2011.12.26掲載

アメリカの現代演劇の中で、女優が主役の名作の筆頭に挙げられるような芝居である。日本では1953年に文学座で杉村春子のブランチで初演されて以来、その上演の歴史はすでに60年近い。現代演劇と雖も立派な古典である。初演でブランチを演じた杉村春子は、1987年の最終公演まで実に593回この役を演じ、数多い当たり役の中の一つとされている。長い間、杉村春子の専売特許の感がなきにしもあらずではあったが、青年座の東恵美子、水谷良重(現・水谷八重子)、栗原小巻、岸田今日子、樋口可南子、大竹しのぶ、秋山菜津子、珍しいところでは女形の篠井英介も演じている。私にとっては杉村以来、10人目のブランチが青年座の高畑淳子となった。この作品は、圧倒的な回数から言って、文学座が日本での上演史を担ってきたと思われがちだが、「劇団公演」という意味では、青年座も1979年に東恵美子のブランチ、西田敏行のスタンレーで上演して以来、上演回数は文学座ほどではないものの、その一端を確実に守ってきたことは書いておきたい。この舞台はまだ高校生だった私には、西田敏行の荒削りな芝居も含めて新鮮だった。この時に、看護婦を演じていたのが今回ブランチを演じた高畑淳子である。32年という歳月をかけて、一本の芝居の主役にたどり着いた女優の熱意には敬服する。

ニューオリンズで暮らす妹・ステラ夫婦を訪ねたブランチ・デュボア。広大な農園を持つ家のお嬢様として育てられた女性だが、今は零落し、ステラと夫のスタンレーが暮らす雑多な街に身を寄せて来た。野蛮で粗暴なスタンレーとブランチはことあるごとに衝突を繰り返し、淀んだ空気の漂う街の中で、ブランチの過去、そして現在の姿がスタンレーの手によって無残にもさらけ出されて行く。この作品を書いたテネシー・ウイリアムズが、「ブランチという女性像は自分自身である」と語ったのは有名な話だが、ブランチという女性の持つ繊細さと精神的な脆さ、危うさ、ギリギリのところで均衡を保っている姿のそこここに、ウイリアムズの人生が大きく投影されているのだろう。

今回の公演は、青年座と文学座という老舗の劇団同士の交流プロジェクトであり、この作品の上演経験を持つ二つの劇団から主なキャストが出ている。青年座からはブランチの高畑淳子、ブランチの恋人・ミッチの小林正寛、集金人の青年・宇宙(たかおき)、看護婦の津田真澄。文学座からはベテラン・金内喜久夫の医師、スタンレーの友人・パブロの川辺邦弘、隣人・ユニスの山本道子。そして、スタンレーには「東京セレソンデラックス」で人気の宅間孝行、ステラには神野三鈴という配役だ。それにピアニストの小曽根真が加わり、演出は文学座の鵜山仁という共同体だ。劇団同士がこういう形で一つの作品を創り上げる試みは大いに意義のあることで、数年前には「無名塾」の仲代達矢と「劇団民藝」の奈良岡朋子の「ドライビング・ミス・デイジー」が高い評価を残している。もはや演劇においてジャンル分けに意味を持たない現在、作品を優先に考えたこうした試みは大いに歓迎したい。

ブランチの高畑淳子。実に役柄の幅の広い女優だと、改めて感心した。テレビで見せるパワフルでコミカルな印象を持つ観客も多いだろうが、私は彼女が「越路吹雪物語」で見せた岩谷時子のあの抑制された品のある演技に圧倒された覚えがある。今回の役は正反対とも言えるエキセントリックな役柄だが、想いの強さが良く見て取れる。難を言えば、登場の瞬間に、後の悲劇を予兆させるような、ガラス細工のような繊細さがもっと出ていても良かっただろう。この瞬間が上品で美しいほど、後半の暴発とも言える感情の発露や、ガラリと変わる行動や発言とのギャップがより際立つ。芝居が後半に進むに従って、ガラス細工で覆われていた本性がだんだん剥き出しにされ、開き直って行く辺りの芝居は捨て身とも言えるほどの迫力がある。スタンレーを相手にまくし立てる舌鋒の鋭さは、他の女優にはなかったトーンで、新しい姿のブランチを創って見せた。今回の高畑ブランチで最も評価すべき点であろう。

スタンレーの宅間孝行。基本的には下品で野卑で粗暴なのだが、そのマイナスを補って余りあるほどにセクシーな男の魅力に溢れた役でなくてはならない、と私は思う。ステラがベタ惚れに惚れる男であり、そこには肉体でも男らしさでも陽気さでも、ステラを惹きつけて離さない魅力が必要だ。しかし、宅間のスタンレーにはこの魅力が決定的に欠けており、単なるちんぴら同然の男になってしまっている。これでは、ステラはあそこまで惚れることはできないだろう。もう一つ気になったのは、科白の語尾が乱暴なことで、たとえどんな科白でも、あくまでもスタンレーの科白として聞かせなくては意味がないのだ。演出の鵜山仁が、どういう意図を持ってこの役を造形したかったのかが、良く見えて来ない。

ステラの神野三鈴。今までの多くの「欲望」の場合、良くも悪くもブランチを中心にした芝居になりがちだったが、自分が最も愛する夫と、血のつながった姉の確執に挟まれた女性の悲劇が浮き彫りにされ、なおかつブランチとの姉妹の関係が濃厚に表現されたのは、今回の舞台での一つの成果と言える。男女の愛情と肉親との相克の間に揺らめく一人の女性としてのステラは、今回の舞台のキーになった。

ユニスを演じた山本道子に漂う生活感。こうしたものが、芝居にはいかに重要なものであるかを、わずかな芝居で見せる。ここはきちんと評価をしておきたいところだ。

ピアニストの小曽根真を起用したのは斬新とも言えるアイディアだったが、音楽が多すぎて、せっかくのピアノが生きなかった。この芝居で象徴的に登場するポルカの音楽を消してしまうことになりかねず、ご馳走の効果を損ねてしまったのは残念である。

繰り返し上演されてきた「名作」に新たな感覚で臨むことは大変な勇気が必要だ。当然、過去のいくつかの舞台との比較を免れることはできない。そのすべてをいきなり凌駕することはできないだろうし、過去の舞台を参考にしながら試行錯誤を重ねて積み上げてゆくのはどの作品にも言えることだ。しかし、今回の鵜山演出には「?」の付く場所がかなりあった。手練れの演出家の舞台にしては、多くの才能を活かし切れなかったというのが全体の印象だ。もう一味を加えての再演を期待したい。

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2011.12.23掲載

今の若い観客にとっては、この戯曲の作者である武者小路実篤という人物はもはや「未知の人」でもあろう。「その妹」が執筆されたのが大正四年、西暦に直せば1915年のことだ。今から100年近く前の作品で、古典も古典である。日本が西洋文明を取り入れた明治時代と、64年続いた昭和時代のはざまで、15年という短さの中にモダニズムやデモクラシーなどの独自の文化の発展を見せた「大正」という時代にこの戯曲が描かれていることが大きな背景にある。しかし、観客は、そういう予備知識など持たずに劇場に足を運ぶのが当たり前で、その世界や時代、感覚をどう見せるのか、というのがどの時代の作品によらず芝居に関わるものの腕であり、醍醐味でもある。あえて演劇的なジャンルわけをすれば「新劇」という部類に属するが、この芝居は「私小説」ならぬ「私戯曲」のような体裁を持っており、作者自身のことを描いたわけではないが、哲学的な言葉が並んでいるわけでもなく、ごく日常的な会話の中で進んでゆく。

将来を嘱望されている画家が、戦争で盲目となり、絵を描くことができない。絶望は深いが、絶望していては生きることはできない。何とか、小説家として独り立ちしようとする主人公を、精神的に支える妹がいる。しかし、どんどん逼迫する経済の中、その苦境を知った友人が経済的な援助をし、何とか小説家として自立の道を造ろうと試みるのだが、そう簡単に事は運ばない。そのうちに、友人は妹に友情を超えた感情を抱き始め、自らの家庭がだんだんに不和になる。その状況を察した妹は、ある決心をする。演出家の河原雅彦もプログラムに書いているが、一見すると「お涙頂戴劇」のように見えるが、この芝居の登場人物の感情は、100年近くを経た今でも、我々に生々しく訴えかけて来る激しさを持っている。それらの激しさが向かうベクトルはそれぞれに違っているのだが、いずれも人間の根源的な感情であることに変わりはない。「なぜ自分だけがこんなに苦しい想いをしなくてはならないのか」「金がほしい」「名声を得たい」「友人を助けてやりたい」「友人の妹を好きになってしまった…」など、どれ一つを取っても、今もどこにでもある話である。それを、巧みに組み合わせたことと、主な登場人物の骨格をきちんと描き分けたところに、武者小路実篤の作者としての評価がある。華族の家に生まれたお坊ちゃまでありながら、変わりゆく時代を見据え、30歳になるやならずで発表したのがこの作品なのだ。細かく読んで行くと文句を言いたい部分もあるが、作者が没して30年以上経った今、あえて言うこともあるまい。

主人公の盲目の画家・野村広次を市川亀治郎、妹・静子を蒼井優、友人の西島を段田安則、西島の妻・芳子を秋山菜津子が演じている。亀治郎は幕開き当初はいささか歌舞伎調の科白術が気になったが、芝居が進むに従って気にならなくなる。和服を着ての細かな所作に工夫が見られるのは、歌舞伎役者の強みだろう。蒼井優の静子も、最初は科白の調子がいささかぎこちなく、大正の女性には違和感を覚えたが、それも気にならなくなる。優しく兄に尽くしている場面よりも、一人の女性としての強さを持った考えを自覚してからの芝居が自然に見えた。演出家の肌理の細かさを感じた部分だった。段田安則の西島は、ひたすら誠実さを前面に押し出した芝居で、それがあざとくなる寸前で止めている。もう30年の芸歴を持つベテランの芝居で、つい先日観た芝居で見せた飄々とした役とのギャップを感じさせない。登場する場面は多くはないが、女中の水野あやを評価しておきたい。頭の結い方、衣装、歩き方、物腰、喋り方一つをとっても、「ああ」と納得させられる。一言で言えば、「時代の匂い」がするのだ。こういう脇役の重要性がもっと認められてしかるべきだろう。

ミュージカル花盛りの時代が想像以上に長く続いており、中にはミュージカル化する必要のない作品も散見される。ミュージカルを否定するつもりはないが、その中で、日本の土壌や風土に根差した過去の作品に眼を向け、「古い革袋に新しい酒を」注ぎ込むことは、日本の芝居を風化させないために重要な仕事だ。決して派手ではないが、そこには意義がある。古臭いと思われがちな芝居を、古臭さを感じさせずに今の観客にどう提示することができるのか。以前の「父帰る」や「屋上の狂人」などもそうだったが、新旧硬軟取り混ぜた幅の広さを持っていることが、すなわち時代を観る眼であり、芝居を創る眼なのだ。

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2011.12.08掲載

人の惚気を聴かされて泣かされたのは初めてのことだ。

毎年一回、「なかのZERO」で行う立川志の輔の独演会だ。前座の立川志の彦が「元犬」で軽く一席うかがった後、志の輔の「でぃあふぁみりー」。私には久しぶりの噺で、細かい部分のマイナーチェンジを感じながら、この噺家の「休まない芸」を感じた。中入りの後、黒紋付きに着替えて来た志の輔は、おもむろに客席を見回して、師匠の談志の話を始めた。「どうせ、皆さんは今日はこの話だけを聴きたくて会場に集まったんでしょうから」と笑わせながら、師匠・談志を客観的に眺めた評価や、師匠とのエピソードを語った。その後、「まあ、このままずっと続けてもいいし、落語をやってもいいんですけど、皆さんもどっちでもいいような顔してますよね」と言うや、「抜け雀」をたっぷりと話した。万雷の拍手の中、再び緞帳が上がり、そこでまたポツリポツリと談志の話を始めた。それが10分ほど続いただろうか、当初の終演時間の21:00を40分超えての終演となった。

志の輔いわく、「まだ実感がない」と言う。談志が亡くなったのが11月21日、わずか2週間後の独演会である。当然、この日までにいくつもの落語会をスケジュール通りにこなして来たであろうし、師匠を亡くした実感がないわけはない。しかし、「信じたくない」のだ。それを、彼はそういう言葉に置き換えたのだ、と私は聴いた。毀誉褒貶の激しい人物ではあったが、その芸に関しては紛れもなく名人である。普段の言動と噺の内容を一緒くたにして、談志を激しく非難する動きがあるのは事実だ。芸に関する評価は観客のものであり、どう評価しようと構わないが、それがきちんと談志の芸に向き合って、私的な感情による好悪ではなく判断した結果、「まずい」と言うのであればそれは構わない。私は、落語評論の専門家ではないが、演劇の批評家として、あるいは趣味として今までさんざん聴いた志ん生、圓生、志ん朝、小三治らと比べても、談志が名人であるという評価には揺るぎはない。一流の「照れ」で偽悪ぶることが大好きだった談志の発言や行動は時に過激であったことは間違いないが、いくら好人物でも、舞台の芸がまずければ芸人として評価することはできない。昭和の名人と謳われた三遊亭圓生も同様の言葉を遺しているし、こと落語だけではなく、舞台一般に言えることだろう。はっきり言えるのは、今この時点で、談志ほど落語に真正面から向き合い、愛し、慈しみ、憎み、懐かしみ、憤り、苦しんだ噺家は他にはいない、ということだ。そういう意味では、人間の業を肯定するのが落語だという自身の言葉の通りに、自らの業をすべてさらけ出し、落語と闘いながら死んだのだとも言える。茶化すわけではないが、立川談志の死因は、病名は「ガン」だが、精神的には「落語」だとも言えるだろう。それは、本人が一番望んだ死因ではなかったろうか。

