死してしまう。しかし、それから49年を経て、再び地上に舞い降りて来る。初めてのライブのために…。ニューヨークで1990年に初演された作品である。

30曲を超えるナンバーは、1950年代から60年代のアメリカで大ヒットした曲が多く、ペリー・コモやハリー・ベラフォンテなど、一世を風靡した歌手へのオマージュとも言える。また、芝居の間には、当時絶大な人気を博したテレビ番組「エド・サリヴァン・ショウ」が顔を覗かせるなど、日本が敗戦を抜け出し、高度成長へ差し掛かろうとする時代の「憧れのアメリカ」がギッチリ詰まった作品だ。今はアメリカなど、すぐに飛んで行ける時代だが、この当時のアメリカは、感覚的にも時間距離的にも遥かなる地で、同時に憧れの地でもあった。それを懐古するのではなく、そういう時代のアメリカを元気にしていた音楽への讃歌とも言えよう。

この作品を、わずか四人で演じるのだから、舞台へ出ている方は大汗をかき、時には観客を舞台に上げて共に楽しむという形式で、古臭さを全く感じさせないところがこの作品の真骨頂だろう。休憩なしで1時間40分を、まさに「カッ飛んで行くような」舞台である。

四人の年齢がちょうどやや年の離れた兄弟のようにも感じられるが、それだけチームワークが良い、ということだろう。何よりも、出演者が肉体的にはかなりキツイ舞台を、楽しんで演じている感覚が伝わって来る。それぞれに今までの活動歴から、この作品に対する想いやアプローチの方法があるだろうが、松岡充の個性が際立った。元々が「SOPHIA」のボーカルで、最初から俳優として出発したわけではないが、種類は違え、ライブのステージを多数経験して来ていること、作品自体が音楽の比重が高いこともあるだろう。最近は俳優としての活躍の幅も広げているようだが、この舞台が一つのきっかけになりそうな予感がある。川平慈英は舞台全体をまとめながら、彼の個性で観客を自分の世界に引き込む辺りが巧みだ。

タイトルにある「プラッド」とは格子柄、いわゆるチェックの模様のことだそうだ。幕切れ近く、四人が揃いのチェックのタキシードで舞台に並んだ姿は、微笑ましさの中に一抹の寂しさが漂う。しかし、全力を出し切った後の清涼感とも言うべきものだ。音楽に国境はない、と言う。まさに、それを五感を通じて感じさせる舞台だ。

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2013.10. 3掲載

第37回名作劇場「貰ひ風呂」「月夜寒」2013.09 シアターΧ

1994年から両国のシアターΧで行われている日本の明治以降の一幕劇を100本上演するという川和孝の企画・演出の「名作劇場」が今回で37回目となり、上演された戯曲の数も76本に達した。今の年に二回の公演で、一回に二本の一幕劇を取り上げる基本のペースで行けば、残り24本、12回の公演でゴールを迎える計算になる。

今回取り上げられたのは、大島萬世の「貰ひ風呂」と三宅大輔の「月夜寒」の二本。批評家として誠に恥ずかしいことだが、私は大島萬世という劇作家を知らなかった。主な活動期間が昭和の初期で、東京大空襲以後、郷里の群馬に疎開し、東京の文壇を離れたという事情はあるにせよ、演劇の批評に携わるものとしては恥ずかしい話で、言い訳にはならない。我が身の勉強不足を恥じるだけである。昭和52年に83歳で亡くなったこの作家は、一貫して農村に暮らす人々の姿を描き続けた。この「貰ひ風呂」もその中の一作である。

もう一人の三宅大輔は異色の経歴の持ち主だ。プロ野球の読売巨人軍の前身である「大日本東京野球倶楽部」の初代監督を努めた後、阪急や中日の監督を歴任し、野球殿堂入りして昭和53年に85歳でその生涯を閉じている。その一方で、歌舞伎の六代目尾上菊五郎や初代中村吉右衛門によって上演された「雪女郎」などの作品や、戯曲集も刊行されている。劇作を余技だとは言えない才能の持ち主だ。今回上演された「月夜寒」は、ユゴーの「レ・ミゼラブル」の、ジャン・ヴァルジャンが教会で銀の燭台を盗む場面を翻案し、荒れ寺での僧侶と盗人の芝居に仕立てたものだ。

驚くべきことに、多くの人々が使っているインターネット上の百科事典で三宅大輔を試みに検索してみたところ、劇作家としての業績については一言も触れられてはいない。今までに取り上げて来た作家たちも、遺族が行方不明で上演権の交渉が不可能だった人もいると聞いた。もちろん、今でも上演の機会がある作家、例えば森本薫、久保田万太郎、長谷川伸などは過去に取り上げてはいるが、100年を超える明治以降の近代演劇の中から、よくぞ掘り起こしたものだと思う作家もいる。この公演を重ねてゆくのは、並大抵のことではない。ただでさえ時代の流れは速度を増す一方で、誰でもすぐに「あの人は今…」という扱いにされる時代だ。その中で、丹念に作家と作品を掘り起こし、年に二回の公演を続けることは並大抵のことではない。まして、失礼ながら売れっ子でチケットの心配のない役者が何人も出るわけではない、まさに手づくりの芝居だ。20年近く続いている「名作劇場」という公演自体のファンもいるとは言うものの、今の演劇界の不況の中で、観客動員はどこも最も大きな課題だ。それに対し、作品と企画、という直球勝負を続けているこの公演を、我々批評家が顧みなかったことには忸怩たる想いがある。

企画としては派手な仕掛けではなく、大きな話題性を持つものではないかもしれない。しかし、一本ずつ丹念に上演することによって、歴史の狭間に埋もれかけていた作品や作家に再びスポットライトを当てるだけではなく、日本の近代演劇の歩みを観客と共に体験することは貴重だ。この重要性を、観客のみならず、演劇の現場にいる人々も知るべきだ。単純に「古臭い」と片付けてしまうことは簡単だ。しかし、その作品が指示された時代や、背景を知ることは無駄にはならない。食わず嫌いも含め、我々が自分が生まれ育った国のことにいかに疎いかを、改めて知らされる想いである。

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2013.09.27掲載

新薄雪物語 2013.09 歌舞伎座

歌舞伎の義太夫狂言の中でも、相当な大物である。登場人物の役柄も幅広く、ベテラン勢の顔ぶれが揃わないとなかなか上演できない、というのが歌舞伎界の通念で、滅多に上演はされない。私も30年以上の歌舞伎の観劇歴の中で、五回しか観ていない。今月の歌舞伎座は、市川染五郎、市川海老蔵、片岡愛之助、尾上菊之助、中村勘九郎、中村七之助、尾上松緑などのメンバーで「花形歌舞伎」を上演している。このメンバーで「新薄雪物語」を上演することに、いささかの危惧や不安があったことは事実だ。

30代から40代にかけての花形たちが、人生の酸いも甘いも噛み分けた分別の上に立つ複雑な感情表現で観客を納得させることは難しい。危なっかしいところがないわけでもない。しかし、過去の舞台と比較をして考えれば、健闘していることは事実だ。もう一つ、大事なことを今回の舞台で発見した。歌舞伎には「未完成の魅力」がある、ということだ。未完成が完成へ向けて熟成してゆくのを待つ、そこに役者の成長を観る楽しみがある。例えば、野田秀樹や宮藤官九郎の芝居が、ほぼ同じ顔ぶれで10年後に再演される可能性は、ほとんどないと言えるだろう。しかし、歌舞伎は、それを何百年と繰り返している藝能だ。もしかすると、10年後に、多少の顔ぶれは変わっても、主な役どころはそのままに再演されるチャンスがある。そこで、今の彼らの舞台がどう熟成するかを「待つ演劇」なのだ。そういう観点で言えば、今月の「新薄雪物語」は、未完成の魅力、という一言に尽きる。これは、この年代でこの作品にぶつかるからこそであり、もっと無難な作品を選んでいれば、安定した高い評価を得られる役者たちだ。それが、この手ごわい芝居に挑戦した心意気は、彼らの世代の歌舞伎に対する考え方をあらわす一つの方法であったようにも思えるのだ。すなわち、夜の部の「陰陽師」のように、現代の観客にも分かりやすい新しい歌舞伎の創作と、継承すべき古典歌舞伎への挑戦、だ。昼夜の公演でその色を明確に打ち出したのは評価ができる。

江戸時代の仮名草子「うすゆき物語」を元に、お家騒動をからめ、園部左衛門と薄雪姫というひと組のカップルとその両親たち、そこへ乗っ取りを狙う悪人・秋月大膳を加えたスケールの大きな悲劇だ。子供を助けたいと願う親たちは、子供の代わりに自らが「陰腹」と呼ばれる切腹をし、事態の収拾を図ろうとし、お互いの気持ちに、痛さを堪えて笑う。考えて見れば、何とも皮肉で哀切な笑いだ。こうした難しい芝居に、体当たりの大汗を流している花形たちの奮闘は、微笑ましくもある。主な役の中で、この芝居に出演経験があるのは勘九郎だけで、それも前回は役が違う。新作ならともかく、古典の作品にほぼ全員が初役で臨んでいるのは珍しいことだ。それぞれが先輩に細かな教えを乞い、それを集積して舞台を創り上げることができるのが歌舞伎の強みだ。

勘九郎の園部左衛門が憂いのある二枚目ぶりで良いが、ところどころ芝居が大振りになる。その父、園部兵衛は染五郎。ずいぶん線が太くなり、しっかりした芝居を見せる。特に、「詮議」で花道から出て来る場面、怒りと憤懣を肚に湛えた表情が良かった。最後の「合腹」の場面での述懐に、親としての哀しみが垣間見えた。奴妻平は愛之助。奴という役柄の性質をきっちり踏まえた芝居だ。動きと科白のメリハリが気持ち良く、テンポのある芝居に躍動感がある。海老蔵は、前半は大悪党の秋月大膳、後半は混乱した事態を裁く葛城民部の二役。この二役は、私が観た中で一回、兼ねて演じたケースがある。役のバランスの問題だろう。海老蔵は相変わらず科白が心許ない部分があるが、どちらも予想以上の出来だ。腰元で、妻平といい仲の腰元・籬の七之助に若々しい色気がある。薄雪姫は梅枝で、姫役の勉強には良い経験だ。その父親・幸崎伊賀守が松緑。場面を追うごとに良くなってはゆくが、顔で芝居をしてしまう部分が目立ち、役の性根がお腹の中に落ちていない印象がある。とは言え、彼らの瑕疵をあげつらうよりも、この大役に挑戦した意気込みを今回は評価したい。

今まで60代や70代の大ベテランが演じて来た役を、花形の若手が完全に演じられるわけはない。しかし、70代でも30代でも同じ役を演じることができるのは歌舞伎という演劇の懐の深さだろう。他の芝居にはなかなか見られない現象だ。伝統とは、こうして受け継がれ、若い人々の新しい解釈を加え、生き残るものなのだ。その瞬間の舞台が今月の「新薄雪物語」であり、それを観ることにもまた意味があるのだ。

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2013.09.25掲載

美輪明宏 ロマンティック音楽会 2013 2013.09 パルコ劇場

手控えを見たら、最初に美輪明宏のリサイタルを聴いたのが1984年12月のサンシャイン劇場、とある。欠かした覚えはないから、約30年にわたって、美輪明宏のシャンソンを聴いていることになる。その間、銀座にあったシャンソン喫茶「銀巴里」にも何度か通ったから、延べで言えば400曲以上を聴いてきたことになる。例年、多くは第一部は日本の抒情歌や文部省唱歌、第二部はシャンソン、という構成で行っていたが、今年はいささか趣が変わり、第一部は「星の流れに」以外はすべて自作の歌、それも反戦を主なテーマにした楽曲が中心となった。「悪魔」「亡霊達の行進」「祖国と女達」「星の流れに」「ヨイトマケの唄」「故郷の空の下に」の合計6曲。昨年初出場した紅白歌合戦での「ヨイトマケの唄」が世間に与えた影響については、ここで改めて述べる必要はないだろう。圧巻とも白眉とも言えるのはやはり「ヨイトマケの唄」だが、個人的な好みで言えば、「亡霊達の行進」と「祖国と女達」が戦争の犠牲になった人々の姿を眼前に見るような想いがした。

美輪明宏自身の波乱に満ちた反省はあらゆるメディアで語り尽くされている感があるので、あえてここで繰り返すことはしない。しかし、その過酷な生を卑下することも、反動することもなく、凛然と背筋を伸ばして生きる姿勢が、今の若者の共感を呼んでいることは良く分かる。誤解を恐れずに言えば、そこにあるものは、迫害を乗り越えた者の強さ、そして優しさだ。特に、この強烈な個性の持ち主が戦中から戦後を生き延びるには、苛烈なまでの強靭さがなければ、今もステージに立っていることはなかっただろう。「善と悪」の判断基準さえも曖昧になりつつある殺伐とした時代だからこそ、社会派、とも呼ぶべき楽曲が持つ意味は大きい。曲の合間のトークでも、重ねて戦争の悲惨さ、平和の貴さを語っていたが、そこで一貫しているテーマは、弱者への温かな眼差しである。自らが、弱者ではなく、異端者としての迫害を受けてきた歴史がそこに重なる。男装だったゆえもあってか、中世の藝能の姿を観るような想いがした。

休憩を挟んで二部は、自作も交えてシャンソンが並ぶ。「大人の恋」の時間だ。陽気なリズムの「メケメケ」で始まり、「恋のロシアンキャフェ」「水に流して」自作の「黒蜥蜴の唄」、「愛する権利」「愛の讃歌」と続き、アンコールに「花」。今年の10月は、美輪明宏が最も尊敬するエディット・ピアフの没後50年に当たる。「水に流して」「愛する権利」「愛の讃歌」と、自身が得意とするピアフの曲が3曲登場したのは懐かしくも嬉しい。「恋のロシアンキャフェ」「水に流して」「愛の讃歌」が中でも素晴らしく、特に「愛の讃歌」は例年のごとく魂の絶唱と言ってもよい。多くのシャンソンファンが愛し、また多くの歌手がカバーしているピアフの「愛の讃歌」の中でも、美輪明宏のドラマティックな楽曲は少し別の場所に置かれているような感覚がある。

今年の音楽会では歌わなかったが、自作の曲でしばしばリサイタルにも登場する「老女優は去りゆく」という曲がある。私が最初にこの曲をテレビで聴いたのは、高校生の時だった。女優に憧れ東京へ出て来た少女が、紆余曲折を経てスターの座に昇り詰め、そこからどん底に転落し、不死鳥のように甦る、という半世紀を歌った科白入りの曲は、私に言いようもない衝撃を与えた。今、あえて「テレビで聴いた」と書いたが、当時すでに7分を超える長い曲で、シングルレコードのA面に収まらず、テレビで聴いたのだ。今はすたれかかっているとも言えるCDが出る前には、そんな時代もあったのだ。私が過ごして来た時代とは比べ物にならない苦労を経て、美輪明宏はなおステージで健在である。

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2013.09.23掲載

陰陽師 2013.09 歌舞伎座

市川海老蔵、市川染五郎、片岡愛之助、中村勘九郎、尾上松緑、中村七之助、尾上菊之助らの花形で、歌舞伎座の夜の部は?落とし最初の新作『陰陽師』だ。人気作家・夢枕獏の同名小説を今井豊茂の脚本、齋藤雅文の補綴・演出で舞台化したものだ。1988年に第一巻が出版され、25年経った今も、13巻が出てなお執筆を継続中という息も人気も長い、膨大なボリュームの作品だ。野村萬斎や稲垣吾郎の主演で映画化もされており、そちらを観た人々も多いだろう。これだけの長編ではもとより全部を一度に舞台化できるわけはなく、そのうちの滝夜叉姫が登場する部分を中心に三幕にまとめたものだ。陰陽師・安倍晴明が染五郎、平将門が海老蔵、その娘、滝夜叉姫が菊之助、晴明の友人・源博雅が勘九郎、悪役で将門を蘇らせようと企む興世王が愛之助と、それぞれにところを得た配役で、テンポ良く、また現代的な感覚の分かりやすい科白で書かれており、歌舞伎の初心者には向いた作品かも知れない。