志の輔は、哀しそうな表情を微塵も見せず、談志とのエピソードを披露し、客席を爆笑の渦に巻き込んでいた。まさに、観客の期待に応え、さらにきちんと落語も演じた。志の輔にとっては、談志とラーメンを食べたこと一つとっても、他の人とは変え難い想い出であり、喜びだろう。しかし、噺家という職業柄、涙ながらに語るわけには行かない。自分の師匠の死という、芸人にとっては親を失うに匹敵する、あるいはそれ以上の哀しみを抱えながら、観客を笑わせる志の輔の姿に、私は舞台に立つものの「業」を感じた。その姿が談志に似ているとは思わない。しかし、談志という大きな壁と闘いながら、志の輔流の「らくご」を創り上げて来た一人の噺家の大成を見届け、安心するかのように死んで行った師匠・立川談志がそこにいたのだ、と私は思う。もちろん、談志のこと、面と向かって志の輔を褒めるわけもなかろう。しかし、他愛ない言葉のやり取りなどどうでもいい、深い精神的なつながりと愛情で結ばれた師弟の愛情と尊敬、優しさ。そういう師匠を持てた志の輔に羨望を感じたのも事実だ。

すでに、これ以上売れようがないところまで来ている志の輔の芸が、どこまで進化を続け、どの時点で談志を超えた、と思わせてくれるのか。今後の楽しみはそこにある。

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2011.11.29掲載

音楽史上に燦然と輝く天才、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトと宮廷音楽家・サリエリの桎梏を描いた「アマデウス」。1979年にロンドンでの初演を皮切りに、映画化され、アカデミー賞で8部門を受賞した名作だ。この作品で、ピーター・シェーファーの芝居の魅力を知った人も多いだろう。日本では1982年に松本幸四郎が初演し、以後、今回で11回目の上演になる。初演時の江守徹のモーツァルト以来、子息の染五郎もこの役を演じ、その妻・コンスタンツェも初演の藤真利子、渡辺梓、藤谷美紀など多くの女優が演じて来たが、サリエリだけは一貫して幸四郎が演じており、今回の公演の初日が401回目だったそうだ。「勧進帳、「ラ・マンチャの男」など、1000回以上の上演を重ねている当たり役を歌舞伎、ミュージカルと芝居のジャンルを問わず持てるというのは役者の幸福であり、どの芝居も回を重ねるたびに進化を続けて来た証拠だろう。今回はアマデウスに武田真治、コンスタンツェに内山理名を得て、演出も今までのピーター・ホールに変わって幸四郎自身の演出・主演となった。

7年ぶりの上演ともなると、主なメンバーのほとんどが様変わりしており、「アマデウス」という芝居を頭でも身体でも熟知しているのは幸四郎一人と言ってもよい。その中で、自ら演じつつ、演出も手がける中で、一番の特徴は幸四郎の近代人としての「眼」がそこここに見えることだ。たとえば、この話がたとえ現代の音楽界に置き換えられたとしても通用するような、現代劇としての視点を持たせたことだろう。人間の心のありようはそう簡単に変わるものではない。増して、根源的・原始的な感情の動きなど、200年や300年で劇的な変化など遂げはしない。そこを捉え、現代にも通用する「ドラマ」として演出し、人間ドラマとしての普遍性を持たせたのが今回の幸四郎の功績と言えよう。

この芝居は1982年の初演以来、私は東京での公演はすべて観ている。しかし、何度も観ていても、舞台には常に新たな発見があるものだ。

「アマデウス」について語られる時、稀代の天才・モーツァルトと宮廷作曲家の地位は得ているが凡庸な才能しか持ち合わせなかったサリエリとの対立軸が中心となることが多い。しかし、今回の舞台を観ていて、私はそうではないことに気付いた。これは、天才と凡人の対立ではなく、天才同士のドラマなのだ。我々凡人よりも遥か高みにいる二人の天才が、嫉妬や蔑み、妬み、狡猾さ、猜疑心、羨望、憧憬、小心さ、甘え、ずる賢さなどを剥き出しにして、ぶつかり合って生きている。二人の天才は、才能に優劣があるのではない。役割が違うのを、才能の差だと誤解をされているように見えるのだ。このドラマの本質は、二人の天才が陰と陽、光と影を演じるところにある。もっと言えば、この芝居は一曲の音楽でもあるのだ。モーツァルトとサリエリが奏でる主旋律と副旋律。それが時として入れ替わり、或いは併走し、曲調を変えながら二人のドラマを演奏している。一枚の紙の表と裏、とも言えよう。「一流は一流を知る」という言葉があるが、サリエリがもしも科白にあるように凡庸な音楽家であったならば、モーツァルトの天才ぶりをあそこまで細かく読み取り、感じることはできなかったであろう。音楽家に例えれば「同じ耳」を持っていたからこそ、その才能をリアルに感じ、嫉妬をしたのだ。ドラマのこういう捉え方が非常に幸四郎らしい理知的な近代を感じさせる。

モーツァルトの武田真治が、不思議なことにドラマが進むにしたがって、目に見えて芝居が良くなる。芝居の始めでは、明らかに役柄との距離を感じたが、だんだんに追い詰められて死が身近になる終盤になると、迫真とも言える芝居を見せる。一本の芝居の中で、スタートとゴールにこれほどの差を感じさせる役者も珍しい。最後の場面では、モーツァルトが彼に憑依しているのではないか、とさえ感じた。彼の役者の生理として、下品で猥雑極まりない姿のモーツァルトよりも、死の影に怯えるモーツァルトの方が性に合うのだろう。内山理名のコンスタンツェ、どうしても男優二人の陰にかすむ嫌いがある。武田真治同様に、下品さを演じるのにいささかのてらいがあるように感じた。

幸四郎のサリエリは、7年前の舞台よりも、若い時代の芝居が若々しくなっている。歌舞伎流の言い回しをすれば、11演目を迎えて「役が手に入っている」と言うところだろうが、そうしたこととは違い、7年前のサリエリとは大きく姿を変えている。それは、今まで述べて来た演出家としての解釈が自身の演技に加えられたことが大きいのだろう。サリエリが持っている狷介さが、今までよりも自然に見えるのが印象に残った。これは、あえて狷介さを前面に押し出すことなく、サリエリの人間そのものを演じることで、自然に見え隠れするような感覚になったからだろう。この非常に濃密なドラマを、初演以来のすべてを知る役者として、演出家の役割も兼ねながら進めて行くのは容易なことではなかったはずだ。

キャストが大きく変わったことで芝居の本質が変わるものではないが、味わいは変わった。個々の役について、7年前の舞台と比較するつもりはないが、今回は出演していないたった一人のことを書いておきたい。ほとんど目立つこともなければ芝居のしどころがあるわけでもない従僕を初演以来演じていた日野道夫という役者がいる。7年前の時点ですでに90歳で、体力的な問題もあったのだろう、ダブル・キャストになっていた。しかし、私は前回、わざわざ日野道夫が出る日を選んで観た記憶がある。舞台にいて、大車輪の演技を見せるわけではないが、主役を巧く引き立てる味わいを見せる、本当の意味での脇役が欠けて行くのが惜しいことだ。大スターではなかった代わりに、変え難い味を持ったバイ・プレーヤーの存在が芝居にいかに重要か。もう日野道夫の舞台に触れる人もほとんどいないだろうから、あえて記す。

ピーター・シェーファーが、20世紀を代表する劇作家の一人であることは今さら言うまでもない。しかし、この「アマデウス」は、手ごわく、面白く、深みがあり、興味の尽きない作品であることは確かだ。今後もさらなる「変容」を奏でてゆくのだろう。それが楽しみだ。久しぶりに上質の翻訳劇を観た想いがした。

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2011.11.09掲載

泉鏡花の人気戯曲である「天守物語」を、篠井英介の富姫、平岡祐太の図書之助というコンビで白井晃が演出をしている。歌舞伎や新派の舞台で見慣れたこの作品が、どういう視点で捉えられるのか、が興味のあるところだ。幕開きに、豪雨に近い雨の音と共に、近江之丞桃六の小林勝也、篠井英介、平岡祐太が洋服で裸舞台にいる。これは、この物語における三人の姿を「点景」として切り取って、最初に見せたものか、と感じたが、唐突な感じがしたのは事実だ。今までに坂東玉三郎の「天守物語」を見慣れて、あるいはそのようなテイストを期待して来た観客にはいささか予想をはずれたものだったろう。

脚本は、作家の手を離れてしまえば後は演出家と役者に委ねるしかない。演出家が脚本をどう解釈し、それを役者の肉体を通じてどう表現するか。その結果である芝居を、受け入れる、受け入れないという問題は、最終的には観客の「好み」に収斂してしまう。そこで、その好みの問題をねじ伏せてしまうほどの強烈な何か、があれば問題は別だ。そういう意味で言えば、今回の白井演出は、賛否両論が別れる舞台だろう。「天守物語」は異界に棲む富姫と俗界の図書之助との恋の成就までを描いた作品だが、私が観た限りでは、一番の問題は異界と俗界にいながら、同じ匂いを持つ人びとが多いことだった。例えて言えば、幕開きに出て来る腰元たちの科白に、鏡花が創った突拍子もない美の世界の匂いが感じられない。普通の若い女性の日常会話を聴いているようである。一方、篠井英介は明らかに異界の住人である。このアンバランスが目立ったのが惜しかった。

篠井英介。歌舞伎以外の女形として、多くの舞台を演じて来た。彼の富姫が舞台に現われたのを見た瞬間、この役者が歩んでいる過酷な人生と、その努力が実ってここまでたどり着いたことの嬉しさを覚えた。歌舞伎の女形は、例外を除いて歌舞伎だけを演じていれば歌舞伎の女形の必要条件は満たせる。しかし、篠井英介の場合、著作権管理者に「男性が演じた例はない」と断られながらも、長年の夢であった「欲望という名の電車」のブランチを演じたほどに演じる役の幅は広い。その分、可能性や希望と同じほどに、あるいはそれ以上に障害も多かったはずだ。そうした幾多の困難を乗り越えて「天守物語」の富姫という、多くの名優が演じた役を演じるところまでたどり着いたのだ。役者の道は誰もが孤独だ。その孤独を噛みしめながら得た富姫である。彼の富姫は、声が地声を基調としており、女形として無理に作った声ではないのが良い。特に今回の役は異界の住人であり、時に声が太くなる場合も、それがプラスに働いた。しかし、一点だけ言えば、世話場に砕けた科白になった瞬間、俗界の人間に戻ってしまい、富姫を常に包んでいるはずのベールが剥がれてしまうことだ。

平岡祐太の図書之助。爽やかな容姿を持つ青年だけに、良いコンビになるかと期待したが、まだまだ科白が危ない。恐らく、彼の感性ではこの物語も、演出家の意図も理解しているのだろう。しかし、それを「科白」として表現する段になると、図書之助として自分の科白を言う仕事に手一杯になってしまい、図書之助が持つ凛々しさや涼やかさなどのプラスアルファの表現にまで至らない。このもどかしさを、観ている私が感じるぐらいだから、本人はなおさらだろう。今回の経験を良きステップにして、多くの宿題を見つけてほしいものだ。

小林勝也の近江之丞桃六は原作でも美味しい役だ。その美味しさを見事に活かしているのは、ベテランの味だろう。同じことは、薄の江波杏子にも言える。ただ、田根楽子の舌長姥は想定の範囲に収まりきってしまったのが残念だった。坂元健児の朱の盤坊というのが面白いキャスティングで、それに応えた。亀姫の奥村佳恵は、これからの役者だろう。

古典の名作として確固たる評価を築いている作品に、新たな息吹を吹き込むことがどれほどの労力を必要とするか、今回の白井演出で非常に良く分かる。だから、無難な線を選ぶ演出家も多い。しかし、今回の演出が失敗だったとは私は思わない。良くも悪くもあまりにも固定化した一つの作品に対する「挑戦」の意味合いでは、瑕疵はあるものの、新しい解釈の余地を見せたことは評価に値する。最初ですべて完成と言うわけには行かないが、新しい「天守物語」の基盤の一つを創ったことは確かだ。今後、どう練り上げるか、課題はそこにあるのだ、と思う。

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2011.11.03掲載

あゝ、荒野 2011.10 彩の国さいたま芸術劇場

テレビで屈託のない笑顔を見せている人気グループ「嵐」の松本潤と、寺山修司の作品に漂う「虚無感」が意外に相性の良い組み合わせだったのが、この舞台での発見である。もう一つは、女性と戯れる時のにこやかな美しい笑顔の中に、カミソリの刃を手で持っているような鋭さを見せる瞬間がある。これが、彼の魅力なのだろう。

1983年に47歳の若さで亡くなった寺山修司の、元から芝居として書かれた戯曲ではなく、唯一の長編小説「あゝ、荒野」を夕暮マリーが脚色し、蜷川幸雄が演出している。私の手元にあるもので約320ページに及ぶ長編小説を劇化した手順は、良い意味での「いいとこ取り」で、舞台の両側に寺山が詠んだ短歌が何首か映し出されながら、テンポを持って進む。舞台は、1960年代の新宿。松本潤が演じる小生意気なボクサー、新宿新次と、小出恵介のどもりのボクサー、バリカン健二が、友情を育みながら勝村政信が演じる片目のコーチの元で練習を積み、やがて二人が対決する、という話だ。何やらマンガの「明日のジョー」を想起させるストーリーだが、ボクシングを愛した寺山修司のオリジナルである。

今とは種類も匂いも違う猥雑さと活気を持っていた新宿。例えば、安っぽいネオンが毒々しく煌めくごちゃごちゃした繁華街、葬式の花輪と開店祝いの花輪が並んでいても何も違和感を覚えないような街が舞台である。今の観客にも分かりやすいような工夫で舞台が創られている半面、時代感覚が薄れるのは仕方のないことだろう。我々は追憶よりも現代に生きなくてはならないのだから。私が子供心に憶えている60年代の新宿にしても、靖国通りを走る都電、三光町の交差点のトロリーバス、東口の「二幸」といった点景でしかない。そんな時代の新宿のうらぶれたホテルに、娼婦が次から次へと男たちを咥え込み、したたかに生きている。ここで印象的だったシーンがある。新宿新次がセックスの後で、パンツ一枚で両手を広げて、眠っているシーンだった。何やら、磔刑のキリストのようだ、と思っていたら、娼婦が舞台の上に吊り上げられて消えた。「俗」に暮らし、生きる娼婦や、それを買う若者を「聖化」する辺りは、いかにも寺山修司らしい。

もう一つ、印象的だったのは、バリカンと新次が互いに母を語る場面だった。当然二人の母親は違う人物なのだが、どちらも作者である寺山修司の母親像である。終生、母親との桎梏を抱え続けた寺山修司の複雑な感情を垣間見た気がした。私小説的な要素をも含んだこの長編小説には、今どきの若者が口にするとは思えないような難解な言葉がたびたび出て来る。日本で有数の繁華街・新宿で「荒野」を語る二人の青年。今の若い人々には異質なもの、として映るかも知れない。しかし、二人の口から発せられる言葉には、繁華街を荒野に変えるようなエネルギーの発露と、くすぐったいような青春の痛み、とが同居している。いつもポマードの匂いのするようなイカした新次と、自分の想いを口にすることも容易ではないバリカンとは、一見対照的に見えながらも、双子の兄弟のようでもある。松本潤も小出恵介も、細かな演技の巧拙について言えばいろいろな問題が出て来る。しかし、二人がこの難解で、するめいかのような歯ごたえと噛みごたえを持った「あゝ、荒野」という大作に裸でぶつかり、身にまとった雰囲気でその人物を演じようとしている姿勢には好感が持てる。ラストに近いシーンで、リングの上で4ラウンドのボクシングの試合をする二人は、お互いが相手に対して抱いていた憧れや恋慕にも似た感情を、肉体を傷つけることで確かめ合っているかのように感じられた。寺山修司と同世代で、一入の思い入れがあるのだろうか、最近の蜷川幸雄の演出作品の中では、最も蜷川らしさを感じる演出である。

この批評を書いていてふと気づいたのだが、寺山修司が亡くなって間もなく30年になろうとしている。もはや、寺山修司は「伝説」として語られるべきほどの年月が経ってしまった今、こうした形で寺山の新しい作品が陽の目を見るのは意義のあることだ。歌人・詩人・エッセイスト・小説家・劇作家・シナリオライター・評論家・作詞家・演出家・映画監督などの多彩な顔を持ち、「僕の職業は寺山修司です」とインタビューに答えた人物の、代表的な短歌を一首最後に紹介しておこう。今、我々が、日本が直面している姿だからだ。1954年、18歳の時に「短歌研究」という雑誌で新人賞を受賞した歌だ。

「マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや」

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2011.10.30掲載

ピアフ 2011.10 シアタークリエ

下品で粗野で傲慢で淫乱、我儘な上に無教養で気分屋、言い出したら聞かない、欲望を抑えられない…。欠点を挙げたら幾らでも出て来そうだ。しかし、その多すぎるとも言える欠点を、「歌」ですべてカバーし、あまつさえ聴衆の心を揺さぶった稀代のシャンソン歌手、エディット・ピアフ。没後50年になろうとする今も、彼女の楽曲の数々の人気は衰えず、多くの俳優たちがその波乱万丈などという陳腐な言葉では言い表せない一生を演じて来た。美輪明宏が一番多くピアフの生涯を演じているであろうし、その初演を四半世紀以上前にサンシャイン劇場で観た以外にも、亡くなった上月晃のピアフなど、幾つかの舞台を観て来た。しかし、幕が開いて、よれよれの大竹しのぶが出て来た瞬間、その姿恰好が、私が映像で知っているエディット・ピアフに酷似していたのは驚いた。猫背気味の身体で腕を広げ、半ば投げやりのように、しかし虚空を凝視する力強い視線で登場する大竹のピアフは、偉大なる歌手のピアフではなく、素っ裸のピアフ像だったからだ。

実在の人物を劇化する場合、有名なエピソードにいくばくかの味付けや装飾を施して芝居にするケースが多くなる。多くの人々が知っている場合は、なおさらそれが理想的で甘美なものになってゆく。しかし、パム・ジェムスの脚本は、思いつく限りの下品な言葉を容赦なく次から次へとピアフに喋らせ、世界的なシャンソン歌手の「伝記」や「一代記」としてではなく、蓮っ葉な一人の貧乏ったらしく惨めな、猜疑心と我儘の塊のような女の姿を浮き彫りにした。それも、これでもか、と言わんばかりにピアフの悪い面を際立たせ、ドラマに導入する。しかし、芝居を観ているうちに、このどうしようもない女性の魅力に惹きこまれている自分がいる。大竹しのぶが、舞台女優として確固たる地位を築いている演技派であることは言うまでもないが、今回の舞台は、「キチガイじみている」とも言えるほどの打ち込みようで、観ていて「何だ、ピアフは…」と、思わずピアフの脈絡のない行動に批判めいた感情を覚えるほどに役と一体化している。

もちろん、その中にはお馴染みの「水に流して」「私の回転木馬」「ミロール」「私の神様」「枯葉」「アコーディオン弾き」「愛の讃歌」など、ピアフの絢爛豪華な楽曲の数々が挟まれる。しかし、だからと言ってこの芝居はミュージカルという範疇には収まり切らない一面を持っている。今、ここでミュージカルの厳密な定義をするつもりはないが、歌手の一生を描く以上は、その歌が流れるのは当然であり、多くの観客もそれを期待している。その要求も満たしつつ、歌よりもピアフの剥き出しの感情と貧弱な肉体から、その魅力を炙り出そうとした作者の着眼点は面白い。例えて言えば、感動的に心地よいエピソードだけを集め、歌を挟んで、薔薇の花で囲むような芝居にもできる素材を、あえて汚泥の池の中に突き落とし、最終的にはその泥の中から美しい蓮の花が顔を出すような芝居だ。

大竹しのぶという女優が、どの作品にも全力投球で臨んでいる姿は今までに何度も眼にして来た。しかし、この「ピアフ」は、畢生の当たり役と言っても良いほどに特筆すべき作品となった。ピアフに限りなく近い姿を演じながらも、それは物真似ではない。大竹しのぶとピアフが一人の人間の中で格闘をした挙句に、その区別が曖昧になるほどだ。実際に、現実と狂気のごく薄い皮の間を行きつ戻りつしながら48歳の生涯を閉じたピアフの姿を、実に見事に演じた。大竹しのぶの「狂気」を感じたのは、カーテンコールで何度も舞台に登場し、頭を下げる彼女が、最初はまだピアフの顔付きだったことだ。三回目か四回目に舞台に登場し、微笑んだ時に、やっと普段の大竹しのぶの笑顔が戻った。

序幕13場、二幕10場の構成はいささか駒切れになるかとの懸念があったが、それも杞憂に終わったようだ。最近、やたらに場数の多い舞台が多いが、この作品に限って言えば、わずかな時間の場面でも、そこにエピソードではなく、ドラマが描きこまれている。面白いのは、ピアフの昔の仲間の娼婦である梅沢昌代のトワーヌ以外は、みんなが複数の役を演じていることだ。主な役で言えば、田代万里生のイブ・モンタン、ピアフの数多い恋人のボクサー、マルセル・セルダンが山口馬木也、ピアフを最初に見出したクラブのオーナー、ルイ・ルプレの、ピアフのマネージャー、ルイ・ルプレの高橋和也、マレーネ・ディートリッヒの彩輝なお、最後の恋人で夫となる碓井将大のテオ・サラポなどだ。ピアフに取って、生涯忘れがたい恋人となったマルセル・セルダンを演じた山口馬木也が予想以上にセクシーな男の魅力を見せた。ピアフに対する愛情と引け目のバランスが良かったのだ。ピアフのマネージャーで、ルイを演じた高橋和也の誠実な芝居も目立った。立派な中堅の役者である。梅沢昌代のトワーヌも、大竹に負けじと素っ裸の下種さをさらけ出している。脇をこういう人が固めてくれると、舞台の質がグンと上がるものだ。イブ・モンタンを演じたテノールの田代万里生が見事な声量で「帰れソレントへ」を熱唱した折には拍手が沸いたが、芝居の方はまだこれから勉強だろう。

この手ごわい芝居を、演出の栗山民也が良くまとめたものだと思う。海外の芝居だから、素材の人物が有名だから、というわけではなく、今、日本の芝居の新作で、これほどに骨っぽく、人間の本性をさらけ出し、最後にはすべてが浄化されてゆくような芝居がほしい、と痛切に感じた。と同時に、大竹しのぶの底知れぬ「恐ろしさ」を感じた舞台でもある。

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2011.10.26掲載

カミサマの恋 2011.10 紀伊国屋ホール

青森県には、「イタコ」の他に地元で「神様」と呼ばれる女性たちがいる。一時、テレビで話題になった人もいたが、雑駁な私の印象を言えば、霊能力プラス身の上相談、あるいは生き方指南といった要素を色濃く持った、土地ならではのものだったように記憶している。そんな「カミサマ」に、奈良岡朋子が扮し、青森に拠点を構えて、幅広い演劇活動を行っている畑澤聖悟が脚本を書き下ろした。演出は、劇団の丹野郁弓だ。

登場人物のほぼ全員が青森弁をしゃべるという設定の芝居は、東京ではなかなか観られないだろう。青森でも津軽と下北、三沢では微妙にイントネーションが違い、そこに日本の歴史が経験して来た感情の軋轢の片鱗を感じることができるのだが、方言に関してはいささかのばらつきがある。しかし、やはり奈良岡朋子の科白は、土地にどっかり根を据え、人生の年輪を重ねて来た重みが他の俳優とは違っている。

人々の相談相手になっているカミサマこと遠藤道子(奈良岡朋子)だが、一般の人間であることに変わりはない。自分自身の内部にも問題を抱え、懊悩する部分もある。そこへ、藤巻るもが演じる由紀という若い娘が弟子入りしているのだが、どうもまだ覚束ないでバタバタしている。そうした日常の中で、多くの人々が入れ替わり立ち代わり家庭の問題を持ち込み、カミサマは適宜アドバイスをし、ご託宣をくだすのだが、その繰り返しが前半で何度か続くのがいささか単調な感を与える。他の地域の人々には馴染みのない「カミサマ」という独自の信仰や生活を見せる意図は充分に理解できるが、あまり変化のない場面が続くので、このやり取りは一回ぐらい減らしても良かっただろう。

しかし、後半になると、ドラマの展開が変わって来る。それは、他人の悩みにある種の回答を与えるカミサマ自身の悩みが前面に押し出されて来るからだ。カミサマと呼ばれ、地元での尊敬や信頼は得ていても、彼女自身にも今に至るまでの普通の人生があり、そこでは相談に来る人々と同じような悩みや苦しみがあった。それを克服して来たからこそ、その言葉に重みもあり、信頼感もある。しかし、そのカミサマにも我々が抱えているような問題と同じレベルの悩みがある、と判明することで、ドラマは俄然生彩を帯びて来るのだ。「カミサマの恋」という一見かけ離れたこの芝居のタイトルの意味が実に鮮やかに浮かび上がる。

いささか乱暴な言い方をすれば、この芝居は奈良岡朋子が演じる「カミサマ」を取り巻く一種の「家庭劇」なのである。非常に人間くさい人々が、日々の生活の中でふと立ち止まって考えたり、右か左かの選択に迷った時に、カミサマがさり気なくその背中を押す。その方向が正しいかどうかの問題ではなく、「背中を押してもらう」ことが一番大事な行為なのだ。カミサマは八卦見ではない。時に、相談に来る人々と同じ視線を持ち、同じような悩みを抱えていることが重要なのだ。突き詰めて言えば、この芝居は、青森県に生き、日常生活の中に「カミサマ」が存在する人々をモデルにした「人間賛歌」であると言えよう。奈良岡朋子を中心に、千葉茂則や塩屋洋子、箕浦康子、船坂博子、小嶋佳代子、梶野稔、天津民生らのベテラン、若手が入り混じり非常に人間くさいドラマを演じているのだ。もしかすると、これは劇団民藝のある一面の姿を、形を変え、場所を変えて芝居にしたのではないか、とも思える。そういう勝手な観方ができるのは、演出家が劇団員の個性を知悉しているからだろう。こういう芝居を観ると、劇団の持つ魅力が、新しい形で浮かび上がって来るのが面白い。