染五郎の晴明に気品があり、勘九郎の博雅と良いコンビだ。海老蔵の将門、芝居はもう一つだが、悪役の迫力やスケールは良い味を見せた。菊之助の滝夜叉姫はいささか手慣れすぎた感があり、七之助の桔梗の前にピュアな美しさがある。俵藤太を演じる松緑の科白のアクセントが、時折おかしく聞こえたのはどうしたことか。多少のデコボコはあるものの、今の歌舞伎界の花形が結集した感があり、伸びやかに歌舞伎を演じている楽しさが垣間見えた。また、彼らの世代が今後の歌舞伎を牽引する中心になるのだ、という心強い感覚が持てたのが収穫だ。

一方、残念な点がいくつかある。これは役者の責任に帰するべきものではなく、芝居の創り方、見せ方の問題だ。まず、全体を通して舞台が暗すぎる。テーマやストーリーの性質上、致し方ない部分もあるが、白昼の煌々とした光の中で起きる怪異ゆえの恐怖、という見せ方もあっただろう。また、せっかく新装なった歌舞伎座の舞台機構を、元気な若手たちに縦横無尽に使って見せてほしかった。宙乗りもとりあえずやってみました、という程度ではなく、もっと多くの場面で使っても良かっただろうし、新しい歌舞伎座ならではの新機構もあるはずで、それを堪能できればもっと充実した舞台になっただろう。

平安の都に百鬼夜行が跋扈し、それと対決する安倍晴明と源博雅。二十年前に死んだ平将門を蘇らせ、復讐を遂げようとする興世王の企み。まさに、荒唐無稽な歌舞伎の要素が山盛りの作品だ。それぞれに見せ場があり、トントンと進んだ割には、大詰めへ来て、「我々の生きる意味は…」とか「友情とは良いものだ」という、近代的な思想めいた科白がいきなり飛び出したのには違和感を覚えた。綺麗にまとめようとした脚色者の意志なのかもしれないが、ここは、あくまでも荒唐無稽のままに、平将門が大暴れをして空中に飛び去るとか、興世王との激しい対決シーンを派手に見せ、歌舞伎得意の「またいずれ、どこかであいまみえよう」という方式で貫いてしまった方が、いっそ物語の世界観に浸ったまま終われたのではなかろうか。最後に急に綺麗にまとめられると、今までの荒唐無稽な物語がうまくつながらず、遊園地のアトラクションから出て来てしまったような感覚に陥る。どうせなら、最後まで派手なアトラクションを見せてほしかった。この作品は、他の部分を取り上げてまた上演し直す魅力を持った作品でもあり、再度挑戦の機会もあろう。より面白く見せられる要素がたくさんあり、それぞれの役どころも揃っているので、いずれ、よりバージョン・アップした形での再演を待ちたい。

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2013.09.22掲載

「倭 結成20年ツアー」2013.09 宇治市文化センター

奈良県・明日香村に本拠地を置く和太鼓のグループ・倭が結成20年を迎えたのを機に、国内ツアーをすべて入場料無料で行っている。年間200ステージ以上を海外での公演で費やすため、国内での活動期間がなかなか取れず、結成以来の歴史の割に国内での知名度は低い。しかし、その卓抜した身体能力と技術には、最初に彼らのステージを観た時に目を見張るものがあった。太鼓の集団はどこもそうだが、ステージで相当のエネルギーを必要とするため、徹底的に肉体を鍛え上げ、2時間のステージを演じる。中には直径が3メートルに及ぼうという大きな太鼓から、十種類以上のさまざまな大きさの太鼓を使い、明日香村にふさわしい「原初の響き」を伝えるのが彼らの魅力だ。

私は、何年か前の彼らのステージの批評で、彼らが持っている「土着的な原初の藝能への近さ」が魅力だと書いた。その魅力は失われることがないのは嬉しかった。さらには、結成当初からの代表・小川正晃の下で修行に励んで来た若手たちが大いに躍進し、その技量を上げたことが今回のツアーでの収穫だろう。言葉の通じない国々でツアーを敢行し、観客の支持を受けるには、ステージの魅力を直接伝えるしかない。いわば、武者修行のような形で海外公演を行うことで、自然に技術が鍛えられ、向上した部分もあるだろう。しかし、メンバーの顔を見ていると、本当に楽しそうに太鼓を叩いている。自らの肉体すべてを使って見せる彼らのコンサートは、海外の観客にとっても、もはや「エキゾチック・ジャパン」ではないだろう。

今回のステージで気付いたことが二つあった。観客の層が老若男女、実に広いことだ。入場料が無料で、公演後にカンパを募る、という気軽な形式もあろうが、家族で会場へ足を運び、舞台でのパフォーマンスに子供が大きな声で笑っている。いろいろな意味で、家族揃って舞台へ足を運ぶ事が難しい時代だ。増して、中央の都市から離れれば、余計に難しくなる。すべての町村を回るわけには行かないが、来年も国内ツアーを敢行し、今年回りきれなかった地域を回ると聴いた。このフットワークの軽さには、見習うべき点があるだろう。

もう一つは、ほぼ満席の客席の観客の半分が今回初めて倭の舞台を観る人々、半分がリピーターと綺麗に別れたことだ。こういうケースは珍しいだろう。初めての観客が3割程度、というのであれば不思議ではないが、ほぼ半分が初めてでありながら、会場は大きな盛り上がりを見せていた。観客を惹き付ける一つの理由は、彼らの笑顔ではないか、と感じた。

倭を結成した当時は、神社の境内などで公演し、観客から投げ銭をもらい、それが貯まると新しい太鼓を買っていた、と聴いた。今回はカンパ制とは言うものの、これも藝能の原初の形態である。結成20年を経て、いろいろな意味で原点に帰り、ここからまた新たなスタートを切るのだろう。そのための20年記念国内ツアーであり、無料公演であると私には見えた。今後は、日本でのツアー回数を増やし、より多くの日本の人々に、原初の音が奏でる彼らの「泥臭さ」の魅力を伝えてほしいものだ。厳密に品質管理された野菜よりも、泥付きの野菜の方が濃厚で豊潤な野菜本来の味わいを持っている。倭のステージは、野菜に例えれば泥付き野菜だ。それを育てたのが、日本人にとって忘れることのできない土地・奈良県明日香村というのが象徴的である。

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2013.09.19掲載

「不知火検校」2013.09 新橋演舞場

人は、どこまで悪の限りを尽くすことができるのか。そこには、良心の呵責や自責の念など、平凡な人々が持つみみっちい感情はない。ひたすら、己の欲望のみを満たすためだけに、計算を尽くして生きる。「よほど頭が良くないと嘘つきにはなれない」と言うが、悪人も同様で、怜悧な計算を積み上げた上でなければ、悪人に徹することはできない。

「昭和の黙阿弥」と呼ばれた劇作家の宇野信夫が没して間もなく二十三回忌を迎えようとしている。六代目・尾上菊五郎のために書いた作品が認められ、その後、菊五郎や初代中村吉右衛門をはじめとする多くの歌舞伎役者に新作歌舞伎を提供した作家だ。この『不知火検校』もその一つで、今の勘九郎の祖父に当たる十七代中村勘三郎のために書いた芝居で、昭和35年の初演以来、今回が四回目の上演で、勘三郎以外では幸四郎が初めての上演となる。前回の舞台が昭和52年で、私もこの舞台は観ていない。脚本としては読んでいたが、頭の中で舞台化することと、実際に役者が立体的に演じるものでは全く違う。幸四郎が冷血無比な悪人の姿をどう描くのか、興味はそこにある。

元は六幕十四場の芝居を今井豊茂が補綴して全二幕十二場にまとめた。原作にはなかった場面を付け足した代わりに、大胆なカットを施し、小気味よいテンポで芝居が進む。こうした改作は、江戸時代からの歌舞伎の得意技でもあり、その時代の観客に合わせてどう見せるかは、非常に大切だ。

物語の発端とも言える新たに付け加えられた部分は、金に困った魚屋が按摩を殺してしまい、生まれた子供が盲目だった、という因果噺めいた部分から始まる。いかにも宇野信夫好みの感覚だ。その後、盲目の少年は富の市と名乗って按摩稼業につくが、目から鼻へ抜けるような頭の良さの代わりに、手癖が悪くて師匠の元を放逐される青年だ。やがて、だんだんに悪事を重ね、自分の師匠である検校の座を乗っ取り、不知火検校と名乗って贅を尽くし、気に入った女性を手に入れる。しかし、どんどんエスカレートする欲望はとどまるところを知らずに、ついには江戸城の御金蔵に目を付け、御金蔵破りの大罪を犯すまでになる。場面を追うごとに悪党としてスケールを増して行く姿を、幸四郎が丁寧に演じて見せる。ふとしたことから出会い、やがては仲間になる生首の次郎を演じる橋之助の芝居に、小悪党の風情があり、好い対照の妙をなしている。

大詰め、悪事がばれて捕まる瞬間に、開き直った幸四郎の不知火検校が、自分に石を投げ付けた野次馬に向かって「己は人非人だ人でなしだ人殺しだ。しかし、人を罵るその手間で、石を投げたその手を胸に、よくよく自分のことを考えてみろ」と最後の悪態を付く場面がある。いわゆる「沈香も焚かず屁もひらず」のような一生を暮らして何が面白いのだ、と言うことだが、物事の筋道から言えば、この検校の言うことに道理はない。徹底して悪党を貫き通す歌舞伎の主人公というのはそう数が多くはなく、即座に想い出すのは近松の「女殺油地獄」の与兵衛ぐらいだ。与兵衛にはニヒリスティックで退廃的な青年、のイメージがあるが、不知火検校は違う。世の中の不条理な構造を知り尽くし、その中で自らが虫けらのような一生を送ることを否定し、どうせ生きるなら想いのままに悪の限りを尽くそうという、肝が座っている悪党だ。このスケール感が、一歩間違えば陰惨なだけで終わりそうな作品を、人間くさいドラマとして現代に甦らせた。

昭和の新歌舞伎が古典として蔵の中に入ってしまう寸前に、こうした形で再び世に出した幸四郎の仕事に、今の歌舞伎界の重鎮としての気概を感じる。

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2013.09.03掲載

コーラスライン 2013.09 自由劇場

もう32年も前のことになるが、学生時代にこの作品を観て客席から暫く立ち上がることのできないほどの衝撃を受けた。その感情とは全く同じとは言えないものの、劇団四季がメンバーを変えながら演じ続けて来たこの作品から受けるメッセージは毎回衝撃的である。舞台に引かれた一本の白い線。これが、「コーラスライン」で、そこに十七人の男女がオーディションを受けに来る。選抜された結果、射止めることができるのは主役や準主役の座ではなく、ダンスのアンサンブルだ。しかし、それをきっかけにショービジネスの世界でスターダムを駆け上がろうと夢見る若者や、一旦はそこで輝いた経験を持ち、再度挑戦しようとする女優が集まっている。演出家兼振付家のザックは、彼らの技術的な問題のみではなく、人間性や過去をえぐり出しながら、選抜を進めてゆく。何人がこの「コーラスライン」を超えることができ、次へのチャンスないしはそのきっかけを掴むことができるのだろうか。過酷なショービジネスの世界のバック・ステージ物、とも言えるが、それよりもなお、生々しい人間ドラマである。

「ワン」「悔やまない」などお馴染みの美しいミュージカル・ナンバー、そして一糸乱れぬダンスやオーディションの光景の緊張を伴った躍動感も大きな見どころの一つである。しかし、何と言ってもザックとの対話によって炙り出される登場人物たちの「半生」が我々に与えるものは大きい。ショービジネスに限らず、厳しくない仕事はない。しかし、同じビジネスの世界でも、それに関わる人間を精神的に丸裸にし、そこに我々が何を見、何を感じるか、がこの作品の面白さでもある。事実、演出家のザックが質問する言葉の中で使われる「それで?…」という次を促す言葉は、時には非情と言えるほどに過酷な響きを持って迫る。

外国の作品を日本で上演する際に頭を悩ませるのが科白の細かなニュアンスをいかに伝えるか、その国に独特の人種差別、あるいはセクシャリティの問題などをどう伝えるかだ。場合によっては意識にさほど差がないものもあるが、人種差別に関しては、日本人はリアリティを持って体感することはなかなかに難しい。日本語版の台本作成と演出に当たっている浅利慶太は、長い時間をかけてこれらの問題をいかに我々日本人に分かりやすいものにするか、違和感なく伝えるかを試行錯誤し、「四季版 コーラスライン」とも言うべき作品を仕上げた。伝えるべきメッセージや感情は変えることなく、日本の観客にすんなりと受け入れられるような舞台に仕上げた功績は大きい。ただし、それにはこれほどの経験と時間が必要だ、ということだ。今までに多くのキャストでこの作品を観て来たが、1981年に私が初めて観て以降、伝わる感動に変わりがないのがその証拠だろう。もはや、立派に古典と言っても良いほどに完成された作品である。

ただ、役者が違えば味わいが違うのはどの芝居でも同じことで、それぞれの舞台に多くの色がある。例えて言えば、今回の出演者の中で数々の芝居のタイトルロールを演じて来た田邊真也がポールの役柄に100%一致しているか、と言えばそうではない部分もある。しかし、作品全体の構成がキチンと決まった形式で演じられている中で、この僅かなずれを田邊真也の個性と見るか、新たなポールの演じ方と見るか、それは観客の受け止め方次第だ。あえて過去の役者と比較する必要もないのかも知れない。それは、「コーラスライン」がまだ力強い拍動を続け、変わっている最中だから、だ。確かに「四季版 コーラスライン」であることに間違いはないが、「決定版」ではない。「決定版」ができてしまえば、それ以上の物は望めないことになり、そこへ行き着くまでの面白さを観客が公演の度に感じるのも舞台の魅力である。劇団四季のミュージカルの「原点」とも言うべき作品の一つを、創立60周年の今、上演する意義はここにある。

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2013.08.19掲載

モリー先生との火曜日 2013.08 本多劇場

作者であるミッチ・アルボムの実体験をノンフィクションにまとめ、それを劇化した作品で、加藤健一事務所では2010年の公演に続いての再演となる。大学教授・モリーはALS(筋萎縮性側索硬化症)に侵され、スポーツ・ジャーナリストとして活躍していたミッチが、見舞いに訪れる。それから、モリー教授が亡くなるまで、毎週火曜日にミッチはモリー教授の元を訪れ、学生時代に戻ったかのように教えを乞う。しかし、話の内容は教授の専門である社会学ではなく、「生きること」と「死ぬこと」を中心にした話題だ。訪れる度に教授の様態は悪化してゆき、病と闘う様子がテレビで放映されたために、モリー教授は一躍時の人となる。しかし、時間は非情に流れ、モリー教授は死を迎える。その過程を描いた二人芝居で、今回は加藤健一のモリー教授と、子息の加藤義宗の親子共演だ。今までにも親子共演はあり、昨年、同じ下北沢の「ザ・スズナリ」で加藤義宗が初主演した「シュペリオル・ドーナツ」が記憶に新しいが、二人芝居は初体験となる。

加藤健一のモリー教授は再演でもあり、いろいろな意味で芝居の「ツボ」を知悉している役者だ。病気が悪化し、だんだんに身体が利かなくなる中でもユーモアを忘れない老教授の個性が強く滲み出ている。加藤義宗のミッチは、初演の高橋和也に比べれば舞台歴も浅く、直球勝負の感があるが、逆におかしな癖がなく、爽やかな明るさを持っているのが身上だ。昨年、自らが初主演を果たしたことで、以前に比べてぐんと芝居の寸法が伸びたようだ。親子での二人芝居であろうが幕が開けば先輩と後輩であり、ライバルでもある。ベテラン・加藤健一の胸を借りての挑戦、という部分はまだまだ多いが、ストレートにぶつかる姿には好感が持てる。

一体、いつの頃からだろうか。特に日本では、「老人は長生きで健康なのが当たり前」のような風潮が見られる。「アンチエイジング」の手法も盛んに喧伝されている。しかし、人生の最期の大仕事は、家族や友人・知人に「死ぬことを見せる」ことだと私は考えている。ことさら、死のイメージを避ける傾向が日本にはあるが、今までに死ななかった人は誰一人としていない。モリー教授とミッチは親子でも親戚でもない。しかし、教師と教え子という関係で結ばれ、長らくの音信不通でいたミッチが、恩師の病をきっかけに過去のような関係性が復活する。もちろん、その間に流れた時間によるお互いの変化はある。しかし、根底には信頼と尊敬に裏打ちされた人間関係が確固として築かれており、売れっ子のジャーナリストが仕事をライバルに明け渡してまで毎週飛行機に乗って恩師との数時間を求めて来る。

この芝居を、強い絆で結ばれた「師弟愛」の芝居だ、と観ることに何の異論もない。その感情がなければ、毎週わざわざ飛行機に乗ってまで見舞いには来ないだろう。しかし、ジャーナリストであるミッチに対し、モリー教授が自分の肉体を教材にして「死にゆくこと」を言葉と身体で伝える、まさに最期の授業、の感覚の方が私には強かった。誰もが迎える「死」を、キチンと見せ、語り、それを受け止めるのは大きな仕事だ。モリー教授の病状が悪化してゆく中で、ことさら爽やかに訪れるミッチの芝居が、あざとさを感じさせずに、かえって対照の妙で迫りゆく最期の瞬間の予兆を感じさせる。今後、加藤義宗という役者がどんな化け方を見せてくれるのか、そこに期待が持てる舞台になった。加藤健一の子息だから、ということではなく、今後の彼に託された責任は大きい。いかにしてそれに応えるか、次の作品を待とう。

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2013.08.14掲載

「この子たちの夏 1945・ヒロシマ ナガサキ」2013.08 世田谷パブリックシアター

もう長い間、何回かの見逃しはあるものの、真夏にこの舞台を観るのが私の習慣にようになっている。1985年に初演され、途中4年ほどの中断はあったものの、6人の女優によって読み継がれている「この子たちの夏」。昭和20年の広島・長崎で原爆に遭い、命を落とした子供たちやそれをなすすべもなく看取った家族の声を綴ったものだ。この日のメンバーはかとうかず子、島田歌穂、床嶋佳子、西山水木、根岸季衣、原日出子。上演日によって若干のメンバーの移動があるのは例年のことだ。長らくの制作母体であった地人会が解散し、地人会新社が、この志を引き継いで上演しているのが嬉しい。私は地人会時代の作品の選定や上演方法について、「演劇界の良心」と書いたことがある。一旦は消えたかに見えたその灯が、精神を変えることなく伝えられているのは嬉しいことだ。

この作品にしても、初演以来、一体何人の女優がこの本を朗読して来たことだろうか。もう鬼籍に入ってしまった人も多いが、この作品に込められているメッセージは、マラソンの聖火のように、消えることなく確実に時代と共に歩んでいる。声の出演の故・北村和夫の張りのある口調も懐かしい。パンフレットに上演台本が収録されているのも親切だ。こうしたことを変えずに続けてゆくことは、なかなかに難しい。決して派手に人目を引く舞台ではない。しかし、大掛かりではなくとも、上演すること、それを毎年続けてゆくことに大きな意味があり、実際にそれを行うには膨大なエネルギーが必要とされる。しかし、一見淡々と見えるかのようなこの公演に込められたメッセージ性は大きい。

広島で原爆に遭った子供たち。学校にいた子、土手で勤労動員に従事していた子供たち。長崎で、造船所の作業に出かけて原爆にあった女学生。眼の前で死にゆく娘をなすすべもなく見守らなければならなかった母。こうした、無辜の人々の理由なき、必要なき死が語られた後、その子供たちの顔が舞台に映し出される。それらの子供たちの最期を読んだ女優たちの力によって浄化されたのか、この子供たちの顔は、神々しくさえ見える。今年は68回目の終戦記念日である。その一方、現代の被爆である東日本大震災の復興は遅々として進まずにいる。世界で唯一の被爆国である日本が、世界最大の原子力事故を起こしたこの事態を、我々は後世の人々にどのように伝えれば良いのだろうか。

戦争を知る人々は年々減る一方だ。時間が経てば経つほどに、受け取る側の感覚もリアリティを失う。その隙間を埋めるのが、こうした舞台なのだ。毎年観ていて感じることだが、続けて出ている女優も、決してこの舞台に「狎れて」いない。自分が過ごした一年間の何かが、舞台で読まれる少年少女の声に反映されている。そこが、この作品の魅力の一つであるとも言える。言葉は、大きな力を持っている。後は、受け止める観客がそれぞれの想いでこの問題について考えてみることだ。また暑い終戦記念日がやってくる。しかし、それはセレモニーになってはいけないのだ。68年前の残酷な記憶を訴え続けていても、世界での核武装はなくならない。しかし、諦めてはいけない。やめることはすぐにでもできる。今まで続けて来たことを無にしないためにも、来年以降も続けてほしい公演だ。

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2013.07.29掲載

加藤登紀子コンサート 20132013.07 オーチャードホール

初めて彼女の歌を耳にし、気にかけていながら、コンサート会場へ足を運ぶまでに38年かかった。もちろん、その間に折々のヒット曲などはCDで聴いてはいたが、今年、没後50年を迎えるエディット・ピアフの歌を、どうしても生で聴きたかった。言うまでもなく、ピアフの曲は多くの人がカバーしており、劇的な生涯は舞台化もされている。しかし、彼女には他の人が歌うピアフとは違う「何か」があるであろうことを、根拠もなく感じていた。それが正鵠を射ていたことを、「私は後悔しない」(「水に流して」)で認め、アンコールの「群衆」では更に強固なものとなった。「私は後悔しない」のピアフばりの歌唱には、決然と生涯を貫いた一人の歌手の「魂」が感じられた。ピアフに似ているという表層的な問題ではない。また、「群衆」では、アップテンポのノリが、今までの私の疑問を氷解させた。この曲は、ピアフが南米へツアーで出かけた折に見つけた曲だと聞いている。だとすれば、ラテンのような明るく、弾むようなリズムの中で一人の孤独な女性の悲劇が歌われることで、より際立たなくてはならない。フランス製のシャンソンとは違うメッセージ性があって当然なのだ。それを、彼女は見事に表現した。

私は音楽の専門家ではないから、この一夜のステージがどういうものであったかを語ることしかできない。しかし、非常に「劇的」であったことは間違いない。「ピアフ」に捧げるオマージュとして、ピアフの楽曲を歌うばかりではなく、自らが観て、聴いて、感じたピアフを歌にする、という試みは加藤登紀子ならではの発想であり、それらを含めて、彼女がピアフを歌う、ということなのだ。

一部では「ひとり寝の子守唄」をはじめ、オリジナル曲をプログラムにはないものも含め10曲歌った後、二部でピアフの生涯に触れ、ピアフの曲、自らがピアフへのオマージュとして作った曲と合わせて7曲を歌った。「愛の讃歌」「パダンパダン」など誰もが知るピアフのナンバーの後、映画「キャプテン・ハーロック」のために作った「愛はあなたの胸に」で幕を閉じた。今年亡くなったシャンソン歌手、ジョルジュ・ムスタキとの想い出や亡き夫の話など、時に観客を笑わせながら、気軽なコンサート、と言った趣での2時間半である。今年、歌手生活48年を迎え、年末には70歳を迎えると聞くが、豊かな声量と満員のオーチャードホールの観客を引っ張る力はさすがにベテランならではのもので、肩肘を張らずに聴けるのが何よりだ。舞台は芝居でも音楽でも「生」であることに価値がある。心の襞の奥底にまで染み込むような彼女の歌声を聴いていると、改めて「生」の大切さを実感する。38年間の時間は、決して無駄でも損でもなかった、ピアフを介して出会うべき時に出会ったコンサートだった。

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2013.07.08掲載

ドレッサー 2013.07 世田谷パブリックシアター

役者と付き人という関係を、通常の社長と秘書のような関係性で語ることは難しい。どちらかの意志で離れない限り、性に合えば、付き人一筋数十年というケースも少なくはない。付き人は、従来からの日本の演劇界の慣習で言えば、マネージャーとも違い、楽屋内の一切を取り仕切る代わりに、表に顔を出すことはない。役者を中心に考えた場合、その役者の表の業務、スケジュール調整からギャランティの交渉、取材の対応など一切に当たるのがマネージャーであり、楽屋内でその芝居に出ている期間の役者の一切合切の面倒を見るのが付き人の仕事だ。ケースにもよるが、その精神的な結びつき、信頼関係は時として親族に勝ることもある。私自身が、何度かそうした瞬間を目の当たりにしているが、楽屋が役者の城だとすれば、主の以降を言葉にせずともすべてわかっている執事のような存在でもある。ベテランになれば、目配せをする前に、主が何を欲しているかがわかるほどだ。この『ドレッサー』は、第二次世界大戦中の英国の地方の、決して立派とは言えない劇場の楽屋を中心とした、いわば「バックステージ物」である。シェイクスピア劇団の座長である老優が疲労と戦争の空襲で精神状態が不安定になり、今夜の『リア王』の幕が開けられるかどうか、という劇団にとっての危機的な状態の中で、付き人が孤軍奮闘し老友を奮い立たせる。同じ芝居に妻も娘のコーディーリアで出演しているのだが、老優と付き人の精神的空間には妻でさえ立ち入ることができない。不安で錯乱する老優を、付き人はどうするのだろうか…。

ロナルド・ハーウッドの手になるこの作品は、1980年の英国での初演の翌年に日本で初演され、以降も多くの組み合わせで上演されている。私が記憶しているのは、1988年の三國連太郎と加藤健一のコンビだが、今回の上演に当たり、脚本が徐賀世子によって訳し直され、三谷幸喜の演出で喜劇的な側面がかなり強調されている。まず感じるのは、付き人のノーマンを演じる大泉洋が、相当の苦労をしたであろう、ということだ。こうしたウェルメイドな芝居は、一瞬の間のずれが命取りになる。そこへ加えて、三谷演出のテンポと可笑しさ、膨大な科白、ゲイらしい仕草と、役者にとっての宿題が山盛りの役だ。しかし、冒頭の、まだ楽屋に姿を見せぬ橋爪功の座長を待っている間の座長の口ぶりを真似る場面で、この芝居が面白くなるであろう予感を持った。相手は老練な橋爪功、二人がともにほとんど出ずっぱりで演じる芝居で、見事に息の合ったコンビぶりを見せてくれた。以前から感じていたことだが、橋爪功は、ひねこびた性格や、こすっからい人間、あるいは何かで追い詰められた状況で、他の役者にはない魅力を発揮する。この役も、そうした役者の個性が見事に活きたものだ。座長夫人が秋山菜津子、舞台監督のマッジが銀粉蝶、一座のメンバーに梶原善、浅野和之など贅沢な顔ぶれの芝居だが、二人のやり取りが圧倒的な比重を占めている。

この芝居、座長と付き人の関係が、劇場で演じられている『リア王』のリアと道化との関係に通じ、入れ子のような二重構造になっている。それは作者の意図として明らかだ。その上で、三谷演出は新しい翻訳による現代的な言葉を活かし、二人のやり取りの面白い部分をクローズアップして見せ、客席は湧いている。それも面白いのだが、私にはそれ以上に、役者と付き人という、他者には分かち難いほどの強固な結び付きの行く末にある物悲しさの方が先に立った。芭蕉の「おもしろうて やがてかなしき うぶね(鵜舟)かな」という句に共通する想いである。役者も付き人も、「芝居」の魔力に魅せられ、抜け出すことのできない「業」の中で生きている人たちだ。それが大泉洋と橋爪功によって炙り出されたような気がしてならない。

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2013.07.03掲載

蓼派創立八十五年 記念演奏會 2013.06.28 三越劇場

久方ぶりに小唄の会に足を運んだ。日本の三味線音楽の中で、大きな舞台での演奏を目的としたものではなく、江戸時代中期にお座敷芸として独自の発達過程を経た「端唄」にその源流を持つ、一分から三分程度の唄である。元は芸者衆が料亭の座敷などで披露するために、三味線も撥を使わずに、爪弾きで粋な音色を聴かせるものだ。時代の流れの中でお座敷遊びの形も変わったが、小唄という江戸前の粋な芸は健在だった。

今回の演奏會は、小唄の中の一つの流派である「蓼派」の創立八十五年を記念しての大規模な演奏會で、午前十一時から夕方の六時頃まで、七十番を超える演奏が行われた。爪弾きの粋な音色に身を委ね、日頃の慌ただしさを忘れるような空間と時間に身を置くことは、このせわしない時代には大層な贅沢と言えよう。僅かな時間に込められた粋や洒落、情感などを何かふわりとした感覚で楽しむことができるのは、他の古典芸能との違いと言えるかも知れない。それだけ、洗練され、洗い上げられた芸なのだ。昭和も初期には、実業で名を成した人や政治家などが、小唄のいくつかは口ずさめる程度に一般にも教養として浸透していたし、中には雅号で自らが作っている人も多い。通常、小唄の会というのはゲストに名の売れた歌舞伎役者などを迎え、「小唄振り」で数曲踊ってもらい、花を添えて観客を動員するケースが多いが、今回の「演奏會」はまさに実力勝負で、小唄だけで一切のゲストはなかった。それでいて三越劇場を満員にしたのは、初代家元・蓼胡蝶をはじめとする亡き師匠や先人たちに対する敬意と、この演奏會を運営する人々の見識であろう。同時に、それだけの練達の腕を持つ人々の、小唄に対する愛情と意気込みである。

今の我々の前には、多種多様の音楽があり、選び放題である。年代によって好むジャンルや楽曲も違ってはいるが、日本人の根源を成し、捨てがたいのは三味線の韻律であるはずだ。それが、今は深い眠りについてしまったのだろうか。小唄に限らず、長唄や常磐津なども、一般の間での稽古人口は減少している。時代の流れ、という便利な言葉で片付けてしまうのは簡単だが、わずか70年ほど前には、どれほど多くの人々が当たり前に三味線の音色を楽しんでいたかを思うと、日本の芸能はどこへ向かおうとしているのか、と言いたい気にもなる。何でもかんでも古い物が良い、と言うのではない。古い物だからと捨てる物の中に、黄金があることを知らずに捨ててしまうのは、もったいない、ということだ。先人が多くの苦労と共に育てて来た「小唄」の世界は、今もって健在であり、芳醇な情緒を漂わせている。今のように殺伐とした時代だからこそ、こういう芸能が必要なのだ。そのことを、一日掛けて観客に知らしめしたのが今回の「演奏會」であったと言えよう。

「小唄の魅力だけで勝負する」と、背水の陣とも言うべき覚悟で創立八十五年の演奏會を見事にしおおせた「蓼派」の人々、その先人には敬意を表すると同時に、今もなお、芸の水脈は途絶えていないことを証明した演奏會でもあった。また、昭和2年、蓼派の創立と同じ年に開場し、戦火を免れた三越劇場の空間が、小唄の世界に実にぴたりとした寸法だ。幾多の名人上手の至芸を観て来た舞台に、また一つの新たな思い出が加わった舞台である。

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2013.06.21掲載

崩れゆくセールスマン 2013.06 青年座劇場

今も振り込め詐欺をはじめとして、老人を騙す犯罪は、手を変え品を変え行われている。しかし、単体での大きな事件と言えば、1985年の「豊田商事事件」だろう。「純金を売る」という触れ込みで実態を見せぬままに、3万人の被害者から2000億円を集め、社会問題となったばかりではなく、テレビカメラの前で永野会長が刺殺された映像は衝撃的だった。