今、こうして批評を書くために舞台を思い返してみて、ネィティブに近いレベルで津軽弁をこなす奈良岡朋子の科白術には改めて感嘆する。凄い女優だ。

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2011.10.22掲載

「泣き虫なまいき石川啄木」2011.10 紀伊国屋サザンシアター

歌人である石川啄木を歌以外の面で語る時に、とかく引き合いに出されるのは「貧乏」「金にだらしがない」などというマイナス・イメージのエピソードだ。四十五年続いた明治時代の中期に生を受け、その最後の年に二十七歳で亡くなった夭折の天才・石川啄木には、そういった何かしら暗いエピソードがつきまとう。現在はいささかの説明を加えなければ理解しにくくなった明治時代の「大逆事件」を目の当たりにし、間もなく生涯を閉じた啄木を、その家族と共にした人生の断面を切り取った井上ひさしの作品を、段田安則が演出しているシス・カンパニーの公演である。

石川啄木に稲垣吾郎、妻の節子に貫地谷しほり、妹の光子に西尾まり、母のカツに渡辺えり、父の一禎に段田安則、親友の言語学者・金田一京助に鈴木浩介というメンバーで、稲垣と貫地谷以外はもう一役ずつ演じている。

井上ひさしの脚本は、この作品を「偉大なる天才詩人の物語」として描いてはいない。貧しさに苦しむ、ある家庭の問題として描き、そこに明治時代の思想や世相、人々のありようといった要素を描き込んでいる。極端に言えば、多少風変わりな個性を持ったある一家の姿を描いた「家庭劇」なのである。ただ、その家庭の主である石川啄木が、歌人であり、思想家としての発想に目覚めたり、妄想に走ったりする少し変わった人物で、良く眺めてみると、その両親もそれぞれ一癖も二癖もありながら、貧しさの中でしたたかに生きている「どこにでもある家族の物語」なのだ。

稲垣吾郎の啄木は、二幕目に入ってから俄然精彩を放つ。親友であり後に高名な言語学者となる金田一京助との激烈とも言えるやり取りや嫁と姑の問題、貧しさに対する反発が社会へ向けられていく感情などを、そのまま体当たりで演じている感覚がある。変な小技を使おうとしないのが良いところだ。好対照をなすのが段田安則の父親で、自分の女房に「居候の名人」と言われ、禅宗の僧侶でありながら酒には滅法だらしのない、いい加減な父親像を飄々と演じる。しかし、その中で時折発する警句めいた科白が、いかにも井上ひさしらしい血の通った言葉として活きている。渡辺えりの母親が盛岡弁を見事に操り、その迫力ときっちり計算された芝居が練達を感じさせる。厳しくも温かい、などという表面的なものだけではなく、母親といえども芯から「女」である姿を演じた。こうした「濃い」役者の中で、貫地谷しほりの妻・節子のおとなしさの陰に見え隠れする芯の強さや啄木への愛情が、一つのアクセントになっている。

今、我々を取り巻く環境は決して豊かなものではない。誰もが、何かの折に不便さや貧しさを感じていることも多いだろう。しかし、今の貧しさと、啄木たちが感じていた貧しさは明らかに質が違う。便利と快適を追い求め、手に入れた挙句、精神的な豊かさを失った現代の人々にも、金銭的な面を含めた貧しさが存在するのは確かだ。しかし、この芝居の登場人物は、その日の暮らしに困り、方々に借金を重ねながらも、一杯の夜泣き蕎麦に「幸福」を感じることのできる感性を持っている。もちろん、我々も同様のケースで幸福を感じることはある。しかし、その幸福感の質は似ていても非なるものなのだ。100年前の話と比べて、どちらが良い悪い、という問題ではない。

井上ひさしは、エキセントリックな部分を多分に持つ石川啄木の姿を通して、「貧しい人々」に限りなく優しい視線を向けている。啄木自身だけではなく、いい加減な父親にも、鬼婆のような母親にも。この芝居の値打ちは、そこにある。

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2011. 9.29掲載

「YAMATO」2011.09 東京国際フォーラムC

今、ずいぶん多くの「和太鼓」の集団が活動をしている。今回、初めて東京で大きな規模のリサイタルを開いた「YAMATO」という集団は、奈良県の明日香村に本拠地を置き、集団生活を送りながら太鼓の稽古をし、海外や学校などで公演を行っているという。今までに世界51か国で2000回以上のリサイタルを開いている一方、日本では50回程度だというから、日本よりも海外での知名度の方が高い。最初は明日香村で高校時代に太鼓で遊んでいた四人組が、お祭りなどに神社で投げ銭をもらいながら公演を披露するようになり、やがて本格的に太鼓を演奏するようになってもう20年になると言う。面白いのは、海外公演のために非常にショーアップされた部分と、なおかつ離しえない土俗的な芸能の両面を持っていることだ。恐らく、本人たちは意識して行っているわけではないのだろう。だからこそ面白い。

全部で50個近い太鼓を使い、途中で三味線や琴の演奏も入れるが、最大のものでは直径が二メートルもあろうかという太鼓の音は、観客の腹の底に響く。15人がステージに並んで迫力のあるダイナミックな演奏を聴かせたかと思うと、無言で小さな金属製の楽器を操りながらコントのような演奏を聴かせもする。こうしたショー、あるいはパフォーマンスとも言うべき舞台の創り方は、外国では非常な好評を博したのがわかる。その一方で、女性五人がかき鳴らす三味線の響きは、技術的には決して巧みでもなければ洗練されてもいない。むしろ、そうしたものを拒否するかのように、撥を叩きつけるようにして力一杯かき鳴らす三味線は、明日香村の古い時代の土の匂いさえ感じさせる。江戸時代に急激な発達を遂げた三味線を、ありえないことだが鎌倉時代に聴いているような感覚だ。しかし、これがきちんとした三味線音楽の師匠に習ったものであったら、彼らの土俗的とも呼べるパワーは失われ、面白くも何ともなかっただろう。

外国での公演を主として活動した経緯か、和太鼓のコンサートというよりも、パフォーマンスの要素がかなり色濃いステージである。多くの国での公演のために、その国の言葉でたどたどしく語るよりも、出演者たちの肉体を駆使し、それを言語として伝える手段だ。事実、カーテンコールまで誰も一言もしゃべらず、いわゆるMCはなかったが、それでも充分に日本の観客を満足させていた。むしろ、初登場に近い日本の観客の前で、余計な情報を与えなかったのが幸いしたのだとも言えよう。

彼らの太鼓を聴いていると、音楽ではあるのだがスポーツのような「肉体」を思い切り使った芸能であることをしみじみと感じる。私は、彼らが今後どういう方向をたどるのかに非常な興味を覚える。1500人収容の東京での大きなコンサートをこなした成果を武器に、今後も国内の大きなホールなどを主体に活動するのか、あるいは良い意味での「放浪芸」に近い芸を見せるのか。ホールの椅子には、常に「洗練」を求める観客がいる。しかし、彼らの大きな魅力の一つは、「土臭さ」にある。洗練と土臭さという、相反する個性の中を行ったり来たりしながら、次第に彼らのステージのスタイルが固まって行くのだろう。終演後に、リーダーの小川正晃の話を聴いた。活動の当初は、神社のお祭りなどの機会に屋外で演奏し、投げ銭をもらい、それを貯めては新しい太鼓を買うような形だったという。とりもなおさず、芸能民の原初の姿でもある。今後もそれで暮らせというのは甚だ無責任であり、そういうつもりもないが、出発点にあった姿勢は大事にしてほしい。

数年前の事になるが、松本幸四郎が「勧進帳」の弁慶の1000回目の公演を、奈良の東大寺で演じた。秋の月がぽっかり浮かぶ中で、弁慶の科白が真っ暗な奈良の空中に拡散し、吸収されてゆくのが得も言われぬ味わいで、劇場のフレームの中で観る歌舞伎よりも幾層倍も魅力的だった。願うことなら、古代からの歴史を持つ明日香の村の夜空の中で、空中へ拡散してゆく力強い太鼓の音色を聴いてみたいものだ。

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2011. 9.15掲載

思い出を売る男 2011.09 劇団四季・自由劇場

幕開きに、グレーのスーツに身を包んだ日下武史が登場し、この芝居の作者である加藤道夫と劇団四季との関わりを語る。今年で創立五十八年を迎えた劇団四季にとって、加藤道夫は一人の劇作家であると同時に「忘れ得ぬ人」である。そのいきさつを、創立メンバーの一人である日下武史が、静かに観客に語りかける。今の演劇ファンにとって、「加藤道夫」という名前が説明をつけなければわからない時代になった、と嘆いても仕方がない。今夜の観客が、この芝居と共にその名をしっかり胸に刻めば良いだけのことだ。私はむしろ、日下武史の話を聴いて、一観客として関わり始めた約三十年前からの劇団四季と私の歩みや想い出に、胸が熱くなるのを禁じ得なかった。

舞台は戦後の混乱期と思しき街のガード下。カーキ色の軍服に身を包んだ「思い出を売る男」(田邊真也)が、サクソフォンを手に立っている。一曲百円で、通りすがりの人々に曲を吹いては想い出を蘇らせる。故郷に恋人を残して来たG.I(佐久間 仁)、やたらに金を持っている陽気な乞食(日下武史)、黒マスクのジョオと呼ばれる街の親分(芝 清道)など、いろいろな人々が男の前を通り過ぎてゆく。非常にポエティックな感覚を持った芝居で、舞台の上の時代は暗く、先の見えない状態だが、「思い出を売る男」の存在によって、未来への希望もあれば、過去への甘美な想いもある。芝居の中心にいるのはあくまでも「思い出を売る男」なのだが、彼に関わる人々との会話を通して、その時代の世相や考え方、生き方などがいくつも炙り出される構造になっている。ピン札の束を懐にし、ステーキでもコロッケでも、何でも食べ放題だと明るく笑い飛ばす乞食の姿に、ひたすら物と金を追い求め、追い掛けられて疲弊している今の我々の姿が、鏡に映し出されるような気がした。わずか75分の一幕物の芝居の中で、見事に造り込まれた作品だ。

「思い出を売る男」の田邊真也。最近、ストレート・プレイでも著しい進境を見せている。全体的に小ざっぱりと、綺麗に造りすぎている感はあるが、その中に真っ直ぐに時代に向き合い、自分なりの生き方を見つけようとしている青年の姿が見えたのが良かった。陽気な乞食の日下武史の老練さは相変わらずで、80歳を超えたとは思えない科白の力を持っている。広告屋の味方隆司の役の造形に工夫があったのを書いておこう。

私は戦後世代で、戦争のことは家族や先輩たちの話でしか知らない。しかし、この芝居を観ていると、今の情報や物質に溢れた時代よりも、遥かに精神性が豊かで、人々が貧しくとも希望を持ち、いたずらに世相に不満を抱いているだけではないことが痛切に感じられた。今の時代に生きる我々は、一体どこまで何を追い求めたら気がすむのか。その先には何があるのか。この作品を書いた当時の加藤道夫が現在の日本の姿を見通していたとは考えられない。しかし、貧しく不自由な時代に、これほど自由闊達に、自由に逞しく生きている人々の姿を舞台の上で観ていると、何もかも恵まれていながら不平をこぼしている今の我々の生活が、物理的には恵まれていても、精神的にはいかに貧しいものであるかを思い知らされる。半世紀以上前の芝居だから古い、ということでなく、逆に昔の作品から今の我々が教えられることがいかに多いかをも同時に感じる。日本という国が、数えきれないほど多くの問題を抱えている今だからこそ、このタイミングで劇団四季が取り上げる意義がある。それは、加藤道夫と劇団四季との関係性だけの問題ではなく、一本の芝居を通じて、今の日本の状況を客観的に我々観客に考えさせる一つの手段でもあるのだ。

「本当の豊かさとは何か」。恐らく、東日本震災以後、このテーマについて誰もがいろいろな想いを抱き、それに関する話題も多い。幸せの青い鳥の話ではないが、もう一度、真剣に考えてみる必要があるのではないか。そんなことを観客に問い掛ける芝居である。劇場を出ると、十三夜の月が輝いていた。皓々と都心の夜空に輝く月の光でさえも、幸せに感じる芝居である。

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2011. 8.30掲載

abc★赤坂ボーイズキャバレー 2011.08 赤坂ACTシアター

「イケメン」の時代が続いて久しい。せめて30年前に来てくれていれば、とも思うが、良く考えてみれば、いつ来ていようと私にはまったく関係のない話だった。「イケメン」を一つの起爆装置として若い人々が劇場へ足を運び、そこで生の芝居の魅力を感じてくれるのは良いことだ。その一方で、イケメンがあまりにも多すぎて(何か食糧が違うのだろうか)、没個性になりがちな問題を孕んでいるのも事実だ。整った顔立ちの青年はいくらもいるが、そこに役者の魅力、あるいはプラスアルファがあってこそ、その存在意義もある。今が旬の年代の若者は大勢いるが、彼らが演劇の世界で残って自分の足場を確保するためには、自分の力点をどこに置くかも重要だ。そんな中、昨年から始まった「abc★赤坂ボーイズキャバレー」、キャストの入れ替えはあるものの、熱気と活気に溢れた舞台が多くの観客を集めている。わずか二年の間に、このユニットに観客が定着したということだ。