今回の青年座の公演は、野木萌葱がこの事件を題材に書いた脚本を青年座の黒岩亮が演出している。1時間50分の芝居を、一杯道具を効率的に使ってテンポのある演出になっているが、役によってはやや類型的になっているものもあり、一考の余地があるだろう。現実の事件を知っている人々が多い中、演出家としては苦労のしどころだ。野木萌葱の脚本は、「騙す方と騙される方」のどちらが悪い、という決定的な判断を下してはいない。法律的に考えれば、騙す側が悪いのは言うまでもないが、人間として、「あなたはどちらなのですか」という問い掛けを観客にぶつけているようにも感じられる。詐欺事件ほど大きな話ではなくとも、人を騙したことのない人など存在するわけはない。騙される方も、詐欺の場合は「自分が得をするため」に騙されるという心理は、私も経験したことがある。若い作家だが、科白が冗漫にならず、それでいてきっちり書き込んであるのは嬉しいことだ。小劇場の公演の多くが2時間を上演時間の基準になっているようだが、それを超えると観客の集中力は極端に低下する。彼女は、それを生理的な感覚でわかっているようだ。

一人暮らしの老女のところへ、セールスマンがまるで子供か孫のような親しさで「ばあちゃん」と言っては入り浸り、何かと細かな心遣いを見せる。あるいは、男性には女性のセールスマンが、若やいだ華やぎを持って足繁く訪れる。老人の寂しさに付け込んだところから、信用を勝ち得て商売が始まるのだ。騙される老婆にも息子も孫もいるのだが、滅多に電話一本寄越すわけではない。そうした日本の歪んだ家庭の構造にいつの間にか空いていた小さな穴に眼を付けた「詐欺」だとも言える。石母田史朗が演じるセールスマンは、あざとさを感じさせることなく、ごく自然な形で山本与志恵が演じる老女との擬似的な関係を築き、遂に、金塊100g、30万円の契約に漕ぎ着ける。しかし、彼とトップを争う女性セールスの野々村のんは、同じ団地に住む名取幸政が演じる老人に巧みに取り入り、3キロ、1000万円にも及ぶ契約に成功する。しかし、こんな商売が長続きするわけはなく、やがて被害者がマスコミや警察に訴え、事件は世間の知るところとなり、どんどん拡大してゆく。この辺りのドラマの進め方は、現実の出来事を丁寧に追っているが、単純にそれだけではなく、作者のトラップが仕掛けてある。

幕切れ近く、騙されていた老女が、再び訪れたセールスマンの前で、仏壇から何十枚もの契約書を取り出す。ゴルフ会員権、レジャーランド、いずれも詐欺である。驚くセールスマンを前に、「あたしを、騙し続けなさい」と言う言葉には、「幸せに飢えていたの。迷ってるヒマなんかなかったわ」という、孤独な老人の痛烈な叫びがある。いくらお金を抱えていても、一人でぽつんと暮らしている孤独に比べれば、騙されていると分かっていても、つかの間の幸せを味わう方が重要だったのではないか。もしもそうであるなら、法律的には犯罪である詐欺行為も、一瞬とは言え、孤独な老人を慰めるためには役立っていたのではないか。もちろん、この論法が、法律的に通用するわけはない。しかし、観客にそんな錯覚さえ抱かせてしまう芝居である。騙されても幸せになれる、という老人の理論を、否定するすべはあるのだろうか。そこまで老人を追い込んだのは誰なのか。社会なのか、家族なのか、時代なのか。若い作家は、この問題をも観客に問い掛ける。

サラリーマンを演じる石母田と老女の山本が、自然な演技で好演を見せる。騙される側と騙す側という両極に立ちながら、二人の間にはほのぼのとした空気さえ漂っている。不思議な感覚だ。必ずしも大劇場でスターを並べずとも、心に響く芝居はあるものだ。

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2013.06.06掲載

レ・ミゼラブル 2013.06 帝国劇場

1985年にロンドンで初演され、日本での初演は1987年6月の帝国劇場公演だった。その折に受けた「今までのミュージカルとは違う」という印象は、鮮烈だった。その後、日本のミュージカル界でも重要な位置を占める作品となり、多くのミュージカル・スターが輩出されたことは言うまでもない。ロンドン初演の25年後の2010年に、プロデューサーのキャメロン・マッキントッシュが、「新しい『レ・ミゼラブル』の製作を」と、装置、音楽、役のキャラクターなどを新たに創り直し、いわば21世紀バージョンの『レ・ミゼラブル』が誕生した。ロンドンでの大好評を受け、アメリカ、スペイン、韓国を経て、今回が日本での初演となった。小説の原作者、ヴィクトル・ユゴーの絵画を使い、重厚さを増した迫力のある舞台装置に、合成の映像を使い、よりスケールの大きな作品に仕上がった。

日本でも25年以上の長きにわたり上演され続けているミュージカルは何本もある。『マイ・フェア・レディ』や『屋根の上のヴァイオリン弾き』などは、演者によって演出も変わり、『マイ・フェア』では21世紀バージョンの演出がされているが、作品の根本から創り直しているわけではなく、権利の上からも、それは不可能な話だ。日本の芝居で言えば、『細雪』、『放浪記』が、最初の台本に大きく手を入れて今もなお命脈を保っている、という点では共通項がある。この二つの作品の最初の脚色者が、日本にミュージカルスを、との悲願を持っていた劇作家であり東宝の重役でもあった菊田一夫、というのは象徴的だ。外国のミュージカルでも、東宝作品でもしていることを、なぜ日本の古典藝能である歌舞伎はしようとしないのだろうか。演劇は、時代と共に、観客と共に変容するものではないのか。ワーグナーのオペラが、演出家によって想像もできない形に姿を変えても、ワーグナーの評価が下がるわけではない。歌舞伎に限らず、古典を守ることは、今まで通りに演じることだけではないはずだ。そういう意味でも、このニュー・バージョンの出現は多くの示唆に富んでいる。

4月23日にプレビューの幕を開け、7月10日まで上演が続くロングラン公演で、いつもの『レ・ミゼラブル』のように、主な役は3人、または4人のキャストにより、交替で上演している。キャストも大幅に変わり、新しい顔ぶれが増えた。開演当初は、事故による休演などがあったが、結局のところ、一つのカンパニーとしてのまとまり、という意味で考えれば、どの役が誰に変わろうとも、『レ・ミゼラブル』なのだ。以前からの舞台を知っている観客は、その比較の楽しみがあろうし、今回初めてこの作品に触れる観客が、どの組み合わせが当たり、はずれということではない。『レ・ミゼラブル』を演じるために、端役に至るまで神経を行き届かせてできているカンパニーである以上、日によって差があってはいけないのだ。私が舞台を観た日のジャン・バルジャンは誰で、ジャベールは誰で、その演技が云々ということよりも、新しく生まれ変わった『レ・ミゼラブル』が我々の眼にどう映ったか、の方が重要な問題であると私は思う。

かつての舞台と比較すれば、役の個性がより際立ったこと、カンパニーの濃密さがより増したこと、重厚な装置に負けぬ重みを持った芝居になったこと、この三つが挙げられよう。演劇評論家としては言ってはいけないことだが、私は、かつての『レ・ミゼラブル』は好き嫌いで言えば、あまり好きな作品ではなかった。しかし、今回、幕が降りる瞬間に、理由の分からぬ涙が頬を一筋流れ落ちた。カーテンコールが終わらぬうちに早足で劇場を後にしたが、誰ともしばらく話したくない、そんな気持ちになった。

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2013.06.03掲載

「HAIR」2013.05 シアターオーブ

翌年、大阪で万国博覧会が開催されようとしていた1969年に、渋谷にあった東横劇場で初演されたロック・ミュージカルである。折からベトナム戦争の時代で、日本は70年安保を前に若者や学生が学園闘争や集会、デモ行進などを行っていた。今から45年前に、「反戦」という思想をアメリカのヒッピーたちを中心に描いたこの作品は、アメリカでは50万人もの若者を集めたロックフェスティバル「ウッドストック」にもつながり、現代史、演劇史の両面から、多くの問題を孕んでいる。劇場は変わったが、同じ渋谷の街で、約半世紀という歳月を経て上演されたこの作品、観客は圧倒的にベトナム戦争も日本の学生運動も知らない世代が多い。ちらほらと、当時の状況を知る年代の観客も見られたが、私には、何も知らない世代がこの作品をどういう眼で観るのかに興味があった。

カーテンコールになり、出演者が踊る中で、ごく自然に、観客がステージに上がり、共に歌い、踊り始めた光景に、私は圧倒され、驚愕した。これが、キャパシティ300人クラスの小劇場や、800人程度の中劇場なら、分からない話ではない。しかし、2、000人を超えようという大劇場でこうした事態が起きたことに驚いた。終演までの観客は、いつもの他の芝居の観客と同様に静かに舞台を鑑賞し、適宜に拍手をする、「いつもの観客」だったからだ。それが、芝居が終わった途端に、何かが爆発したような勢いで、数十人がステージへ上がった。舞台の上で興奮し、にこやかな笑みを浮かべて踊り、歌う観客には、何の衒いもない。1960年代の事実を知らなくとも、2時間半の舞台で、劇場が一体化した、ということだ。しかも、科白も歌も全編英語で、字幕での判読である。今の日本に、こうした芝居があるのかどうか。受け取る側の感覚は違っていても、劇場を一体化させるだけのパワーを持った作品が日本にはない、ということをいささか愕然とした想いで眺めると同時に、あえて大きな劇場を選んだことに制作側の見識を感じた。

ドロップアウトしてドラッグやセックスに憂身をやつすことで、荒々しい時代と自分を隔絶していると夢想している若者たち。今なら、それは携帯電話のゲームなのか、恋愛観なのか。いつの時代にも若者が抱えている虚無と煩悶である。主人公であるクロードは、仲間が拒否した徴兵を自分も一旦は拒否するが、長く伸びた髪をバッサリ切り落とし、軍服に身を包んで出征する。自らが求めるべき「平和」のために、である。私が持つこの時代の微かな記憶は、70年に新宿西口の地下広場に集まった若者たちがフォークソングで反戦集会を開いた時のニュース映像ではなかっただろうか。今、おりから憲法改正の論議が囂しい。私の個人的な思想はともかくも、「HAIR」に見られるような、明確な意志表示と行動が、今の若い世代からのうねりとして感じられないのは事実だ。「反戦」という人類にとって永久の問題である一つのテーマを、今の我々はどう考え、行動するのか。ライブである演劇ゆえに、こうしたメッセージに対する演じ手と受け手のやり取りが起きる。しかし、2時間半が過ぎ、劇場を後にして降り立った渋谷の街は、当然のごとく何も変わってはいない。

我々は、外にも内にも憂いを抱えた今の時代を、どう生きるべきなのか、それをどういう行動であらわすのか、という問い掛けを突き付けられた「HAIR」。44年前と、問題の本質は何も変わっていない。それを考え、歩く私の足取りは重かった。しかし、何も知らない世代がこの作品にあれだけの化学反応とも言える行動を見せたことが、少し足取りを軽くさせてくれた。考えるべきことは多い。

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2013.05.26掲載

田村 亮 朗読と音楽で描く「日本神話の世界」2013.05 スイートベイジル

大地の底から湧き出るような力強い原初の音。世界最古の楽器、と言われているディジュリドゥの響きだ。一本の木が白蟻に食い尽くされて空洞になったものを利用したアボリジニの楽器とのことで、音階や旋律はない。しかし、圧倒的な迫力を持って、地響きのようにお腹の底に響く音だ。他に、平原を吹き抜ける風の音のような石笛、祝詞、パーカッション、シンセサイザーなどを駆使する三人の「Infinity Arts MUGEN」が、音で「古事記」の世界を生み出す。

その中で、「国産み」から始まり、「黄泉比良坂」、「天の岩戸」「八岐の大蛇」など、多くの人が知る物語を、田村亮が読む。原文そのままでは、もはや今の我々には理解ができない部分も多いことに配慮してか、平易な現代語に訳された台本を朗読用に構成し直したものを使っているようだ。

田村亮の読み方は、何よりも自然であることに重きを置いているように聞こえる。わざとらしい芝居めいたことをしたり、変な声を創ろうとせずに、真正面から作品に向き合い、読み、時には語るかのような口調で「古事記」の物語を進めてゆく。そのおかげで、すんなりと物語が頭に入り、神々の姿が頭の中に浮かび上がる。余計な夾雑物を排したシンプルな朗読は、長年舞台に立っている俳優として、言葉の持つ力を身体で知っているからこそ、できる技である。ここ数年、「朗読の会」のような催しが格段に増えた。その背景にある演劇界の不況や、作品の変容などの事情は分かるが、人数が少なく、装置がいらず、小さな場所でできるから、という発想でできるほどお手軽なものではない。あえて言えば、衣装も付けずに、道具や相手役の力も借りずに、役者の個性と自分一人の力だけで観客を引っ張ってゆく、最も高度な芝居だと私は考えている。かつて、朗読の名手と謳われた宇野重吉や山本安英が、どれほど「ことば」というものに注意を払い、研究をして読んでいたか、もう遠い時代のことになった。今の朗読劇は、そうした意味では玉石混交の状態にある。中には、「覚えなくてもいいので、この方が楽だ」という人もいる体たらくだが、田村亮は言葉の持つ霊力を知っている。だからこそ、素直に、自然に古事記に相対したことが良かったのだろう。物語の合間のトークも、飾らない人柄を感じさせ、気軽に古典の世界へ誘ってくれる。

この催しは今年で八回目を迎えると聴いた。今までに、金子みすゞの詩などの朗読もしたようだが、今回初めて朗読をする田村亮の姿を聴き、「古事記」とは良いところに眼を付けたと感じた。出雲大社や伊勢神宮の遷宮でブームになっているから、という浅薄な考えではない。我々日本人の原初の物語だからである。「皇紀」という言葉が死語になり、アダムとイブの名前は知っていても、イザナギ・イザナミの名前を知らない日本人の方が多い時代になったのではないか、と危惧している私にとっては、若い人々にもぜひ聞かせたいステージだった。国は違えど「古代」を偲ばせる楽器とのコラボレーションも素晴しく、「古事記」の未読の部分や「日本書紀」など、日本の古代の物語をシリーズ化して語ってもらいたいものだ。

ステージが終わり、バースデー・ケーキが出て来た。田村亮のバースデー・ライブだったのだが、チラシにもポスターにも、その文字は一言もない。「嫌だったのに…」と照れ笑いをしながらケーキのロウソクを吹き消す姿に、この役者の飾らぬ姿が垣間見えたのが嬉しかった。

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2013.05.17掲載

前進座五月国立劇場公演 2013.05 国立劇場

創立80年記念公演を無事に終え、82周年に突入した前進座の恒例の五月国立劇場公演。今回は真山青果の「元禄忠臣蔵−御浜御殿綱豊卿」と長谷川伸の「一本刀土俵入」の二本と、ボリュームのある座の財産演目が並んだ。中村梅之助が怪我で休演というアクシデントはあったが、第二世代の代表格・嵐圭史に第三世代の藤川矢之輔、河原崎国太郎、嵐芳三郎たちが懸命の奮闘を見せている。今も人気の高い「元禄忠臣蔵」は、歌舞伎の市川左團次に当てて書き下ろされたものだが、全編の上演を果たせぬままに左團次が昭和15年に亡くなり、完全上演をしたのは、昭和16年から18年にかけての前進座公演である。以後、「御浜御殿綱豊卿」は今回で12回目の上演となるが、個人的に印象深いのは、昭和55年の創立50周年記念公演の折に歌舞伎座で演じた舞台である。この時は、片岡孝夫(現・仁左衛門)が綱豊に客演し、梅之助の富森助右衛門と丁々発止のやり取りに、創立メンバーの五世国太郎や中村翫右衛門らが脇を固め、歌舞伎座出演の悲願を果たした。