過去の舞台を観ていないので、それらとの比較はできない。今回について言えば、それぞれの出演者の自己紹介から始まる。何しろ、総勢28人のキャストだ、ここをしっかり見せておくことが後にきちんとつながるのと、初めての観客へのサービスだろう。この場面は「コーラスライン」でオーディションに来た若者が自分の過去を告白する場面を連想させる。もっとも、内容自体はそこまで重くはなく、むしろこれから始まるステージへの期待感を高めるものだろう。ここに集まった若者はある芝居を演じるためのキャストで、劇中劇を演じながら芝居は進む。その大きな筋を進めながら、アクションとコントが交替で、あるいは連鎖して軽快なテンポを生んでいる。その中で28人の人間模様が描かれていくことになるが、歌、踊り、アクション、コントと実にみんなが良く動く。ほぼ全員が地下足袋を履いているのも、いかにスムーズでスピーディな動きを見せるか、という工夫だろう。劇中劇と現代が交錯するが、ここであえてアクションという言葉を使ったのは、これを時代劇の「殺陣」と同じ眼で見ると意味が違って来るからだ。

キャストの数が多いので、全員の演技について云々することはしない。ただ、舞台全体の印象を言えば、芝居の世界で言う「当て書き」に近いものがあり、役の個性と役者の個性がかなりだぶっている部分が多いようだ。観客の頭の中にある役者のイメージと役のイメージが近いことも、また人気の秘訣なのかも知れない。速射砲のように飛び出す科白やアクション、コントを楽しむ、半ばショー的な舞台に終始するのかと思ったが、二幕の後半になって、その予測は快く裏切られた。

劇中劇で、「芝居は今の我々にとっては生活必需品ではなく、単なる贅沢ではないか。そのためのお金があるのなら、もっと困っている人々の生活に役立てるべきだ」という問いが、一人から発せられる。それは、観客席に座っている我々にすれば、半年近く前に起きたあの「東日本大震災」を想起させる、重い問い掛けでもある。特に、私のように年がら年中芝居を観ているものにとっては、あの震災以来頭を離れない問題でもある。この問いに対して、いくつかのやり取りがあった末に、自らを「河原者」と卑下する役者の一人が、「観客に感動を与えようとか、元気を与えようと思ってやっているのではない。自分がやりたいからやっているのだ。だから、芝居をやらせてほしい」と、役者の業を認め、肯定する発言をする。私はこのやり取りにドキリとした。私が考える限り、この答えは、もしも問いに正解があるのだとすれば、最も近いものではないかと思う。一見、イケメンの顔見世興行のようなバラエティともショーとも取れる舞台の中に、こうした深く重いテーマが鋭い視点で描き込まれている。また、さりげなく新劇とアングラの対立を笑いに包んで観客に見せる場面などは、今の若い観客にはわからないし関係ない、とも言える問題だが、それを別の味付けで見せる点などは、なかなか工夫されているところだ。キャストの個性を熟知していることもあるのだろうが、堤泰之の脚本は、一定の評価ができる。

最後に、順不同で印象に残ったキャストの名を挙げておこう。大河元気、大橋智和、柏進、斉藤慶太、汐崎アイル、知 幸、中村誠治郎辺りだろうか。こうした勢いのある若者たちが、今後の演劇界の新しい潮流を作り、それが大きなうねりになることを期待したい。

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2011. 8.26掲載

「花顔」2011.08 紀伊国屋ホール

大衆演劇の「劇団 誠」から大劇場演劇のスターになった松井誠が、女形の一人芝居を演じた。モデルとなっているのは、「とある劇団」の「五十を過ぎた女形」である。これだけだと、一瞬松井誠本人がモデルではないか、と勘違いするかも知れないが、ある程度の年齢の芝居好きであれば、「とある劇団」とは劇団新派であり、「五十を過ぎた女形」は花柳章太郎であることはすぐに分かる。しかし、それをあえて持って回った言い方をしているのは、作者の堀越真が「特定の人物ではなく、女形に普遍的なもの」としてこの一人芝居を書きたかったからだ、とパンフレットにあった。確かに、モデルである花柳章太郎が亡くなったのは昭和41年のことで、もう半世紀近くが経つ。亡くなったのが70歳だったから、その全盛期ということになれば、70年以上も前の話で、実際にその舞台を観ている観客はかなり少ないだろう。今でも、古い映画で花柳章太郎の姿を観ることはできるが数は限られているし、ならばモデルとして借用はしても、ある女形個人ではなく、「女形」という存在に焦点を絞り切った芝居にした方が、現代の観客にも分かりやすいのは事実だ。

そういう視点でこの芝居を観ていると、女形の美貌で人気を得た松井誠が、自分自身の今後の役者の方向性にも関わるであろう「女形というもの」を自ら体現して見せた意味は大きい。新派のみならず、歌舞伎でも「女形不要論」は幾度となく話題にされては立ち消えて、を繰り返して現在に至っている。歌舞伎・新派というジャンル分けに意味のない今、美輪明宏、ピーター、篠井英介、早乙女太一などの舞台をはじめ、テレビでは「おねえキャラ」と呼ばれる疑似女形とも言える人々が百花繚乱とも乱れ咲きとも言える状態にある。半世紀前とは性に対する感覚が大きく変わったことが一番の原因だろう。

女形の辛さと同時に宿命とも言えるのは、芸だけではなく容姿とも闘わなくてはならないところだ。年を重ねれば、必然的に容色は衰える。男優、女優であれば、年齢に合った役の選び方は可能だが、女形の場合、それが難しい。年を取ったからと言って単純に老女の役を演じれば良いというわけではない。その中で、いかに「残んの色香」を残しながら女形の芝居をするか、あるいは、男の役に転向するかという、役者としての大きな岐路が立ちはだかっている。これは、女形が生まれて以来、若いうちに命を失った女形以外は、全員が経験して来た道である。

もっとも、今の五十代と半世紀前の五十代では比較にならないほどに皆が若いから、松井誠の芝居にはそうした選択を迫られた女形の悲壮感はないし、それを考える必要もない美しさがある。したがって、今の時点でそれを色濃く出す必要はなく、二十年後にこの芝居を演じた時でも充分に間に合うだろう。それよりも、女形という一般の観客には不可思議なベールに包まれた存在が、どういう物の考え方をしているのか、あるいは芝居の楽屋ではどんな会話がなされているのかを具体的に演じたところに意味がある。単なるバックステージ物という好奇心の範囲ではなく、実際の女形が女形を演じているからだ。科白の中には、彼自身が肉声のような想いで発する言葉もあるだろう。女形が女の役を演じるのは当然だが、女形が女形役者を演じることにこの「花顔」の一番大きな意味がある。

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2011. 8.16掲載

姑は推理作家 2011.08 三越劇場

幅広いジャンルのコメディを得意に上演して来た劇団NLTの公演に、十朱幸代が初参加する、という面白い試みだ。「姑は推理作家」という、ミステリー・コメディで、十朱の役は落ち目に差し掛かった流行推理作家という、長年の女優生活の中で初の役どころだろう。この役が、自分の弟の嫁とそりが合わず、自分の作品の舞台公演に出演中の嫁を「この公演の中日に殺す」という物騒な発言をし、実際に舞台で殺人事件が起き、さらには観客までも巻き込もうという半ば破天荒とも言える設定だ。

洋の東西を問わず、多くの推理劇、犯人探しの芝居が書かれて来て、今も繰り返し上演されているものもある。多くは、ベストセラーになった推理小説の劇化だが、中には純粋に舞台のために書かれた作品もある。本作は後者に属するが、創立者である賀原夏子の薫陶を受けた劇団として、良質のコメディをいくつも送り出し、日本の演劇史の一翼を担って来たNLTのこと、単なる犯人探しの推理劇では終わらないのがミソだ。二段落ち、三段落ちとも言えるどんでん返しの連続である。推理劇だから詳細なストーリーを述べることはここではしない。作・演出の池田政之はNLTと三越劇場の提携公演の脚本が今回で6本目ということであり、劇団の役者の個性をよく知っているだけに、劇団の役者の活かし方が巧い。

ただ、欲を言えば芝居の構成がいささか複雑で、多少の交通整理をしてもう少しスッキリさせた方が、より笑いが引き立ったであろう。初出演の十朱幸代と劇団の阿知波悟美をがっぷり四つに組ませた上に、アクセントとして矢崎滋を配し、金子昇、小沢真珠というメンバーを配したことで、配役がぐっと充実した。

まず驚いたのは十朱幸代の変わらぬ若々しい美貌だが、大きな発見は「コメディにも向く女優だ」であることの発見だ。今までの彼女のイメージは、山本周五郎や川端康成などの文芸作品を大劇場の座長として演じる、というのが衆目の一致するところだろう。しかし、ここ数年間、具体的に言えば三島由紀夫の「近代能楽集」、イプセンの「ジョン・ガブリエルと呼ばれた男」という、今までの彼女のレパートリーにない作品を演じることで大きくイメージが変わった。全く方向性の違う女性を、いわゆる「新劇」と呼ばれる分野で演じ、大きな成果を挙げた。この二つの舞台で試行錯誤し、苦労して開拓した芝居が活きている。

東宝ミュージカルなどで売れっ子の阿知波悟美も、十朱に負けじとばかりの大熱演で、喜劇畑で鍛えた腕を存分に発揮しているのが嬉しい。やはり、ホーム・グラウンドに帰って来た安心感があるのだろう、他の舞台とは違った距離感で見せる芝居も楽しいものだ。それには、三越劇場の空間がちょうど良いのだろう。

矢崎滋のとぼけた味がもう一つの阿知波の辛口に対して甘口の笑いのスパイスになり、酷暑を一瞬でも忘れるには打ってつけの芝居になった。ここで特筆しておきたいのは、平松慎吾だ。劇団NLTでの長い経験が、舞台に与えるインパクトは大きい。もう三十年近く観ている役者の一人だが、彼が出ることで芝居の厚みや深みがグンと増す。劇団の良さはこうした人材を抱えているところにもあるのだ。この芝居に対して細かな芸術論や演劇論を持ち出すのは野暮な話で、お客様がいかに笑い、楽しく劇場を後にするか、がほぼ全てだろう。

今、日本はありとあらゆる部分で苦しい状況にある。そんな日々の中、たまには日ごろの憂さを忘れ、半日を劇場で笑って過ごせることは今の我々には幸福なことだ。役者や作家や批評家には、震災の瓦礫を片づけたり、政治の混乱を収拾することはできない。その代わりに、それぞれの職分を果たし、今の日本に少しでも希望の灯や、クスリとした笑い、明るさを届けることが使命だろう。これは演劇人だけではない。誰もが原点に帰ることの大切さ、を考えながら劇場を後にした。

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2011. 8.10掲載

この子たちの夏 1945・ヒロシマ ナガサキ 2011.08 世田谷パブリックシアター

毎年、八月にいろいろな女優の手によって上演されて来た朗読劇「この子たちの夏」が、木村光一が主宰していた演劇制作体・地人会の解散によって観られなくなったのを残念に思っていたが、二十三年にわたり木村光一と歩みを共にして来たプロデューサーの渡辺江美が地人会新社を立ち上げ、四年ぶりにこの舞台が帰って来た。「地人会」が解散を発表した時、私は当時連載を持っていた新聞に「演劇界の良心が消える」という旨の記事を書いた。ここにかつての上演作品を羅列するまでもなく、地人会が厳選された眼で作品を選び、コツコツと上演を重ねて来た歴史は、日本の現代演劇の中で決して見逃すことはできない。それが、同じ志を持つかつてのスタッフによって復活したことを、まずは歓びたい。今後、どういうラインアップの芝居を見せてくれるかが楽しみだが、まずは「この子たちの夏」である。

八月六日の広島、九日の長崎で原爆の被害に遭い、幼い命を散らした子供たちの手記を、六人の女優が読んでゆく。今回のメンバーはかとうかず子、島田歌穂、高橋礼恵、西山水木、根岸季衣、原日出子である。今年は戦後六十六年の暑い夏だが、それだけではなく、現代の戦争にも匹敵する「東日本大震災」、3.11という数字が我々の頭の中に鮮烈に残っており、今もなおその余波の渦中にいるだけに、今までとは違った実感を持って、演じる方も観る方もこの舞台に臨んでいる。事実上、原爆の投下によって終結したとも言える第二次世界大戦。当然のことだが、その当時のことを知る人は、年々少なくなる一方だ。事実、今回の舞台に上がっている女優全員が、当然ながら戦争を知らない。しかし、知らなくとも事実の記録をもとに語り継ぐことはできるし、それはいつの世代になっても必要なのだ。

ここでは、あえて今回の福島第一原発事故との比較はしない。今年が「東日本大震災」という未曽有の天災、そして人災とも言うべき原発事故にぶつかったことは事実だが、この作品は二十三年前から、戦争の悲劇を、被爆した子供たちの視線、あるいは母親の視線で語り継ぐことが作品の本意である。この間に、世界では様々な事件が起きている。しかし、日本だけが経験した「被爆」という体験を、事実として語り継ぐことに意味があるのだ。単純に「戦争はいけない」「世界が仲よくしよう」という問題だけではない。戦争には何の関係もない無辜の小さな命が、こうした形でも奪われてしまった、しかし、その子供たちは生を終えるまでのわずかな時間、懸命に生きたという事実は永遠に変わるものではない。そこにあった苦痛や哀しみ、痛みや寂しさを、今の我々は同じ感覚で感じ取ることはできないだろう。しかし、六人の女優の声を通して聴き、舞台を観ることで「追体験」し、考えることは可能である。

六月の「恋文」で舞台女優としての貫録を見せたかとうかず子をはじめ、かつてのメンバーとは味わいの違う女優による朗読は、新鮮味を感じさせた。根岸季衣の線の強弱が良いアクセントにもなっていた。ここ数年、どこも朗読劇がブームを呈しているが、いくら台本を手にしているとは言え、簡単にできるものではない。逆に言えば、何も芝居をしないからこそ、その役者が持っている素の実力がそのまま出てしまう。そういう意味では、朗読劇とは怖い側面を持っているのである。まして、今回が初演ではなく今までに長い歴史を積み重ねて来た作品だ。全員がこの作品に挑戦し、新たな「この子たちの夏」を創ろうという意気込みがなければ、できるものではない。何度観ても胸が締め付けられるような想いと、今ここに自分がいることの幸せ、当たり前の日常生活がいかにありがたいものであるか、などを実感する芝居である。一年に一度、芝居を通してそうしたことを実感する日があっても良いだろう。そんな芝居である。

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2011. 7.30掲載

棟方志功物語 2011.07 明治座

芝居とショーの二本立てのお馴染みのコロッケ公演である。今回は、世界的な版画家・棟方志功の半生を描いた「棟方志功物語」と、ショー。ここ数年、コロッケの公演は欠かさずに見ているが、今までの中で最もいい芝居になった。その理由は明確に考えられる。一つは、脚本が優れていること、もう一つは助演陣に恵まれていること、そして、コロッケの努力である。実在の人物をモデルにした芝居は、今までにも同じ棟方志功の「わだばゴッホになる」や「仙台四郎物語」を演じているが、なぜ今回が優れているのか。強烈な個性で知られる棟方志功に、コロッケが歩み寄って人物を演じたからだ。コロッケの芝居の場合、観客を笑いの方向へ転がすのはいとも簡単なことだし、芸の質からしてその衝動は捨てがたいだろう。しかし、それを封印することはしないまでも抑制しながら、棟方志功そのものへ近づこうとした姿勢が、結果として大芸術家ではなく、人間・棟方志功を描くことになった。コロッケからすれば、観客を大笑いさせてしまった方が楽かも知れない。観客もそれを望んでいる。そこを、二部のショーまで少しだけ我慢し、きちんと芝居を演じたことが最大の評価だ。

一般の観客にしてみれば、誰が脚本を書き、誰が演出していようとさして問題ではない。それよりも、コロッケの芝居やショーが観たくて劇場に足を運ぶ。しかし、そこでコロッケが見せた芝居がつまらなければ、「今回のコロッケの芝居は、あまり面白くなかった」という感想が、コロッケに寄せられる。それは、大劇場演劇の座長を勤める役者の宿命だろう。しかし、脚本がきちんと何をどう見せたいのかという軸を持って、それに沿った見せ方をして行けば、よほどのことがない限りは「どうしようもない」という舞台にはならないはずだ。脚本がしっかりできていてつまらない場合のほとんどは、キャスティングのミスにある。それが、脚本とキャストが合致した時に、面白さを発揮するのが芝居の妙だ。

なぜこんなことを書いたか。今回は周りの役者が素晴らしく良かったからだ。この公演をもって舞台での仕事は卒業すると宣言した赤木春恵は、一場面だけの出演だが堂々たる貫禄と情の籠った芝居を見せ、ベテランここにあり、の存在を見事に示した。明治座への初出演が昭和三十七年というから、約五十年間にわたるこの劇場の歴史を知っている女優だ。また、美術界の重鎮を演じた左とん平、実に巧い。何が巧いのか。普通に美術家として棟方志功を相手に美術の話をしていながら、そのトーンを変えることなく、いきなり次の科白で客席を笑わせる。このあいだに、一寸の高低差もなければ、力も入っていない。三秒前まで立派な先生だったのに、そのままで笑わせているのだ。不思議な味だが、これがベテランのなせる技、というものだ。熊谷真実が志功の妻・チヤを演じているが、いつも明るい女優だ。何よりも、彼女の科白は聞き取りやすく、はっきりしている。芝居の基本を改めてベテラン女優に言うのも失礼な話だが、これができていない役者がいかに多いことか。彼女の明るさが舞台にもたらす効果は大きい。他にも下宿の大家・宮園純子や画家の先輩格である桜木健一などのふとした一言で舞台がキリリと締まる。いろいろな役が適材適所にはまっているのだ。

もう一つ、この芝居が面白かったのは、「棟方志功物語」というタイトルではありながら、偉人伝にしなかったことだ。むしろ、名が売れる前の棟方志功に重点が置かれており、故郷の青森で「絵バカの志功」と呼ばれていた時代を取り上げたことがコロッケの芸風に合ったのだろう。第一幕第一場で、青森弁を直して東京の言葉に慣れるために、若い画家たちが芝居の稽古をしている。その芝居は、有島武郎の「ドモ叉の死」という売れない画家たちを題材にした芝居だ。そこは作者の遊びかもしれないが、そんな工夫が仕掛けられているのも面白い。欲を言えば、大詰めのねぶたのシーンの跳人たちにもっと躍動感が欲しかったし、立派な道具にしてほしかった。徐々に元気を取り戻そうとしている東北地方へ、東京の劇場からこういう形でのエールが送れるのだ、という、東京っ子の心意気があっても良かっただろう。しかし、久しぶりに心温まる大劇場演劇らしい芝居である。

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2011. 7.26掲載

三銃士 2011.07 帝国劇場

フランスの文豪、アレクサンドル・デュマの「三銃士」のミュージカル化である。原作は160年以上前の1844年に新聞に連載された小説で、当時大ヒットとなった。日本でも割に古くから名作として少年少女の人気を集め、私も小学生の頃、ダイジェスト版ではあったが、その展開にドキドキしながら読んだ記憶がある。2003年にオランダでミュージカル化され、ドイツでの大ヒットを受け、今回が日本での初演となった。東宝ミュージカルではお馴染みの井上芳雄、山口祐一郎、石井一孝、橋本さとし、シルビア・グラブ、吉野圭吾などの豪華な顔ぶれを揃えて、明るい作品になった。

先日観た「嵐が丘」もそうだが、今はこうした過去の名作を読む人口が確実に減っている。活字離れが指摘されてからずいぶん久しく、今は電子書籍の登場でまた大きく状況は変わりつつある。書籍をめぐる状況が激変している中で、舞台化することで小説とはいささか違うテイストにはなり、原作のすべてを網羅することはできないものの、文学史に残る名作に接する機会ができる。「レ・ミゼラブル」にしてもそうだが、こうした現象が、今の演劇の一つの潮流になりつつあることは間違いない。

「三銃士」は、早い話が「青春冒険活劇」だ。父のように立派な騎士になることに憧れているダルタニャンが、パリで三人の仲間を見つけ、自分の夢を果たして立派な騎士になるまでの成長を描いたもので、映画で言えばロードムービーの要素も持っている。彼らの正義を邪魔する悪や罠も随所に用意されており、典型的な勧善懲悪の芝居だ。その大作の「いいとこ取り」をしたのがこの舞台である。ピンチあり、華やかな宮廷の場面あり、豪華な装置あり、で大劇場でなくては上演できないミュージカル作品だ。帝国劇場100年の歴史を振り返る中で、当然ミュージカルも大きな変貌を遂げて来た。特に最近は、若い俳優が中心となって演じる作品の割合がかなり増えている。それが、劇場へ若い観客の足を運ばせる要因になっているのであれば、これは喜ぶべきことだ。

井上芳雄のダルタニャンには青年の活気が漲っており、それに加わる橋本さとし、石井一孝、岸祐二がそれぞれの個性をぶつからせることなく、主張している。対する悪の親玉で、国王を自由に操ろうというリシュリュー枢機卿の山口祐一郎。堂々たる貫録の芝居である。その手下であるロシュフォールの吉野圭吾が、主要な場面で良く働き、スパイスを効かせているのは評価できる。ルイ13世の今拓哉には王様の気品があり、謎の女ミレディの瀬奈じゅんには力強さがある。坂元健児が随所でコミカルな部分を引き受けており、これも面白い。総じて水準の高い作品になっている。難を言えば、男優陣優勢の芝居だけに女優陣の個性が今一つ際立たない憾みはある。シルビア・グラブのアンヌ王妃などは、もう少し芝居の見せ方を工夫しても良かっただろうし、和音美桜のコンスタンスも、これと言った印象が残らない。作品全体の構成の問題であり、個々の女優の責任に帰すべきところばかりではないが、わずかに足りない部分があるのがもったいない。山田和也の演出もテンポが良く、随所に笑いを盛り込むなどのメリハリがあり、先月の「風と共に去りぬ」の演出に比べて、抜群の安定感がある。

音楽も作品に寄り添う形で耳に心地よいものが多く、今後繰り返しての上演に耐えうるだけのものを持っている。今回が初演だけに、細かな部分の直しは必要だが、洗い上げて繰り返して行けば、帝国劇場100年の歴史を二世紀目につなぐために、新たなるスタンダードになる作品である、と言ってもよい。ミュージカルに限ったことではなく、日本発の芝居で次の世代の帝国劇場へ残せる芝居があれば、和洋ともどもの展望が見えるだろう。次の期待はそこにある。

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2011. 7.23掲載

嵐が丘 2011.07 赤坂ACTシアター

エミリー・ブロンテの超大作で「究極の恋愛小説」とも呼ばれる「嵐が丘」の舞台化である。今までに何度も舞台化されており、私もそのいくつかを観ているが、長編の舞台化は短編のそれとは異なった困難さがつきまとう。今回は、飯島早苗の本、西川信廣の演出というコンビでミュージカル化された。文庫本で上下二冊にわたる長編を、ドラマの盛り上がる場面を中心にコンパクトな上演時間にまとめたことは評価できる。プログラムにもあったが、ビクトル・ユゴーの「レ・ミゼラブル」がミュージカル化できたのだから、「嵐が丘」もミュージカル化できないはずはない、というのはその通りだ。まして、主演のヒースクリフを河村隆一が演じるのであれば、ストレート・プレイで舞台化しても意味はないだろう。ただ、一幕がプロローグを入れて七場で十曲、二幕が五場で九曲という構成は、いささか慌ただしく感じる。これが今の芝居のテンポなのだ、と言われてしまうとそれまでだが、それぞれの幕にどこか重点的な芝居を見せる場所を作り、その分場数か曲を一つ減らした方がより濃密なドラマが生まれたのではないか。

昨今の世界中の演劇界がミュージカルへ傾斜する勢いはものすごい。微妙な感覚だが、「レ・ミゼラブル」「エリザベート」辺りから、ミュージカルの感覚が変わって来たようだ。かつての古典的名作には、必ず、「この芝居ならこのナンバー」という、いわば「定番」のように愛された曲があった。「マイ・フェア・レディ」なら「踊り明かそう」、「ラ・マンチャの男」なら「見果てぬ夢」のように。しかし、最近のミュージカルは、そうした意識ではなく、表現方法としての音楽と芝居が融合した形式として、完全に定着した感がある。だから最近の作品には名曲がない、という意味ではない。観客自身や制作者のミュージカルに対する感覚が変わったのだ。一言でいえば、誰にとってもミュージカルの敷居が低くなった、ということだ。

タイトルからして荒涼とした「嵐が丘」を象徴するような簡素なセットを中心に舞台空間を広げることにより、虚無感や孤独感を現わそうとしている。屋外の場面では有効だが、室内の場合、いささか貧弱に見えることは否めない。嵐が丘に住むアーンショウ(上條恒彦)がリバプールで拾って来た孤児・ヒースクリフ(河村隆一)。アーンショウの娘・キャサリン(平野綾と安倍なつみのダブル・キャスト。この回は平野綾)と恋仲になるが、それを快く思わないのは息子のヒンドリー(岩崎大)だ。アーンショウが亡くなると、ヒンドリーのヒースクリフに対する仕打ちはますます酷くなる。姿を消したヒンドリーにショックを受けたキャサリンは、上流階級のエドガー(山崎育三郎)と結婚するが、その前に、以前とは打って変わって裕福になったヒースクリフが現われる。しかし、その心の中には、自分を冷たく足蹴にした人に対する荒涼とした嵐が吹いていた。ヒースクリフの復讐が始まる…。