赤穂浪士を何とか討ち入りさせてやりたいと思っている徳川綱豊の屋敷での浜遊びに、吉良上野介が来ることを知った浪士の一人、富森助右衛門は伝手を頼って顔だけでも、と屋敷に来る。それを知った綱豊は助右衛門を呼び、からかいながら辛辣な言葉を浴びせ、赤穂浪士たちの本心を探ろうとする。激情した助右衛門は…。十島英明の演出は、真山青果の原作通りのもので、今までの松竹の歌舞伎とはいささか異なる場面がある。大詰めの綱豊の衣装などは、現行に上演方法の方が見栄えはするが、原作に忠実な演出も大切なことだ。

真山青果の間の詰んだ科白劇は、作品によっては「理屈っぽい」とも言われ、そう感じることもある。しかし、この芝居は対照的な二人のやり取りと、綱豊の朗々たる科白に酔うこともできる。嵐圭史の綱豊、今回で三回目になるが、いつものような爽やかさに欠け、科白がもたつく場面があるのが残念だ。せっかくの風姿を持っていながら、それを充分に活かし切れなかったのが惜しい。対する芳三郎の助右衛門、今回が初役ながら圭史に五分で渡り合えるほどの力を見せた。外部出演で鍛えられたせいか、このところ、芝居の腕が伸びたようだ。先輩の芝居を受け継ぎながら、自分なりの解釈を加え、新しい役を生み出す。劇団の良い部分である。

長谷川伸の「一本刀土俵入」。こちらも前進座には縁の深い芝居で、昭和15年の初演以来、今回で17回目の上演となる。46年間にわたって演じた先代・国太郎のお蔦が一級品として瞼に残っているが、駒形茂兵衛を演じる矢之輔と孫の現・国太郎のコンビが2回目の挑戦である。この作品も第三世代のものとして歩み始めた、ということだ。国太郎のお蔦が若々しい色気で、矢之輔の茂兵衛との釣り合いが良い。二人ともに、科白の調子や間など、先輩たちに比べればまだまだ研究の余地はある。しかし、第三世代が中心となって座の財産演目を確実に受け取っている、という実感が持てる。若い役者も徐々にではあるが育って来た。松竹以外で歌舞伎を演じる劇団は、珍しく、貴重な存在でもある。歌舞伎座の?落とし、明治座の花形歌舞伎に伍して、国立劇場で堂々と歌舞伎の公演が打てるだけの蓄積を持った劇団だ、ということだ。むろん、解決しなくてはならない問題はたくさんある。82年の歴史を大切にしながら、新しい一歩がどこへ進むのかを観てゆきたい。

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2013.05.12掲載

新宿昭和ラストナイト 2013.05 紀伊国屋ホール

今の若い人には信じてもらえないが、私が子供の頃、靖国通りを都電が走っていたこと、三光町の交差点をトロリーバスが走っていたことを微かに覚えている。その当時の新宿は、今の賑わいが嘘のような田舎くさい猥雑さの漂う街でもあった。私は東京っ子だが、お出かけは「銀座」で、新宿は家が近いせいもあり、自転車で遊びにゆくような街だった。私はそんな新宿が大好きだ。この「新宿昭和ラストナイト」は、高平哲郎の作・演出で、昭和64年の1月6日の夜から翌朝にかけての、まさに昭和の最後の夜に新宿のとあるバーで繰り広げられる物語だ。最近、昭和を知らない世代にも昭和への憧れを感じる人が多い。「昭和」という今となっては古き良き時代を、まさに新宿の真ん中の紀伊国屋ホールで上演する、という試みは面白い。64年にわたる日本の最長の元号の中で、それぞれの「昭和」があり、どんな想いがそこにあり、新宿の街は人々をどんな眼で眺めていたのだろうか。舞台にはいかにも時代を感じさせるバーのカウンターがあり、ピアノの生演奏が流れる中、元・ムーラン・ルージュの脚本書きだった藤田(斎藤晴彦)が現われ、過去と現在を行ったり来たりしながら、かつての新宿の姿が語られてゆく…。

ここまでの発想は良いのだが、高平哲郎の脚本と演出がいかにも荒っぽくて雑な仕事で、せっかくの古き良き「昭和の香り」が客席に漂って来ない。すべてのエピソードは断片的な単なる想い出話に終始し、それらが絡まり合って一つの何かに収束されるわけでもなく、最後まで舞台は散らかり放題で終わるばかりか、斎藤晴彦、えまおゆう、久野綾希子らの個性が全く引き出せていない。休憩なしで1時間45分の一幕芝居が、これほどに長く感じられたのは、最近では珍しい。

今は時代の流れが凄まじいまでの速さで、「10年一昔」どころではなく、アッという間に時代の波の中に埋没し、圧倒的な情報の氾濫の中で、人々の記憶から消える。わずか50年ほど前の昭和30年代の話とは言え、もうキチンとした「時代考証」が必要になってしまったのだ。しかし、鎌倉時代の話を再現しようというほどに困難な仕事ではないはずだ。その時代考証がいかにも上っ面で、これを「古き良き昭和」の姿だと理解されては困る。たとえ細かなこととは言え、どんな芝居もそこを疎かにすると、城の石垣がポロポロと欠け、やがては本丸を揺るがすことになりかねない。時代劇がそうなってしまったことを知っている演劇人が、同じ愚を繰り返す必要はあるまい。幕が開いた途端に不自然さを感じたのは、昭和天皇崩御の数時間前であるにも関わらず、その話題が全く出ないことだ。昭和64年が明け、お正月ムードもどこへやらで、毎日NHKが24時間体制で「今日の下血、何CC。体温、何度。血圧…」というテロップを流し続けていた状況で、その話題が出ないのはおかしい。増して、幕切れが「崩御」の臨時ニュースで終わるのであれば、「ラストナイト」としての伏線が必要だろう。

細かな点での具体的な事例をいくつか挙げれば、かつて「しょんべん横丁」という愛称で呼ばれていた通りで見た傷痍軍人は、仕立下しのような綺麗な衣裳ではなかったし、昭和30年代の娼婦が、あんなに現代的なデザインの靴を履いていたとは思えない。娼婦にしても、この芝居に登場する場所の娼婦は「青線」と呼ばれていた区域の女性であり、その説明もない。また、ムーラン・ルージュに出て来る有島一郎などの名優をただ固有名詞で投げ出しても今の観客にはどれほど巧い役者だったのかは理解できないし、まずは「ムーラン・ルージュ」自体が分からないだろう。ひどいのは、レストランのコントのシーンで、「うちのスパゲティはアルデンテですから」という科白がある。昭和30年代の新宿の「洋食屋」のスパゲティに「アルデンテ」などというゆで方はない。むしろ、うどんに近いような太さの真っ赤なスパゲティこそが、あの時代の本流だ。

こうした細かな齟齬がいくつも積み重なるので、芝居の中に入ってゆくことができないばかりか、登場人物の心持ちが何も伝わって来ない。作者の「想い」がどこにあり、この舞台を通じて何を見せたいのか、聞かせたいのかが、全く分からない。昭和を偲び、想いを馳せることは否定しない。しかし、公の舞台で見せるものと、個人の想い出とは違う。昭和を語ることは次の世代への義務だ。しかし、「歪曲」はいけない。増して、舞台の上で観客に見せるのであれば、より細心の注意を払うべきだろう。本来の力を発揮できない役者が気の毒だ。

芝居は、第一義的には作者のものであり、演出家が役者の肉体を通じて命を吹き込んだ後は、観客のものだ。我々演劇人は、それを忘れてはならない。

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2013.05.07掲載

メンズ・クラクラ日記 2013.05 東京芸術劇場 シアターウエスト

「トーマの心臓」や「LILIES」など、男性だけの劇団で女性も演じ、独特の耽美な世界を描き続けて来た劇団「スタジオライフ」。この劇団の芝居を観るのは何年ぶりだろうか。今回の公演は、劇団唯一の女性であり劇作家・演出家でもある倉田淳の作品ではなく、劇団「道学先生」の中島淳彦の「メンズ・クラクラ日記」で、劇団の枠を超えてコラボレーションするという「ライフ企画」の第一回公演だ。何だか、旧友の同窓会に出るような親しみを覚えて劇場へ出かけたが、彼らも年を重ね、「おじさん」の役を演じるようになったか、と思う一方、スタジオライフへ軸足を置きながら、それぞれが外部の仕事で切磋琢磨し、かつての一時期とは違う魅力を持った大人の役者として舞台に立っていることが好もしくも思えた。

笠原浩夫、甲斐政彦、楢原秀佳、深山洋貴、藤原啓児、河内喜一朗。劇団の第一世代とも言えるメンバーを中心に、前田倫良、緒方和也が加わった、男8人の芝居である。舞台は、茨城県にある須崎冷気という会社の工場の中庭。昼休みにたむろしている社員たちに、不景気の煽りを受けて会社の野球部が廃部になる、というニュースが聞こえて来た。今の我々の世界のどこにでも起きかねない日常の身近な問題だ。リストラされた社員の自殺と、残された日記に込められた会社への怨みの言葉。テーマはシビアだが、それを明るく、軽く見せようとする中島淳彦の脚本と、青山勝の演出のコンビが巧く仕上げている。

東北の農家から十年以上出稼ぎに来ている「吉岡のとっつぁん」というあだ名で呼ばれる楢原秀佳が抜群の出来だ。しばらく舞台を離れていたように記憶しているが、そのブランクを感じさせない。科白が余りにもネイティヴで、時には意味を図りかねるほど、どっぷり役を創り込んでいる。工場の主任・伊藤の藤原啓児の困った中年のサラリーマンぶりが見事なまでの弾けっぷりを見せるかと思えば、甲斐政彦は今まで演じて来た二枚目ぶりをかなぐり捨てて、「バカの山崎さん」というあだ名の冴えない工員を、ベタベタの茨城弁で演じ、三つ巴の芝居になる。そこに、野球部のエースである大島の笠原浩夫が、かつて見せたニヒルな雰囲気を巧く役柄相応の年齢で見せる。彼らの芝居を初めて観たのは、同じ東京芸術劇場で1998年に上演された「ヴァンパイア・レジェンド」ではなかったかと思うが、15年前には想像もできない姿である。しかし、それが何の違和感もなく、むしろ共感に近い感情で観られるのは、彼らの成長によるものだろう。劇団の代表でもある河内喜一朗が、リストラされ、自殺した小柳という元の社員の亡霊として随所に顔を出すが、ここにも年功が見られる。

誰でも平等に歳を取る。若い頃の美貌と雰囲気でファンタジーの世界を創り上げていた彼らが、「おじさん」の世代になって、等身大の芝居を伸び伸びと演じていられるのは幸せなことであり、現在へ至るまでの研鑽の結果であり、役者の幸せでもある。若い劇団員を中心とした「スタジオライフ」の耽美派路線を否定するつもりはない。むしろ、こうして「二段構え」の構造で新たな試みを始めたことが楽しくもある。若い世代とその上の世代がお互いの年齢と居場所でどのような芝居を見せるのかは、今後の企画次第だ。しかし、今回のように劇団同士が垣根を超えてコラボレーションを組むことは、日本の演劇の中では頻繁に行われて来たことであり、これをきっかけに、更に幅を広げた芝居を見せてもらいたい。

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2013.04.18掲載

夏・南方のローマンス 2013.04 紀伊国屋サザンシアター

同じ芝居の初演と再演を観るケースは少なくない。しかし、その間が26年空いている、というケースはさすがにそうはあるものではない。劇団民藝が上演している木下順二の「夏・南方のローマンス」は、戦争犯罪の「罪と裁き」の問題を投げかけた「神と人のあいだ」の第一部「審判」の後を受け、1970年に一度発表された作品だ。しかし、作者が出来栄えに納得せずに自らの手でお蔵入りにし、改稿を経て1987年に銀座セゾン劇場(現在のルテアトル銀座)で初演された経緯を持つ。初演の舞台は宇野重吉の演出で、瀧澤修、奈良岡朋子、伊藤孝雄らの豪華なメンバーに胸を躍らせた記憶は今も鮮明だ。しかし、26年の歳月を経て、当時は理解できなかったことがようやく今回分かったこともあり、この芝居が持つテーマの大きさを改めて感じさせられる作品でもある。今回の演出は丹野郁弓で、同じような主旨の文章をパンフレットに記しているが、彼女の感覚は良く理解できる。まずは、木下順二のこの難解で余りにも強烈なメッセージを持った作品を、現代の役者と観客の視点で演出したことに拍手を贈りたい。と同時に、縁の深い作者の作品とは言え、上演の機を26年窺っていて実現させた民藝の熱意を感じる。

敗戦後数年を経た時のある公園。南方の島での戦時中の行為を戦争犯罪と問われ、絞首刑にされた軍人の愛人が、妻に会いに行く。そこで、生き残った戦友たちと出逢い、話は現在と戦争中の島、そして軍事裁判の法廷を行き来しながら進んでゆく。絞首刑になった男と生き残った男たちには、何の違いがあったのか? 一体、裁判では誰が何の権利を持って裁いたのか? 木下順二が他の作品でもたびたび問い掛けている「人が人を裁くことはできるのか?」というテーマと同時に、誰かが犠牲になることで、こうした戦争犯罪に関する事柄や戦争自体が時の彼方に過ぎ去ってゆくことが許されるのか、という問題が提起されている。

当然のことながら、26年前の初演とは大きくメンバーも変わり、初演と同じ役を演じている梅野泰靖、鈴木智、初演に出演はしていたが、違う役の伊藤孝雄以外は、ずいぶん若返った。その分、昭和20年代の科白の感覚が薄れているのは否めない。ちょっとした科白のイントネーションや僅かな間の問題なのだろう。とは言え、26年前の舞台を忠実に再現したところで意味はない。演出家が変わった以上、新たな視点で読まれた戯曲が、現在の役者の肉体を借りて表現されるのは当然のことであり、観客も変われば上演される場所も変わっている。これらの問題を踏まえた上で、戦地から生還し、絞首刑になった男の妻に想いを寄せる男Aの齊藤尊史、絞首刑になる男Fの塩田泰久が好演している。この芝居を、現代の観客がどういう視線で受け止め、何を感じるのか。パンフレットの中に転載されている、木下順二が1975年に朝日新聞に寄稿した『未清算の過去』は、初演以来26年の間にどう変化をしたのか、あるいはしなかったのか。

私は戦後生まれの世代で、戦争を語る資格はない。亡くなった父親や祖母から、戦時中の話を聞いてはいるが、体験には及ばない。しかし、批評家として、観客として、作者である木下順二からの問い掛けに答えるならば、「人が人を裁くことができるのか」という問題については、「まだ答えられません」と兜を脱ぎ、「戦争犯罪の問題や戦争を忘れて良いのか」という問題には、「忘れるべきではない」としか言葉を持ち得ない。それほどに、この作品が孕んでいるテーマは重く、厳しい。

劇団民藝は、北林谷栄が当たり役にしていた『泰山木の木下で』など他の作家の作品を含め、「戦争反対」の立場を明確にしている。これは、1950年の劇団創立以前からの新劇運動の中で、左翼劇を中心に演じていた瀧澤修などの中心メンバーからの思想を引き継いでいるものだ。劇団の理念に賛成するかどうかはともかくも、作品を通じて投げ掛けられる問題はキチンと受け止めるべきだと私は考える。戦後68年を迎える今もなお、こうしてさまざまな視点から一本の軸を訴え続ける劇団の姿は、日本の現代演劇史の一つの側面でもある。我々は、戦争を忘れてはいけない。同時に、この訴えを今もなお、形を変えながら発信している劇団民藝の歩みも評価したい。

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2013.04.16掲載

今ひとたびの修羅 2013.04 新国立劇場中劇場

私は、良い芝居の条件の一つに、登場人物の科白が「効いている」ものがあるものを挙げたい。主要な役どころの科白の中に、心に響くような科白がある。そういう芝居は、大概、出来の良い芝居だ。今の感覚で考えると、まだ若いとも言える61歳の若さで亡くなった宮本研の芝居には、そうしたものが多い。「美しきものの伝説」、「ブルーストッキングの女たち」「夢・桃中軒雲右衛門の」など、多くの名作を遺し、今もなお上演されている理由はそこにあると考えている。その宮本研の「今ひとたびの修羅」は、尾崎士郎の大河小説とも言える『人生劇場』の「残侠編」をもとにした芝居で、1985年3月に中村吉右衛門の飛車角、太地喜和子のおとよ、芦田伸介の吉良常で演じられた、いわば「商業演劇」だ。それが、今回はシス・カンパニーの公演で堤真一の飛車角、宮沢りえのおとよ、風間杜夫の吉良常、岡本健一の宮川、小出惠介の青成瓢吉、いのうえひでのりの演出で蘇った。

昭和の初期を舞台に、任侠道に生きる侠客、男同士の義理人情と男女の愛情を描いた作品は、もはや今の時代には「古臭い」で片付けられてしまうものにもなりかねない。しかし、その中に生きている人々の心情は、現代とさして変わりはない、と私は思う。取り巻く世相や風俗が違うだけで、人間の真情はそう簡単に変わるべきではないし、変わってほしくもない。「男」の生き方を不器用なまでに貫き通そうとする堤真一の飛車角と、自分で自分を律することができないながらも飛車角への愛に生きようとする宮沢りえのおとよ、それに老侠客・吉良常の風間杜夫の三人が、がっちりとスクラムを組んで濃密な舞台を見せる。そこに絡む、飛車角の弟分とも言うべき岡本健一の宮川、小池栄子のお袖、青成瓢吉の小出惠介。小出が若い分、昭和の時代感覚の表現が薄く、科白の圧倒的な重量感に押されている感があるが、こうした骨格のきっちりした舞台で腕の立つ先輩と共演することは、良い勉強になるはずだ。

『人生劇場』は、登場人物の青成瓢吉が通っている早稲田大学の学生でさえも、もう知る人は少ないかもしれない。しかし、この作品を古いと切り捨てる前に、「どう見せたら今の観客にも共感してもらえるのか」という眼が必要だ。この舞台には、その眼がキチンと行き届いている。時代に逆らうように生きる風間杜夫の老侠客の言葉には、人生を重ね、修羅場をくぐり抜けて来た男の説得力がある。降りしきる雪の中、しずしずと舞台奥へ歩みを進める宮沢りえの姿はひたすらに美しい。同様に、因縁のある相手との大立ち回りを演じる堤真一はひたすらにカッコ良い。この二人に対しての評価は「何をいまさら…」でもあるが、これが、「芝居」という生の時間と空間で得られるカタルシスなのだ。手軽なものだけを追い求めていればその場はしのげるが、重いものは咀嚼する能力が劣っている時代である。何でもかんでもライトな感覚にすることは易しいが、その前に、どこかに一本の筋を通しておかないと、今後の演劇のあり方自体がより難しいものになるだろう。宮本研の筋の通った芝居は、重厚感だけではなく、忘れてはいけない芝居として生き続ける価値がある。

1979年に初演され、キャストを変えながら1000回を超えて上演を重ねている『近松心中物語』という芝居がある。内容も形式も全く違った作品だが、私は今回の雪の降りしきる大詰めのシーンで、この芝居は平成の世に問う「シス・カンパニー版 近松心中物語」ではないか、と感じた。良い芝居は、どこか似た匂いがするものだ。

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2013.04.06掲載

あかきくちびるあせぬまに 2013.03 東京芸術劇場 シアターウエスト

思いやり、想い出、情緒、気持ちのぶつかり合い…。ここ20年ほどの間の凄まじいまでのスピード化や情報化によって、我々があちこちへ落としながら歩いて来たような気がしてならない。創立70年を迎えた新劇の老舗・文化座が、連城三紀彦の「紅き唇」を八木柊一郎が劇化した舞台である。1989年に、劇団の創立者である鈴木光枝が上演し、それを、現在の代表で息女である佐々木愛が受け継いで母子二代の上演となった。

結婚して四ヶ月で亡くなった次女のアパートに転がり込んで、娘婿との共同生活を始める梅本タヅ。母親を早くに亡くした娘婿は、時にかつて義母だった女性の存在を疎ましく感じながらも、擬似親子のような感覚で暮らしている。タヅの娘婿は、タヅが若い頃、神田の旅館に奉公していた頃に憧れ、告白が叶わなかったままに戦死を遂げた陸軍少尉に瓜二つだった…。と書くと、何か生臭い話のように思われるが、そういうものは一切ない。一瞬の錯覚はあったにしても、タヅは娘婿の姿の遥か向こうに、自分の娘時代に憧れた凛々しい少尉の姿を垣間見ているだけだ。

私は、初演ではなかったが、ちょうど20年前の1993年に、鈴木光枝が演じた舞台を鮮明に覚えている。手元のメモを見ると、東京だけではなく、浦和、川崎の公演にも出かけている。それほどに、当時の私には心地よい感動を与えてくれた作品であった。今回、初演から24年を経て佐々木愛が演じるに当たり、細かな部分は時代に合わせてずいぶん現代的になった。また、親子といえども持っている雰囲気も違えば芝居の質も違うのは当然で、佐々木愛の「あかきくちびるあせぬまに」であり、梅本タヅである。「たっぷりした母性」は共通して変わらないものの、佐々木愛のタヅは、若々しく、弾むようなリズム感と太陽のような明るさを見せる。鈴木光枝が演じた20年前にも、実際の年齢よりも若々しく感じたが、その間に経過した20年という時間が、世間の年齢に対する感覚を変えたのは事実だ。八木柊一郎の脚本の中を貫くものは、義母と娘婿の擬似家族の姿だけではない。うら若き少女時代を真っ黒に塗りつぶされた「戦争」に関する問題を、押し付けがましくなく描いているのは、練達の筆になるものだろう。タイトルの「あかきくちびる」ではないが、戦争中の日本の闇の中に、タヅの恋心が真っ赤な口紅のような点景になっている。それをしなやかに演じている佐々木愛、見事だ。

「新劇」という言葉が、始終使われてはいながらもその実体が良く見えない時代が演劇界では長く続いている。しかし、文化座のように、失礼ながら決して大きいとは言えない劇団が、あるメッセージを込めた芝居を、日本各地をこまめに巡演し、70年の歴史を重ねて来た重みを、今改めて考える必要がある。劇団の創立メンバーたちは、終戦を当時の満州で迎え、女優たちは現地人やロシア兵に乱暴をされる恐れがあると全員が坊主頭になって引き揚げを待ったという話を、鈴木光枝から聞いた記憶は今も鮮烈だ。そうした遺伝子を持っている劇団が、声高に「戦争反対!」というシュプレヒコールを叫ぶのではなく、地道に、さまざまな角度からアプローチしながら芝居の中で訴えてきた功績は大きい。この芝居を、そういう視点だけで観ることはしたくはないが、私のように戦争を知らない世代にとっては重要な、見過ごすべきではない問題だ。また、こうした劇団に若い力が育っているのも喜ぶべきことだ。今の演劇界の問題の一つに、どのジャンルでもそうだが「お手本」とすべき名優が憂慮すべき勢いで減っている深刻な問題がある。その点、文化座には創立メンバーを両親に持つ佐々木愛がおり、これは強いことだ。時代と共に感覚が変わるのは必然だが、文化座が育んで来た遺伝子だけは、若い俳優陣がきちんと受け取ってほしい。

ほろりと涙が滲む芝居だ。

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2013.03.24掲載

1000回目の「SHOCK」2013.03.21 帝国劇場

今まで、帝国劇場で多くの節目の舞台を観て来た。森光子の「放浪記」2000回、松本幸四郎の「ラ・マンチャの男」1200回…。いずれも、功成り名を遂げた名優の円熟の舞台だ。堂本光一は2000年の初演以来、12年と5ヶ月で1000回の単独座長公演の記録を打ち立てた。もちろん、最も若い記録である。どの芝居もそうだが、回数を重ねることは、回数が多くなるほどに難しさを増す。山が高くなればなるほどに登るのが難しくなるのと同じで、観客の眼も肥えて来るから求められるもののクオリティも上がる。その要求を満たしてなお、観客に求められる芝居だけが、回数を重ねることができるのだ。誰しも、記録のために芝居をしているわけではない。とは言え、21歳で帝国劇場の最年少座長を勤め、それ以降ただ一度の休演もなく走り続けていることは、評価に値する。まさに、この作品のテーマである「Show must go on」の精神を、自らが体現していることになる。よほど厳しく自分を律することができなければ、出来る技ではない。

ブロードウエイの若きエンターテイナー・コウイチ(堂本光一)を主人公とした根幹となるストーリーは変わらないが、毎年そこに様々な試みが加えられ、「進化」していることが、観客を飽きさせない理由だろう。推測ではあるが、この舞台にはリピーターもかなり多くいるはずで、同じ俳優が演じる作品を何回も、何年も観たいと思わせる点では、良い意味での古典芸能の歌舞伎と同じ側面をも持ち出した、ということになる。核になるものが決まっており、それに新しい要素が加えられて進化する過程も、歌舞伎に酷似していると言えよう。

堂本光一は、相変わらず軽やかに舞台を駆け回り、フライングを見せ、階段落ちをみせる。しなやかでありながらキチンと鍛えられた体躯は見事で、約3時間の舞台を息も付かずに全力疾走している。このスピード感も、「SHOCK」の人気の理由の一つなのだろう。今回の舞台から感じたのは、堂本光一には力強さと儚さが同居している、ということだ。両極とも言えるこの魅力を併せ持つ役者は、あまり他に例がない。30代半ばに差し掛かろうという油の乗り切った青年でありながら、初演の頃から変わらぬ危うい儚さを持ち続けている。力強さは日々の鍛錬である程度のことはできるが、儚さは努力や訓練で身に付けるものではなく、純然たる彼の個性だ。だからこそ、満開の桜の下に横たわる姿が似合うのだろう。その一方で、一幕の幕切れ近く、「今、立ち止まったら、そこで終わりが来るんだ!」と叫ぶ場面がある。この科白は、舞台に立つ者すべてが抱く感覚、あるいは宿命と言っても間違いではない。階段落ちの場面もさることながら、私はこの科白に彼のひときわ強い悲壮感を感じた。

彼を支えるメンバーは前田美波里が劇場のオーナーとして昨年まで出演していた植草克秀に代わり、ライバルも内博貴から屋良朝幸に代わった。こうした助演を得ながら、カンパニー全体が成長しているのが観て取れる。こうした進歩がなければ、1000回という数字を重ねることはできないだろう。彼が走り続けた12年5ヶ月は、恐らく彼の中では通過点の一つにしか過ぎないのだろうし、また、そうでなくてはなるまい。先に引用した科白のように、彼が満足してしまった瞬間に、進歩は止まる。それを続けることがどれほどに大変な事であるかは、他の舞台の例で何度も目にしている。それだけに、最年少で1000回も演じることのできる作品を持てた彼の俳優としての幸福を感じると同時に、更なるステップアップを続けようとしているストイックさに拍手を贈りたい。

終演後、1000回の上演を記念した特別カーテンコールが、約30分にわたって行われた。その中で、彼は「1000回という実感がない。毎日、その日が勝負だ」という旨の言葉を述べた。「SHOCK」に今まで出演して来た人々のビデオ・メッセージや、堂本剛、東山紀之らのサプライズ・ゲストに励まされながら、彼は1001回目への道を踏み出した。彼がたどる道はより遥かに険しいものになるだろう。しかし、「孤高」とも言える姿勢で、更なる高みを極めることを多くのファンが望んでいるのだろう。何回目の舞台までを見届けることができるのかは、私の彼への挑戦でもある。

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2013.03.21掲載

長い墓標の列 2013.03 新国立劇場 小劇場

今、自分が信ずる物のために「殉ずる」人はいるのだろうか。翻って私自身、子供の頃から一身に歩んで来たつもりの演劇のために殉ずることができるのだろうか、と幕が降りる頃に考えていた。福田善之が26歳の折に一気に書き上げた原稿用紙380枚に及ぶ「長い墓標の列」。初演は昭和32年、プロの役者ではなく、早稲田大学の演劇研究会によって行われ、早稲田大学の大隈講堂で実に5時間半を要したと言う。今回はそれでも15分の休憩を挟んで3時間10分、26歳の若さで良くもこれほど骨太の芝居を書いたものだと、まず感心する。

作者の母校である東京大学に河合栄治郎という学者がいた。当時は東京帝国大学だが、経済学部の学部長にまで任じられた人である。しかし、昭和12年の支那事変以後、国家がどんどんきな臭くなる中で、時局に阿ることなく自らの主張と研究を続け、右翼はもとより、文部省、軍部の圧迫を受け、弟子には裏切られ、著書は発禁処分を受ける。昭和19年、53歳の若さで亡くなる寸前まで研究に刻苦精励する姿は、ひたすらに頑なであると同時に、その死は、自分が選んだ学問に対する殉死とも、時代に対する憤死とも思えるほどだ。この河合栄治郎をモデルにした作品で、単なる伝記的に生涯をなぞっただけではなく、私には「時代とどう折り合いをつけるのか」「器用と不器用はどちらが正か非か」といった青年らしい純粋な疑問を観客に問うているように思える。最高学府、と呼ばれる「象牙の塔」で今も変わらずにせっせと行われている足の引っ張り合いと状況が変わらないのも面白いが、こうした内容の芝居が、他の大学で初演されたのは皮肉めいていて面白い。

演出に当たった宮田慶子は、新国立劇場演劇研修所の修了生をこの舞台で多く起用している。大学を舞台にした作品であり、若い人々が多い、というのもその理由の一つで、修了生に実際の舞台での経験を与え、育てたいという想いだろう。今や、放っておいても役者が勝手に育つ時代ではないし、誰しも若い頃から名優ではない。こうした試みは否定するものではないが、修了生の数が多すぎたのは否定できない。自分の科白を言うだけで精一杯で、芝居になる以前に科白が聞き取れない役者もいる一方、ある程度よその舞台を踏んで、ある程度観られるところまで来ている役者もいる。いずれも、これから長い道のりを芝居に関わってゆくのだろうから、芝居と共に殉死するほどの覚悟で臨んでほしい。

モデルの河合栄治郎と思しき学者・山名を演じるのは、村田雄浩。テレビでも舞台でも、人の良い朴訥な人柄で親しみを得ている役者だが、これほどに硬質な芝居をする役者だとは思わなかった。膨大な量の科白劇に堂々と対峙し、ほとんど一人でこの長い舞台を引っ張る力量は見事なものだ。感情的に走りすぎる部分をギリギリのところで抑え、一人の人間としての品格と重みを失わない演技は、この役者の新しい一面の開拓であると同時に発見でもある。戦争が激しくなる中、辺りのことには構わず山のように書を積み上げ、孤独と憤懣を学問にぶつけるかのようにのめり込み、やがて病が募り倒れて、息を引き取る。自らが探求すべき学問ではなく、「学閥」だの「派閥」だのという余計で無意味な長い闘いに終止符が打たれたのだが、不思議とそれが悲壮感ではなく、むしろ清涼感さえ感じられる幕切れである。愛弟子でありながら山名を裏切る城崎を演じた古河耕史が、研修所修了生第一期、という力とこれまで多くの舞台を演じた経験を見せ、修了生の中では際立った芝居を見せたことを付記しておこう。

今は何もかもライトなものが好まれる時代で、知識だけを詰め込まれて自ら考えることを好まない大学生の頭もずいぶんライトな時代になった。古臭い議論を戦わせている芝居だと見てしまえばそれまでだが、それではあまりにも哀しい。若い人たち、特に現在の大学生に見せたい芝居だ。