ヒースクリフは河村隆一。歌に安定感があるのは言うまでもないことだ。一幕よりも二幕の芝居の方に断然重みがある。一幕では、他人に対する「拒絶」や「不信」の感覚がもう少し濃厚に出れば、もっと良かっただろう。ふとしたところでソフトな感情が出てしまうが、心を許せるのはキャサリンだけ、というほどに冷徹な人間に徹していた方が後のインパクトは大きくなる。平野綾のキャサリンは勝気なじゃじゃ馬の御嬢さんの風情があり、なかなか面白い。ダブル・キャストの安倍なつみを観ていないので、両者を比較することはできないが、健闘していると言える。こうしたミュージカルで安心感を醸し出してくれるのは上條恒彦で、出演場面は少ないものの、わずかな出番でもその人となりが充分に伝わる。幾多の名作ミュージカルに足跡を残して来た役者の仕事だ。ヒンドリーの岩ア大、ソロの歌は初挑戦だというが、やはり他のメンバーに比べて見劣りがするのはやむをえない。今までに「Studio Life」で身につけたものに、さらなる化学反応を期待したいところだ。エドガーは山崎育三郎。オーソドックスで行儀のよい芝居は買える。イザベラの荘田由紀、とにかく役に対する懸命さが見える。女中のネリーを演じる杜けあきに、ベテランの巧さが見える。派手な見せ場があるわけではないのだが、芝居の本質を捉えているからだろう。

「嵐が丘」が持つ精神性は、飽きっぽい日本人には理解のしにくいものかも知れない。だからこそ、芝居を観終わった後に、小説を通読してほしい。「ああ、この場面を芝居にしたのか」「小説を芝居にするとああいう風になるのか」など、新たな発見の楽しみがあるはずだ。原作がある芝居の場合、こうした相乗効果がもたらすものの積み重ねは大きい。また、仮に原作の読書体験がある五十代と、体験のない二十代が同じステージを観ることになる。この観客たちに、どういうメッセージを伝えるか。この意味は大きい。

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2011. 7.17掲載

滝沢家の内乱 2011.07 本多劇場

1980年に一人で旗揚げした加藤健一事務所が、31年目にして100本のプロデュース作品を上演した。その100本目の作品が、今までのラインアップには珍しく時代劇である。100本の作品の中には、「審判」や「セイム・タイム・ネクスト・イヤー」、次に上演される「詩人の恋」などのように繰り返し上演されている芝居もあるから、違う作品を100本上演しているわけではないが、プロデューサーとして自分の眼で脚本を確かめ、役者としての感性でその作品を自分で肉体化し、公演が終わるとすぐに次の芝居探しを始めるという31年間は、徐々にスタッフが増えて来たとは言え、なまなかな情熱で続けられることではない。「とりあえず当たれば良い」という風潮の多い中で、自分が見せたい芝居を、じっくり腰を据えて創り上げる姿勢を乱さずに続けて来たことは評価に値する。年間の芝居のペースを守るために、極力映像の仕事を遠ざけてまで舞台に臨む姿は、求道者のようでさえある。

さて、「滝沢家の内乱」である。この芝居、実は今回が初演ではない。1994年に大滝秀治と三田和代が紀伊国屋ホールで初演したもので、劇団民藝に多くの作品を提供して来た吉永仁郎の脚本だ。「南総里見八犬伝」などで有名な滝沢馬琴が、晩年は盲目という不幸に襲われながら、嫁のお路に後半部分を口述筆記させ、この大作を完成させたのは、あまりにも有名なエピソードだ。作者は、この滝沢馬琴の「家」に焦点を当て、常にヒステリックにわめき立てている馬琴の妻・お百(高畑淳子の声の出演)と、病気がちで馬琴よりも先に亡くなる息子の宗伯(風間杜夫の声の出演)、そこへ嫁に来たお路(加藤忍)の四人の家族の危うい家族関係と、その家を家長として支える滝沢馬琴の内的世界とその周囲を対照的に描いた作品だ。今も日本の文学史に残る名前を持ちながら、家庭的には決して幸福とは言えなかった、また自らそこへ追い込んで行った一人の人間の姿を描いた作品で、決して「偉い人の物語」ではない。声の出演以外は二人芝居という、役者にとっては非常に難しい芝居であり、そこで馬琴が61歳から亡くなる82歳までの20年以上の歳月を見せなくてはならない。一軒の家の中で20年を超える歴史の中ではいろいろな事件が起きもしよう。それを、二人だけの会話で浮かび上がらせるという芝居だ。

歴史に名を遺す江戸時代の作者としての姿はある程度統一されたものだが、そこには現われいない人間くささ、もっと言えば口うるさくて嫉妬深くて気の短い馬琴という一人の男の姿が、一方では等身大として写し出される脚本は、切り口が面白い。人立派に飾られた滝沢家の一杯道具がどっしりした家の歴史を無言のうちに語っているのは評価に値する。また、演出の瀬久男の方針だろうか、経年変化による老化をあまりリアル一辺倒に見せずに、最後まで舅と嫁、あるいは師匠と弟子とも言える男女の関係をエネルギッシュに描こうとした手法は、加藤健一の芝居の質に合っているだろう。特に、加藤健一の科白の調子が朗々としているだけに、最後まで力強さを失わずに一人の男として生を全うする馬琴の頑なな生き方がそれによって表現された。相手役の加藤忍も、加藤健一に対して五分とは言わないまでも堂々と渡り合っている。あた、風間杜夫と高畑淳子の声の出演が思わぬ効果を上げたことは特記しておこう。

今までのレパートリーの中で、加藤健一が得意としていたスピーディなコメディや海外のウェルメイドプレイとは異質な芝居ではある。しかし、この芝居が今後、彼がどういう方向を目指すか、その一つの指針となることを期待したい。

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2011. 7.02掲載

「帰還」2011.07 紀伊国屋サザンシアター

坂手洋二が民藝のために初めて書き下ろした作品だ。一言で言えば、「濃厚」な芝居である。そして、いかにも民藝らしい芝居だ。86歳を迎えた大滝秀治が、高齢者向けの施設から「ある場所」に帰る。それは、半世紀も前から、自分が果たさなくてはならない約束を遂行するためだ。現代社会の問題や混乱を透徹した眼で描き切ることでは定評のある坂手作品は、今回、水の底に沈められる九州の山村を舞台にした。観客の頭の中には、民主党に政権交代した折の「八ツ場ダム」の問題が記憶に鮮明だが、この舞台となっているのは他の場所である。とは言え、今の政局を取り込んだ科白も出て来る。それは、単純に「同時性」だけではなく、そこから見えているダムの問題だけではなく、戦後、半世紀にわたって日本の各地で行われて来た政治と民衆の「闘争」を描くための手法であろう。今の我々、特に五十を境目ぐらいにした世代を一つの区切りとして、「闘争」という言葉には無縁とも言える人々や、違う光景を思い浮かべる若い世代が多い。100キロ離れた場所に住んでいる人にとっては、「八ツ場ダム」も、古くは「三里塚闘争」も無縁、とも言えるのが日本人の特質でもある。学生運動や、この芝居の根幹になっている生活と政治との闘争、こうしたものがもはや多くの人々にとって過去のものになった。しかし、その是非はともかくも、こうしたことがあったのだ、そしてそれは今もなお我々が住んでいる日本のある場所においては深刻な問題として存在するのだという事実を忘れてはならない。

元・美術の教諭で、画家としてもそれなりの実績を持つ横田正(大滝秀治)。息子の昭信(杉本孝次)は死病に取りつかれ、親子どちらが先にその生の終えてもおかしくない状況にある。しかし、半世紀前の約束を果たすために、父親は岡山の高齢者施設から九州まで赴く。大滝秀治が演じる役が、実は元・活動家という設定が面白く、坂手作品らしいところでもあり、かつて「オットーと呼ばれる日本人」などを上演して来た民藝の面目躍如と言うところだろう。今年86歳になった大滝秀治が「渾身」とも言える芝居で3時間に及ぶ芝居にほぼ出ずっぱりで舞台を引っ張って行く。そのエネルギーは大したものだ。活動家と美術教諭、あるいは画家というだけではなく、涓介とも言うべき性格で複雑な人生を送って来た男の幹の強さを感じさせる大滝の演技は、かつての瀧澤修が見せた迫力とはまた違う感覚を持って観客に迫る。若手の中ではみやざこ夏穂が素朴な田舎の青年を好演していたのが印象的だった。

芝居は二幕構成で、二幕はやや幻想めいた部分が多く、一度に二本の芝居を観ているような錯覚にとらわれる瞬間があるが、島次郎の舞台装置が良く工夫されており、特に洞窟の場面の効果は大きい。芝居全体について言えば、相当緻密に作り込んでいる印象があるが、一幕が1時間40分、二幕が1時間という長さは、今の観客にはいささか長すぎる。それだけ大きなテーマを孕んでいる芝居だけに、作者も言いたいことは山ほどあることは理解できるが、いくつかのエピソードは涙を呑んで切り捨てても、一幕を1時間15分から20分程度にした方がより強烈な印象を残したであろう。がっちりと構成された骨太な作品だけに、ただでさえ重厚感があり、今の観客の生理にはいささか重かったようだ。

現代の政治における問題点を今回は「ダム」に焦点を当て、物語を広げていくが、もちろんそれだけではなく、現代の人間の生き方や考え方、何が一番大切なものかをもう一度考えようというテーマは、作品全体に力強く横たわっている。ダムの話だから、というわけではないが、作品の根底に流れている水脈は終幕に近づくに連れて大きな奔流となる。私は、「新劇」という言葉は使いたくないが、文学座、俳優座と並んで長い歴史を持つ劇団として、かつて「火山灰地」や「オットーと呼ばれる日本人」などの作品を演じて、社会的な問題を観客に提起して来た劇団民藝の水脈が、創立60年を超えた今もなお、滔々と流れていることに嬉しさを覚えた。

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2011. 6.07掲載

ヴェニスの商人 2011.06 四季 自由劇場

劇団四季がシェイクスピアの「ヴェニスの商人」を、平幹二朗を迎えて浅利慶太の演出で上演している。「四季」の「ヴェニスの商人」と言えば日下武史のシャイロックが当たり役として今まで高い評価を得て来たが、今回は36年ぶりに浅利慶太と組む平幹二朗のシャイロックである。アントーニオーが荒川務、ポーシャが野村玲子、バサーニオーが田邊真也と信頼のおけるメンバーを回りに配しての上演だ。

今まで、「ヴェニスの商人」は、嫌われ者で強欲なユダヤ人の金貸し・シャイロックが、ポーシャが扮した法学博士の機知に富んだ判断でやり込められ、急場に立たされたアントーニオーの命を救う、という勧善懲悪の「喜劇」として、上演されるケースが多かった。シャイロックも徹底的に嫌われる強欲なユダヤ人としての性格が全面に出るケースが多くなる。これはこれで一つの解釈であり、否定するものではないが、今回の浅利演出はこの方法を取ってはいない。

一言で言えば、「宗教観の対立による弱者の悲劇」としてこの芝居を捕えている。ここに、今回の上演の肝もあれば味噌もある。日ごろから人に無利子で金を貸し、評判の良いアントーニオーに対してシャイロックが面白くない気持ちを抱いているのは紛れもない事実だ。そのアントーニオーに金を貸す機会がやって来た。もしも返せなければ、アントーニオーの身体の肉を1ポンド寄越せという法外な契約で金を貸すが、これは今までの腹いせには絶好のチャンスだ。神がシャイロックにみかたをしたのか、アントーニオーの貿易船がすべて座礁し、借金が返せなくなった。チャンス到来とばかりに、「証文通りに肉1ポンドをもらおうではないか」といきり立つシャイロック。そこへ、法学博士に扮したこの物語のヒロイン・ポーシャが出て来て、「シャイロックの言い分はもっともなので、肉1ポンドを切り取る権利がある。しかし、血を流しても良いとは書いていない」と、まるで落語の大岡裁きか一休さんのようなことを言い出す。ここで、シャイロックの仕返しは無残にも打ち砕かれる羽目になる。確かに、「人が嫌がる因業な真似をしていると、それは自分に跳ね返りますよ」という因果応報の物語ではある。しかし、その前に、見過ごすことのできない大きな問題が、この芝居にはある。

我々日本人は、世界でも珍しいほど宗教に寛容な国だ。良く言われるように、クリスマス・イブを祝った一週間後には神社へ初詣に出かけて神様に何事かを祈り、その三か月後の春のお彼岸にはご先祖様のお墓参りに出かける。「八百万の神々」や「神様仏様」という言葉が何も問題も持たない国である。しかし、外国における宗教戦争の歴史は根深く、中東では二千年の長きにわたって、この問題を根底に抱えたまま今も争いが続いている。日本でも過去に宗教戦争がなかったとは言わないが、根っから飽きっぽい日本人には理解のできない感覚の一つが、強烈なまでの宗教観だ。舞台となった中世のイタリーで、キリスト教者たちに迫害され続けたユダヤ教者。彼らは、当時から蔑視されていた中で、人に嫌がられる「高利貸」でもして蓄財をしなければ、世を渡るすべはなかったのだ。この大きな前提をくっきりと浮かび上がらせ、宗教観の対立から来る復讐を果たせなかった男のドラマとして描いたのが今回の浅利演出の「ヴェニスの商人」なのだ。