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2013.03.11掲載

屋根の上のヴァイオリン弾き 2013.03 日生劇場

このミュージカルが日本で初演されて今年で46年。もはや立派な古典である。私が最初に観たのが昭和53年、東京での公演には35年付き合っている計算になる。真っ暗な中で幕が上がり、哀切なヴァイオリンの調べが聞こえて来ると、全身が粟立つような感覚になる。森繁久彌、上條恒彦、西田敏行、そして今回の市村正親が創り上げて来た名作の歴史が始まる瞬間だから、だろう。「マイ・フェア・レディ」の演出が21世紀バージョンになって大きく変わったように、この作品の演出も時代と共に大きく変わって来た。ユダヤ人の人種差別、家父長制度、信仰や民族のあり方に重きを置いて描いていた当初とは様変わりし、今回は、市村正親が演じる主人公の牛乳屋の親父・テヴィエ一家の物語、という感覚が強い。おっかないけれど情がある鳳蘭の愛妻・ゴールデとのカップルを中心に描いていると言っても良い。

舞台は100年と少し前のロシアの寒村・アナテフカ(架空の場所だ)。そこで、五人の娘を抱えながら牛乳屋を営むテヴィエは、何かと頼りにされる村の中心的な存在でもある。最も敬意を払うべきは司祭様だが、村人の良き相談相手、とでも言おうか。働けど働けど我が暮らし…という中、暇があると神様に向かって冗談を言い、愚痴をこぼしてはいるが、その裏にはユダヤ人が民族として迫害されて来た歴史と、神様への篤い信仰が身体の中に血となって流れている。市村正親のテヴィエは、前回の舞台よりもさらに軽みを増した感覚がある。今流に言えば「等身大」の演じ方だ。それは他の多くの出演者にも言えることで、ユダヤ人自身にとって、この物語が伝説化しているとも言える時代に、我々日本人が100年前のユダヤ人の心持ちを伝え、感じ取ることはもはや不可能であり、表現をできたところで観客が感じ取ることも難しいだろう。

妻のゴールデの鳳蘭が、宝塚の先輩で森繁テヴィエの相手役を演じていた淀かおるに似た匂いを感じさせてくれたのが嬉しかった。演劇は時代と共に変容する。しかし、その中で変わらない、あるいは変わってはいけないものもあるはずだ。私は鳳蘭が演じるゴールデという女性の「幹」に、単に宝塚出身だからという共通項ではなく、ゴールデという女性の中に確固として存在する、変わるべきではない姿を観たような気がした。

テヴィエ夫婦は、伝統と現代の間に挟まれ、多くのことを受け入れて行かなくてはならない。結婚は親同士が決める時代に、勝手に婚約をしてしまう次女もいれば、民族も宗教も違い、絶対に乗り越えてはいけない壁を乗り超えてロシア人と結婚してしまう三女もいる。その都度、夫婦は苦しみながらも、新しい時代の波を受け入れてゆく。そして、アナテフカの住民が正当な理由もなく、ユダヤ人だからということだけで「三日以内に」この地を立ち退け、と命令を受ける。先祖伝来の土地を捨て流浪の民になる哀しさ。しかし、自分たちの先祖にはこの辛い歴史の繰り返しがあったことをアナテフカの住人は知っており、過酷な運命を受け入れ、新天地を目指す。そこには何があるのか分からない。今よりももっと厳しい生活を強いられることになるかも知れない。しかし、それさえも「ご先祖さま」がそうして来たように、自分たちも神が与え給うた試練として受け入れるのだ。この逞しさは、日本人には持ち得ないものであるかも知れない。ここで平和憲法を持ち出すつもりはないが、島国ゆえに外敵からの侵略を長年免れて来た国と、国家としての土地を持たずに流浪を強いられて来た民族の違いであろう。

印象に残った場面が二つあった。三女のチャヴァが、ロシア人のフョードカと手に手を取っていなくなり、ロシア教会で結婚式を挙げた、とテヴィエに知らせた時の鳳蘭の魂消るような慟哭の声。今までの苦労にもう耐え切れない、とも感じ取れるほどの悲痛な哀しみに泣き崩れるゴールデを暖かく包容するテヴィエの姿。そして、幕切れ、荷車を弾きながらアメリカへ向かうテヴィエ一家の後ろを着いて来るヴァイオリン弾きにテヴィエがちらりと見せた笑顔。この瞬間に、テヴィエが本来持ち合わせており、それが物語の救いともなっている明るさと逞しさが見えた。

この夫婦の描き方が濃厚になった一方で、周りを囲むアンサンブルの印象が薄くなったのは否めない。幕開きの「伝統(しきたり)の歌」では、我らが故郷、アナテフカの地へ響くような足踏みがあった方が、インパクトが強かったろうとも思うし、テヴィエの娘たちも、水夏希、大塚千弘、吉川友の三女まではもう少し個性を際立たせた方が面白かっただろう。気になったのは、テヴィエが唄う「金持ちなら」のナンバーで、「自由に暮らすのさ」という一節があった。訳詞が変わること自体に異を唱えるものではないが、この時代のロシアでユダヤ人が「自由に暮らす」と言ってはまずかろう。以前は「呑気に暮らすのさ」と歌っており、時代背景や政治背景を考えても、その方がしっくり来る。

5月に幕を開ける「マイ・フェア・レディ」も「レ・ミゼラブル」もそうだが、時代と共にキャストを変え、演出を変えて上演を繰り返すに値する名作だ。もちろん、この作品もそうだ。来年は、ブロードウエイでの初演以来、50年を迎えると言う。これからも時代と共に、こうした古典のミュージカル作品の上演方法も変わってゆくのだろう。時代が変われば観客の受け取り方も変わる。その中で、この作品が今後どのような変容を遂げてゆくのだろうか。

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2013.02.21掲載

「秘演 授業」2013.02 無名塾

無名塾の主宰の仲代達矢によれば、「公演」という言葉に対しての「秘演」なのだそうだ。もちろん、れっきとした公演ではあるのだが、「ひそやかに奥深く大切に」という想いを込め、世田谷にある無名塾の「仲代劇堂」で毎回50人ほどの観客を対象に演じている。「秘演」という言葉には、作品を大事にする想いと同時に、仲代達矢の含羞が込められているような気がしてならない。

ここでひそやかに演じられているのは、イヨネスコの不条理劇の代表作「授業」だ。老教授の書斎で登場人物はわずか3人、上演時間が1時間15分という芝居は、まさに「秘演」にふさわしい作品である。作品は空間を選ぶ。これは、例えて言えば帝国劇場のような大きな寸法の劇場で上演するべき芝居ではない。観客全員が、あたかも老教授の書斎にいるかのような感覚を味わえるほどの空間でなくては、作品が持つ感覚は伝わって来ない。そういう点でも、この場所で、この作品を上演することには大きな意味がある。30年以上も前に、今はなくなってしまった渋谷の「ジャン・ジャン」で文学座の中村伸郎が毎週木曜日の夜に演じていたが、ここも小さな空間だった。聞けば、仲代達矢はこの芝居の稽古を昨年の10月から始め、12月にはもうセットを組んだ状態で稽古をしていたと言う。1月の末に三日間、石川県の能登演劇堂で上演し、東京では2月2日に幕を開け、3月23日まで、約2ヶ月に近い公演である。

仲代達矢が演じる老教授のもとに、受験勉強のために女生徒(山本雅子)が個人授業を受けに来る。不愛想なメイド(西山知佐)に迎えられた生徒は、教授の書斎で個人授業を受け始める。最初は異常なほど丁寧かつ親切に生徒に接している教授だったが、次第にヒートアップし、感情を爆発させ始め、その挙句に…。この芝居の特徴は、科白の意味が時にストレートな意味だけではなく、もう一つの意味を持っていることだ。そこには、底知れぬ「狂気」が宿っている。それは、登場人物三人のすべてに言えることで、そこに異常を感じないで言葉を発している三人の姿は不安定なシーソーの上にいるような感覚を与える。同時に、我々のごく当たり前の日常がいかに不安定で、不安に満ちたものであるか、ということを感じさせるのだ。この感覚を、「不条理」と言うのだろうか。我々がごく当たり前だと思っている生活や信条の「ものさし」が本当に正しいものなのか、何を持って正しい、と言えるのか。仲代達矢は狂気を孕んだ科白で、この問題を観客に突き付ける。その息遣いが感じられる空間が貴重であり、観客はいつの間にかイヨネスコが創り出した世界の中に座っていることになる。

幕開きの柔和な老人のどこにこれほどの爆発的なエネルギーがあるのだろうか、という嵐のような力が押し寄せて来る。役者生活60年を迎え、80歳になったとは思えぬパワーだ。それに対し、全く己の感情を見せないようなメイドの西山知佐の冷血動物のような芝居、そして、可愛げでいながらいきなり蓮っ葉な面を剥き出しにする山本雅子の女生徒のギャップ。この三人の尋常ではない個性がぶつかり、絡み合い、濃密な空間で芝居が進み、一気にカタストロフを迎える。しかし、その嵐が過ぎ去った後は、台風の翌日の青空のように、まるで何事もなかったかのように、教授とメイドはいつもの生活に戻る。嵐の後の静けさではなく、日々襲ってくるハリケーンに対する準備を日常生活の中で行っているような感覚だ。時間は短いがボリュームの凄い舞台に異常なまでの力でぶつかる仲代達矢の底力を観る気がした。

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2013.02.18掲載

真夜中の太陽 2013.02 紀伊国屋サザンシアター

谷山浩子が33年前に歌った「真夜中の太陽」の歌詞をモチーフに、劇作家・演出家の工藤千夏が初めて劇団民藝のために書き直して提供した作品だ。2009年に別の劇団で初演された作品の大幅な改稿である。1944年、すなわち終戦の前年の冬の神戸に近いミッション系の女学院を舞台にした一幕物で約1時間30分のコンパクトな芝居ながら密度は濃い。戦争も末期、女学生もまともな勉強ができずに、「お国のために」労働する日々を、それなりに明るく過ごしている。空襲警報が鳴り、防空壕へ走る仲間を止める一人の女学生・ハツエ。彼女だけが現在まで生き残っており、芝居は最後に現在に至る。ハツエを演じる日色ともゑだけが現在の84歳の老婆の姿で時代を往復するが、残りの登場人物は死してなお当時のままの姿で現代に現われる。

この芝居では、声高に「戦争はいけない」と叫ぶ場面はない。もちろん、今の高校生が現在の体制に反発するようなささやかな体制や時局への反発はある。しかし、それは当時の女学生らしさの範囲を出ないもので、時として小雀たちの囁きのようなものだ。しかし、溌剌とした11人の女学生の戦時中の姿を観ていると、その明るさにかえって大きなメッセージを感じる。11人の中でたった一人生き残ったハツエは、結婚をし、子宝にも恵まれ、当時の自分と同じような年齢の孫娘もいる、平穏な晩年にいる。しかし、過去の亡霊に囲まれて現在を語るハツエが生き残ったことが、本当の幸福であったのかどうか。齋藤尊史が演じる初恋の相手だった英語の教師・ジェームス矢島先生は、ハーフだという理由で特攻隊へ送られ、若い命を散らした。夢とも幻ともつかぬ中で、往時を語る仲間はいるが、生きているわけではない。そうした日常が幸福なのだろうか。芝居を観ている間、この問題に私は囚われていた。しかし、幕が降りる時の日色ともゑの笑顔を観て、「幸福なのだ」と確信した。どんな苦しい人生であろうとも、生きていればこそ、の話で、美しい想い出を残してくれた相手がたくさんいようとも、相手とそれを語ることができなければ、寂寥感が募る。たとえ過去の亡霊であろうが、寂寥感を慰める相手がおり、現在も平穏に暮らせるということ、普通でいられることのありがたみ、なのだ。

今の我々には、ぼやきたいことはいくらでもある。「景気が悪い」「仕事が少ない」「暑い」「寒い」…。しかし、戦時中は今日、命があることが当たり前ではなかった。今の我々がごく当然のように「明日が来る」と勘違いしていることが、そうではないということを目の当たりにさせれらた時代であったのだ。戦争が終わって今年で68年を迎える。年々、戦争の悲惨さを語れる人の数は減ってゆく。戦後生まれの私は、個人的には「戦争」というものを語り継ぐ人々の意見を聴く義務がある、と考えている。よもや戦争に賛成、という人はいないだろうが、活字であれ芝居であれ、その悲惨、過酷、理性の欠如、狂奔といった感覚は、自分が経験できない以上、さまざまな形で追体験するしか方法はない。劇団民藝はさまざまな作品を通じて「反戦」あるいはその立場に立ってその後の「戦争裁判」のあり方を考える作品などを上演している。戦争がどんどん遠くなる中で、この軸がぶれないのは、「劇団」としての方向性が明確だからで、多くのベテランを喪ってなお、その姿勢が変わらずに引き継がれていることは評価したい。

登場人物のほとんどが女学生であり、演技陣も若く、当然のことながら戦争を知らない世代だ。しかし、彼女らなりに脚本から感じ取るものを表現しているこの芝居は、できれば若い人々に観てもらいたい、と思う。今の「当たり前の生活」がどれほど貴重なものの上に築かれているものであるかを知るためにも。

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2013.02.11掲載

新橋演舞場 二月大歌舞伎 2013.02

四月の新歌舞伎座の開場を楽しみにしている歌舞伎ファンを苛めるかのように、最近、歌舞伎界での訃報が相次いでいる。そんな中、昨年、公演中に大怪我をし、治療やリハビリの甲斐があって健康を取り戻した市川染五郎の舞台への復帰公演が、日生劇場で幕を開けた。父・松本幸四郎の「口上」があり、染五郎の怪我によるファンへの心配や激励への感謝の言葉の後、「吉野山」の幕が開いた。中村福助の静御前に染五郎の忠信という顔合わせだ。久しぶりに見る染五郎は、以前よりもシャープな感覚で男ぶりが上がったように見え、動きも科白も今までと何ら変わることのない元気さを見せている。不慮の事故とは言え、半年以上の療養を必要とする大怪我を乗り越え、こうした姿が見られることは、歌舞伎ファンには大きな喜びである。福助の静との手馴れたコンビは安心して観ていられる。久しぶりに観る染五郎の舞台は決まり決まりの姿が美しく、キチンとした楷書の芸だ。

続いて「魚屋宗五郎」。人気の演目だが、今回はふだん上演されない前半を加え、ほぼ原作に近い形での通し上演としたために、宗五郎が禁酒の誓いを破ってまで酒を呑むに至る事件が明確に再現されている。通常は「宗五郎内」と「磯部邸」の場面での上演だが、今回はその前に「弁天堂」「お蔦部屋」「お蔦殺し」の三場を加えたために、通常の上演では登場しない宗五郎の妹・お蔦も登場し、作品全体が御家騒動を孕んだものであることも明確になった。こうした試みは大歓迎で、「古典だから」というだけではなく、今の観客にどのように見せたらより楽しんでもらえるかを考える必要がある。幸四郎の歌舞伎に関する考え方が明確に現われた舞台だ。

幸四郎の宗五郎、やはり眼目は妹が殺された真の事情を知り、禁酒の誓いを破って酒を呑み、酔っ払うまでの芝居だが、硬軟を巧くミックスした味わいが面白い。妹を理不尽に殺され、哀しみに浸っていたかと思うと目のない酒につられて生酔いになる仕草は、叔父・松緑がかつて見せたものとはまた違い、よりリアルな感覚を持っている。歌舞伎は「様式美」という言葉で括るだけのものではなく、特にこうした世話物の場合は、登場人物の息づかいや生活をどこまで感じさせるか、が大きな問題で、幸四郎の宗五郎にはそれが良く出ている。妹・お蔦の朋輩であるおなぎの高麗蔵にしっとりとした色気があり、好演だ。福助の女房おはま、この役はなるべく地に近く演じるものだと古老に聞いた記憶があり、その伝で行けば変に女形らしく作らないところが良い。磯部の殿様が染五郎。凛とした風情と科白の良さは変わらずで、「完全復活」の印象を与えた。左團次が磯辺の家臣・浦戸十左衛門で付き合っているが、堂々とした風格だ。

この公演、幸四郎一門を中心とし、そこに左團次、福助らが加わったもので、二本立てだ。上演時間は二回の休憩を挟んで三時間四十五分、正味で言えば三時間だ。歌舞伎の場合、ともすると四時間を超える場合があるが、このぐらいのボリュームが今の観客には適当ではないだろうか。演目の並べ方を含め、今後の歌舞伎の上演方法に示唆を与えるものだ。

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2013.01.28掲載

ピアフ 2013.01 シアタークリエ

大竹しのぶという女優は、どこまで行くのだろうか、と思う。昨年、大好評を博した「ピアフ」の再演である。フランスが生んだ偉大なシャンソン歌手、エディット・ピアフの生涯を描いたこの芝居で、彼女は「読売演劇大賞 最優秀女優賞」を受賞した。確かに、それに値する演技を見せた。今回は再演になるが、初演のショック、を更に格大させて見せた。

幕開き、劇場のビロードの幕の間から、震えながら細い手が出て来る。そして、ようやく全身を表し、前のめりに腕を曲げて歩く姿。アルコールと麻薬の中毒で肉体も精神もボロボロになった大竹ピアフは、私が映像で知るその姿に酷似しているどころか、本人以上にピアフらしい。この芝居は、物まねではない。しかし、ピアフに似せることにより、女優の肉体を通してその魂の叫びを、乱暴で下品な言葉を速射砲のように繰り出し、焙り出そうとしている。作者のパム・ジェムスの科白は、時に嫌悪感を覚えるほどに汚い言葉が多い。ピアフがここまで下品で粗野な女性であったのだろうか、とも思わせる。しかし、それを凌駕して余りある魅力が、彼女の歌とその声にあったことは、何よりも歴史が証明している。初演よりも更にエキセントリックに見える大竹しのぶの芝居は、観ているこちらが圧倒されるほどの力を持ってグイグイと迫って来る。

どんな人物にも光と影はつきまとう。栄光が大きければ大きいほど、その裏側の影の闇は深いものだ。作者のパム・ジェムスは、ピアフという偉大な歌手の影の部分をこれでもか、というほどに描き、影の部分をつなぎ合わせることによって、「もう一人のピアフ」を描こうとしているかのように見える。47歳という決して長くはない生涯を終えて50年が経った今も、曲が売れ、多くの歌手がピアフの楽曲に尊敬の念を抱き、カバーしていることをみても、現代のフランスで最も偉大な歌手であったことは、疑いようがない。その生涯を大竹しのぶの肉体を通して観ていながら、初演では気付かなかったことがあった。なぜ、ピアフはここまでして自らを破壊するとも言える行動を続けていたのか。これが、作者が描きたかったピアフの「影」ではあるまいか。比類のない人気と実力を持っていながら、あるいはだからこそ、その座を維持することのストレスやプレッシャーは大きい。しかし、それ以前に、「孤独」を知っているピアフだからこそ、自らを破壊する方向へ生きることを選んだのではないだろうか。今回の大竹しのぶには、初演の圧倒的なパワーに加えて、至るところに見られる破壊衝動が印象に残った。

この舞台の特徴は、ピアフの大竹しのぶ、長年の友人であったトワーヌの梅沢昌代以外の出演者が複数の役を演じていることだ。梅沢昌代は初演もこの役は彼女だったが、この二人の時として掛け合い漫才のようなやりとりが、ふとした安心を与える。他の彩輝なお、小西遼生、辻萬長、藤岡政明、畠中洋などのメンバーは、二役から六役を演じる。10人の出演者で約40名の登場人物を演じることになるが、回りのメンバーは、残念ながら初演の舞台の方が個性的な魅力に溢れ、役にはまっていたキャストが多かった。再演だからメンバーがすべて初演と同じである必要はない。しかし、キャスティングの妙にもう一段の工夫があれば、より濃密な人間ドラマになっていた事を思うと、そこが惜しいところだ。

実在の人物を演じることは多くの意味で困難が伴う。しかし、多くの役者が挑戦するエディット・ピアフは、その困難を承知でも演じたい人物である。それほどに劇的な生涯と、多くの人々の心に残る歌を遺したからだ。これからもピアフの生涯を描いた芝居は創られるのだろう。しかし、今の段階で言えば、日本人の女優が、歌はともかくピアフという人間の表現において、ギリギリのところまで肉薄した舞台であることは、私が観て来た他の舞台と比較しても明らかだ。新しいピアフの伝説とも言える舞台であることは疑いようのない芝居だ。ここまで演じる大竹しのぶには、何か空恐ろしさのようなものを感じた。

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2013.01.23掲載

新橋演舞場 歌舞伎公演 夜の部 2013.01 新橋演舞場

たまには初芝居を歌舞伎座ではない劇場で観るのも良いものだ。夜の部は「ひらかな盛衰記」の「逆櫓」で幕を開ける。幸四郎、福助、高麗蔵などの顔ぶれだ。続いて、「四世中村雀右衛門一周忌追善」と銘打って、「仮名手本忠臣蔵」の「七段目」。團十郎が由良助を演じる予定だったが、体調不良による休演で、初日から幸四郎が由良助を演じており、芝雀が父の当たり役の一つだったお軽、吉右衛門の寺岡平右衛門という配役だ。幸四郎は二本続けて時代物の大役に奮闘しているが、古稀を過ぎたとは思えないエネルギッシュな舞台だ。最後が、狂言舞踊「釣女」。橋之助、又五郎、七之助、三津五郎で、賑やかな笑いと共に打ち出す。

「七段目」が顔揃いで、充実の一幕である。幸四郎が醸し出す風格は、特に後半に冴えを見せる。正面を向いて手紙を読んでいる姿が、亡き白鸚そっくりで、どきりとするほどに似ている。幕切れ近く、同じ塩冶の家臣でありながら、敵方に寝返った斧九太夫を打ち据える場面の聞かせどころに、憎しみと同時に哀しみが複雑に入り混じった心境を感じる。「七段目」の由良助は、幕切れ近くまで討ち入りに関する本心を見せずに遊蕩に耽る色気と、常に心の中に葛藤を抱えた点で難しい役とされている。しかし、歌舞伎作品の多くが求める様式美のみに重点を置かずに、由良助という男の心情をリアルに表現しようとしたところが成功の理由であろう。芝雀のお軽は、亡父・雀右衛門譲りの可憐な美しさと無垢な姿が哀れを誘う。雀右衛門とは違った意味で、いつまでも若々しさを失わない女形だ。吉右衛門の平右衛門は、何とかして討ち入りの一人に加わりたい、という熱気が感じられ、妹・お軽への想いも溢れており、幸四郎との科白の間の詰んだやりとりも聴き応えがあった。

「ひらかな盛衰記」は、「逆櫓」だけが上演されるケースが多いが、時代物の中でふとした折に見せる幸四郎の軽みが、アクセントになっている。また、船頭松右衛門と樋口次郎兼光との切り替えが鮮やかで、こうした「あり得ないシチュエーション」を楽しむ歌舞伎の荒唐無稽さを改めて感じる。女房のおよしを演じる高麗蔵が熱演で、いい女形になったのは嬉しいことだ。子供を取り違えた事件の説明に来るお筆は福助だが、色気に崩れた部分があり、もう少し凛とした風情が漂えば、また違った感覚で見られただろう。

「釣女」は出演者四人がいかに軽妙に観客を楽しませるか、が眼目であり、その点では打ち出しに相応しい賑やかな面白さに溢れている。橋之助、又五郎、三津五郎ともに舞踊は達者であり、七之助の可憐な女形ぶりも板に付いて来た。大物二本が続いたあとのデザートのような感覚で気軽に見られる一幕だ。

私だけの個人的な感覚かもしれないが、歌舞伎は大きな転換点を迎えているように思える。現代の観客に共感し、楽しんでもらえる歌舞伎を、観客への迎合ではなく、どのように創り、見せるのか。スピード感も必要なら、残すべき部分はじっくり演じなくてはならない。「古典だから」「歌舞伎だから」というだけでの存在価値は認めつつも、それだけを金科玉条としていたのでは、決して明るい未来ではないだろう。演劇界全体が厳しい状況の中で、今後の歌舞伎が何を目指し、どういう方向へ進むのか。この公演は、幸四郎がその先陣を切って内容を変えることなく「分かりやすい歌舞伎」を観客に提示しようとしているように思える。歌舞伎を「通」のものだけの狭いクローズド・サークルとして生かせるのではなく、再び大衆と共に歩むために。

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2013.01.13掲載

志の輔らくご in PARCO 2013 2013.01パルコ劇場

立川志の輔がパルコ劇場でお正月に一ヶ月の独演会を始めてから、今年で八年目だと言う。落語界を牽引する志の輔の人気と実力は今更説明するまでもなく、連日満員の客席が何よりの証拠だ。「独演会」と言っても、一席は前座に話させ、残りの二席というのが通常のパターンだが、この公演では志の輔は三席すべてを自分で話す。間に十五分の休憩を挟むとは言え、日によっては三時間に近い高座を連日勤めるのは容易な技ではない。「武道館でやれば一回で済むのですが…」と客席を笑わせながらも、落語への情熱と愛情は師匠の談志ゆずりだ。

最初はオリジナルの「親の顔」。小学校のテストで5点をもらい、親子ともどもに学校へ呼び出され、担任の先生との珍妙な会話が爆笑を誘うが、その中で、「正確な基準は何か」「何が正しいのか」を押し付けがましくなく問い掛けている。私はこの噺を聴くのは二度目だが、佳品だと思う。落語と現代とを巧みに結びつける志の輔の発想が充分に活かされているからだ。

二席目は「質屋暦」。今回初めて聴く話で、明治五年の暮れに政府が旧暦を新暦に変えた折の騒動を描いたものだ。これは志の輔のせいではないが、我々の頭の中には旧暦と新暦を区別する、あるいはその差異がもはやインプットされていない。その観客のための説明にいささか時間を取られたのが惜しかったが、回を重ねて練り上げれば、充分にオリジナルの一席として通用する噺だ。

十五分の仲入りを挟んで人情噺の大作「百年目」。志の輔の噺を聴いていて面白く感じるのは、古典を話す時は、枕をふらずにいきなりズバリと噺を始めるところだ。固い一方で店の者に煙たがられている番頭が実は遊び人で、事もあろうにその現場を店の旦那に見つかってしまう…。そこからが人情噺になり、一時間を越えようという大物だ。今まで私が聴いてきた中では三遊亭圓生のものが実に見事な形で耳に残っている。今回の志の輔の高座には、慣れた噺でありながらも、いささかの迷い、が感じられた。決して出来が悪いわけではないのだ。あえて言うならば、向島の花見の場面に登場する芸者衆に色気がないこと、旦那と番頭の人情噺に、両者の年齢や格の差があまり感じられないことだろうか。そこを、どう話そうか、という迷いが伝わったような気がしたのだ。

帰る道すがら、私は、「百年目」のいつもよりの出来の悪さに、ある事に気づき、慄然とした。志の輔の師匠・談志は「落語は人間の業の肯定である」という言葉を遺している。古典落語に異常とも言える愛情を抱きながら、最期までそれを現代に通じさせる闘いを続けた噺家である。談志は、持って生まれた天才の感性に努力を重ねて技術を磨きながら、自分の落語を確立した。一方、「百年目」を得意とし、昭和の大名人と言われた圓生は、落語界一と言われた膨大なネタの一つ一つを丁寧に磨き上げ、王座を獲得するまでの努力を重ねた秀才である。今、志の輔が苦しんでいるのは、天才・談志の弟子としての感性を受け継ぎつつ、秀才の財産を自分のものにし、変えられるものは変えようとしている「はざま」の苦しみではないだろうか、と感じたのだ。両方を手に入れようとは何と欲張りな話だ、というのではない。これこそ、「芸」に関わる人間の「業」なのだ。天才・談志の芸も、秀才・圓生の芸も、なまじな噺家が一生をかけても手に入れられるかどうか、というほどのものだ。それを知りつつ、我欲ではなく新しい落語のために苦しんでいる志の輔の姿が垣間見えたような気がしたのだ。もとより、志の輔とてそれを誰かに頼まれたわけではあるまい。しかし、それをせずにはおられないところに志の輔の噺家としての「業」があるのだ。

評価が高まる一方の志の輔が抱える苦しみを推し量ることはできない。しかし、高座で必死に落語と格闘している姿は、感動的でさえある。やがて、私が生を終える間際に、「圓生、談志、志の輔の高座を聴くことができたのが財産だ」と言えるような噺家であると私は確信している。そういう多くのファンのために、志の輔の闘いはまだまだ続くのだろう。

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2013.01.06掲載

三人吉三巴白浪 2013.01前進座劇場

劇団前進座が本拠地としている吉祥寺の前進座劇場でのファイナル公演である。1982年に開場し、30年余の歳月を経過後、メンテナンスにかかる費用が莫大であることなどから、苦渋の決断で劇場を締めることにしたのだ。とは言っても、劇団活動自体は今まで通りで、五月には毎年恒例の国立劇場公演も行われる。この劇場は、いささか特殊な成り立ちを持っている。建設に当たり、その費用の一部に充てるために、松本清張、水上勉、井上靖、千田是也、瀧澤修、中村歌右衛門、長谷川一夫など、芸能や文学に関わる著名人が分野を超えて発起人となり、浄財を募った。当時大学生だった私の所属するサークルでも、金10、000円の募金をした記憶がある。前進座の芝居を愛する団体や企業、個人の厚意は約2億円に達し、寄付者の名を刻んだ銘板が、劇場の入口に掲げられている。私自身、そんないきさつもあったために、こけら落としの公演からこの劇場に足を運んでおり、ファイナル公演の今回まで、一体何度足を運んだことだろうか。観客としても、批評家としても、想い出のたくさん詰まった劇場である。個人的な想いもともかく、定員500名で、本花道と回り舞台がついた歌舞伎のできる劇場、という価値は大きい。どの席からも観やすい上に、舞台と観客との距離感、舞台の幅や奥行などが丁度良い寸法にできており、貴重な劇場である。

そのファイナルに、劇団の「第三世代」と呼ばれる藤川矢之輔、河原崎国太郎、嵐芳三郎らによる「三人吉三巴白浪」の上演は、打って付けの演目だ。河竹黙阿弥の人気狂言は、松竹の歌舞伎でも演じられることが多いが、「大川端」のみのケースが多い。しかし、前進座では七幕ある原作を四幕にカットし、現行の「通し上演」の形態での上演がほとんどである。1989年の国立劇場公演では、原題の「三人吉三廓初買」として、通常カットされる部分をも復活上演した。そういう点で、前進座の財産演目の一つとして、受け継がれて来たのだ。

藤川矢之輔の和尚吉三、河原崎国太郎のお嬢吉三、嵐芳三郎のお坊吉三は、前進座のベスト・トリオと言っても良いメンバーである。話の流れを、刀をめぐる因縁と兄妹の近親相姦に絞り込み、そこで展開される三人の悪党の青春群像、とも言えるドラマだ。矢之輔の芝居の骨格、国太郎の若女形ぶり、芳三郎の二枚目ぶりがそれぞれ役にぴたりとハマっており、安心して観ていられる。その分、いささか手馴れすぎてしまった箇所もあったのが残念だ。「毎日初日」という先人の言葉を心に留めておきたい。前進座で「三人吉三」の特徴の一つは、大詰め近く、自ら死を選ぶ決意をしたお坊吉三とお嬢吉三の間に、えも言われぬ淫蕩な感覚が色濃く漂うことだ。ここに、女装の盗賊、の意味がある。社会の底辺をうろうろする若者たちが、根っからの悪人ではなく、大きな宿命に翻弄されながら短い人生を駆け抜ける瞬間に見せる「美」なのだ。作者の河竹黙阿弥自身が、非常に愛した作品でもあり、単なる因果話ではなく、人間像が描かれているのも魅力だ。

こけら落としから30年を経て、中心になるメンバーもずいぶん若返った。劇団が自前の劇場を持つのは最大の夢であると同時に、維持することは非常に難しい。この30年の間、自前の劇場で芝居が打てた幸福を知る劇団員は、次の世代にその幸福と責任を伝えながら、新しい前進座の「かたち」を見せてゆく責任がある。私もそれを見届けたい。

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