平幹二朗のシャイロックは、かなり抑制を効かせた芝居に終始する。しかし、最後の自分の復讐が果たせなかった破局までを徐々に盛り上げていく芝居は、さすがにベテランの腕だ。改めて、この芝居における主人公が誰であるのかを、くっきりと浮かび上がらせる手腕はたいしたものだ。野村玲子のポーシャに漂う初々しさと茶目っ気が芝居のアクセントになっている。幕が開いてしばらくは、劇団四季のメンバーの科白の口調が、感情よりも滑舌に重点を置いているように聞こえていささか気になったが、芝居が進むに従って、さほど気にはならなくなった。荒川務のアントーニオーも田邊真也のバサーニオーも、今までの経験からすれば順当な芝居で、礼儀正しさはあるが、もう少し感情の深みが欲しいところだ。今回の舞台で一人、特筆したい役者がいた。シャイロックの召使い・ランスロットを演じた川島創。弾むような芝居のテンポの良さと、愛嬌のある芝居は今後への大きな可能性を感じた。四季への入所は2009年の若手だが、聞けばすでに「夢から醒めた夢」のエンジェルなども演じているという。期待の若手だ。

どんな名作でも、時間の経過と共に内容の解釈も変わればいろいろな見方が出て来る。常にいろいろな角度から作品を見直すことの必要性、それをどう観客に伝えるか、というごくシンプルな問題を、劇団四季は今回の舞台が提示した。やはり、「芝居は生き物」なのだ。

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2011. 6.05掲載

こんにちは赤ちゃん 2011.06 赤坂ACTシアター

伊東四朗一座と三宅裕司の熱海五郎一座の合同公演で、今回は「三宅裕司生誕60周年記念」と銘打っての公演である。役者の還暦のお祝いに、観客が入場料を払うというのは人を食った話だが、こういう仕掛けそのものがすでに「笑い」のスタートなのだ。伊東四朗、三宅裕司を中心に、コント赤信号の渡辺正行、小宮孝泰、ラサール石井の面々、小倉久寛、春風亭昇太、東貴博らのお馴染みのメンバーに、今回は真矢みきがゲストで出演する豪華な顔ぶれである。テレビのお笑い番組の多くが、関西系のタレントや芸人で占められている昨今、きちんと作り込まれた「東京の笑い」、「東京の喜劇」とも呼べる舞台は貴重であり、贅沢でさえもある。それは、出演者が豪華だ、ということだけではなく、こうした創り方をする芝居がほとんどなくなって来ているからだ。昭和の伝統を引き継ぐ「笑い」の孤塁を守るという言い方は大袈裟かも知れないが、つい三十年ほど前までは東京の町に溢れていた笑いが懐かしく、愛おしく思えるほどに「喜劇」を巡る状況が変わった、ということだ。

その中で、伊東四朗と三宅裕司のコンビが絶妙としか言いようのない掛け合いで見せる笑いは、そこいらの駆け出しの漫才師やお笑い芸人の技量を遥かに超えるものがある。歩んで来た道こそ違え、生の舞台で長年鍛えた経験と、何よりも笑いに関するセンスが非常に似ていることがその理由だろう。今の60歳は現役バリバリだが、三宅裕司が日ごろにも増しての熱演で、これは評価したい。共演者たちが手一癖も二癖もある笑わせ屋で、隙あらば自分で笑いを取ろうとする中で、必死に舞台をまとめようとする行為が、わざとらしくない笑いを産む。これは計算してできるものでもなければ、一朝一夕にできる技でもない。対する伊東四朗は、変幻自在とも言える芝居で、舞台の調和をきっちり守りながら、しっかりツボを押さえた芝居を見せる。カーテンコールのトークで「ぼけ方が芝居なのか本物なのか分からない」と突っ込まれていたが、そう見せることをきちんと計算された笑いである。こうした丁寧な創りをする舞台が少ないだけに、その価値を認めたいのだ。かつて、テレビのコント番組で二人で切磋琢磨した経験が、今もこうして生きている。このメインの二人に絡む人々は、何とか食い込もうと必死に芝居をする。それが当たる時もあれば、二人にかなわない時もある。その駆け引きも面白い。

こうした喜劇のストーリーを細かく説明することにさして意味はないだろう。寂れてつぶれかかった遊園地を活性化させるために、ショーで呼んだ売れない芸人をUFOに誘拐されたことにして話題づくりにしようとするが、実際にUFOに誘拐されてしまい、最後はUFOまで出て来るという、言ってみれば馬鹿馬鹿しい話だ。しかし、こういう時代だからこそ、観客が安心して笑える芝居が必要なのだ。それも、下ネタの羅列や、人の揚げ足を取ってどうでもいいような突っ込みをしている「下賤な」笑いではなく、良質の笑いが。もちろん、予定調和の部分もある。しかし、それで構わない。劇場で過ごす二時間半の間、浮世の憂さを忘れ、腹を抱えて笑わせることがこの芝居の目的であり、それは達成されたと言えよう。

初参加の真矢みきが予想以上の健闘を見せたのは好もしかった。宝塚ばりの大階段から降りて来て、どんな歌を聞かせてくれるかと思えば、CMソングのメドレーと来た。それもさることながら、彼女にコメディのセンスがあることを知らしめた舞台でもあった。各共演者もそれぞれの味わいを見せていたが、今回は春風亭昇太になかなか科白を言わせなかったというのも趣向だろう。

今、日本は決して明るい状態ではない。だからこそ、一時でも明るい笑いが必要なのだ。良い芝居に出会えれば、少なくとも二週間は幸せでいられる。今最も必要とされている笑いが溢れている舞台だ。

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2011. 5.17掲載

前進座創立八十周年記念公演 2011.05 国立劇場

単独の劇団が八十年もの歴史を重ねるのは容易なことではない。しかも、歌舞伎の封建制に叛逆して、歌舞伎の大部屋役者たちが創ったという特殊な性質の劇団である。こんにちに至るまでの劇団員をはじめとする関係者の苦難だけでも何冊もの物語ができることだろう。そのうちのいくつかは、私も実際に創立メンバーから聴いている。この劇団の観客となって三十年以上が経つが、記念公演で一番印象に深いのは、歌舞伎座で行った「創立五十周年記念公演」である。「第一世代」と呼ばれる創立者を中心としたメンバーが、叛旗を翻した歌舞伎の本丸である歌舞伎座の舞台を踏んで故郷に錦を飾るべく、最期の光芒を見せた舞台だった。それからすでに三十年。今は第一世代の子息たちの第二世代から、その子息の第三世代が劇団の中心となって運営している。

そうした節目を迎え、その決意をきっぱりと表明した「創立八十周年記念 口上」を感慨深く聴いた。ただ「おめでたい」というだけではない。劇団創立の前年に生まれた中村梅之助や嵐圭史、いまむらいづみなどの「第二世代」の中核を担う三人が、来るべき時代の前進座を、第三世代に託すという宣言をした。即刻引退するという話ではないが、満員の客席を前に、劇団の決意を口上で示す辺りが、いかにもこの劇団らしいことだ。同時に、第三世代の年代である私が、これから前進座の芝居をどのように観て、それを観客に伝えてゆくのか、それを心せよという刃を突き付けられた想いでもあった。

一本目は第三世代で昨年、亡父・嵐芳三郎の名を襲名した七代目芳三郎の「唐茄子屋」。落語ネタの人情噺で、前進座では昭和三十三年に初演している。落語を歌舞伎に移したものは、他にも「芝浜の革財布」や「人情噺文七元結」など、前進座の財産演目の一つであり、この「唐茄子屋」も、先代の芳三郎が得意としていた芝居だ。今回はいまむらいづみや村田吉次郎など大ベテランの手を借りて、当代の芳三郎が演じる。役者は襲名すると芸が巧くなるとは良く言われるが、芳三郎の芸の寸法が急に伸びたのを感じた。これは嬉しいことだ。具体的に言えば、根っから調子の良い柔らかさが嫌らしくないのが良い。遊び過ぎて勘当になっても「若旦那ぶり」が抜けない様子を見せることで、酸いも甘いも噛み分けたおじさん夫婦との対比がくっきりするからだ。自らが第三世代の中核の一人として、これからの劇団を支えて行くという覚悟もあるのだろう。好演だ。

記念口上の後は、「秋葉権現廻船噺」。前進座が創立後まもなくの昭和九年に、当初のメンバーが演じて以来の上演である。本来は長い作品を、二幕にコンパクトにまとめた渥美清太郎のテキストレジーが、今でもわかりやすく生きている。同じ国立劇場主催の歌舞伎公演で、「百何十年ぶりに復活上演!」などと銘打って、四時間もかけてダラダラと歌舞伎を上演することがあるが、こちらの方が時期が古いにも関わらず、よほど近代的な視線でまとめられており、面白い。他愛のない話だと言えばそれまでだが、芝居とは元来そういうもので、この作品などはまさに歌舞伎の荒唐無稽さが溢れている作品だ。河原崎国太郎が、祖父の先代国太郎が演じた牙のお才という女盗賊を演じているが、だんだん年増の色気が出て来た。盗賊の代表格とも言うべき日本駄右衛門は嵐圭史。スケールの大きさを評価したい。大詰めに中村梅之助が顔を見せ、芝居を締め括る。この場面が、満員の観客の前で第二世代から第三世代へバトンを渡す儀式に見えたのは、私だけではないだろう。

長年の歴史を持つ劇団であればあるほど、世代交替が容易に進まない、または後進が育たないなどの悩みは多い。前進座にもそうした側面がないとは言えないだろう。しかし、先人たちが悩み苦しみながら知恵を絞り、今の八十年がある。これを九十年、百年に延ばして行くには、客席の第二世代に近い観客の年齢層を、いかに第三世代に近づけて行くか、だろう。歌舞伎からストレート・プレイ、時代劇、ミュージカルと何でもできる前進座が、これから知恵を絞るのはそこだ。私の年齢は、ちょうど前進座の第三世代に当たる。創立百周年を迎えた公演に、盛大にお祝いができる観客の一人となりたいものだ。

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2011. 4.25掲載

紅姉妹 2011.04 紀伊国屋ホール

「紅姉妹」という艶めかしいタイトルで、演じるユニットの名が「3軒茶屋婦人会」とあれば、何となしに嬉しい気持ちで劇場へ出かけたくもなる。しかし、この「姉妹」も、「婦人会」も、全員男優である。だからがっかりした、とは言わないが。篠井英介、深沢敦、大谷亮介の名だたる「3怪優」に、わかぎゑふが脚本を提供し、G2が演出をしている。2003年に立ち上げたこのユニット、「ヴァニティーズ」、2006年の「女中たち」、2008年の「ウドンゲ」を経て、今回が4回目の公演だ。いずれも売れっ子たちだけに、スケジュールの問題もあるのだろうが、「仲良しのお道楽」になっていないのが大したものだ。ともすると、そういう傾向に走りがちだが、そうならずに一本の芝居としての質を問うあり方は、いっそ清々しい。ということは、そうではない物がいかに多いか、ということでもある。

舞台はニューヨークのソーホーにある小汚いバー。2012年の春に、御年90歳前後と思しき老婆・ミミ(篠井英介)とベニィ(深沢敦)、ジュン(大谷亮介)の三人がよれよれの状態で集まっている。どうやら姉妹のようなのだが、この時点では三人の関係性は良くわからない。これがこの作品のミソで、場面が変わるごとに10年ほど時代が逆行し、三人の関係性がだんだんに明らかになり、さらには予想外の事実までもが飛び出す。

観客にとっては、設定の面白さもさることながら、この想定外の裏切られ方が面白い。細かな内容を書いてしまうとこれから観劇予定の人々に気の毒なので詳細は省くが、この芝居の最終場面は1945年、すなわち終戦の年である。当然、三人の女性も若くてピチピチしている。(物理的にピチピチしている役者もいる)この年に起きた事件を、観客はフィルムの逆回しを観るような形で、結末から遡って観ることになるのだ。

「女形」として多くの作品を演じ、役者の活動を続けている篠井英介、どこまでも男優として女性を演じる大谷亮介、その間を行ったり来たりする深沢敦。この三人の取り合わせの妙が活きている。三人のタイプがまったく違っており、女性を演じるという共通項、もう一つ言えば「何か面白いことを企もう」という共通項でつながっていることが、彼らの芝居のクオリティを維持しているのだ。女形の技術の巧拙という意味で言えば、篠井英介に一日の長があるのは当然だが、深沢敦の開き直り方も堂に入ったものだ。

もう一つ言えば、どんな容貌であろうが、「女性」を演じることで縛りをかけ、ある種の制約の中でどこまでのパターンが見せられるかという実験としても面白い。今回の芝居について言えば、三人の爺さんでは成立が不可能だし、面白くも何ともない。また、歌舞伎の専売特許のように扱われ、特殊な場所に置かれていた「女形」というものが、美醜や容貌、色気といった歌舞伎の解説書の定番項目だけでないものでも充分に成立するのだ、ということを演劇史の時間を遡って見せてくれている部分もある。

「怪優」の名が相応しい個性だけに、場内は爆笑の渦だ。その笑いの中でだんだんに真相を見せてゆくわかぎゑふの脚本の展開が巧みである。最後になると、終戦当時に日本人が抱えていた多くの悲劇の中の一つが、くっきりと浮かび上がって来る。それと同時に、三姉妹の関係性がどうして発生したのかが、解決される。

演劇界のさまざまな垣根が取れ、ジャンル分けが意味をなさない今、多くの役者が交流し、いろいろな形式の舞台ができるのは、こうした化学反応を起こすには絶好の機会だ。紀伊国屋ホールという劇場の大きさも手ごろで良い。このユニットは、4回の公演を持つのに、8年かかっている。人気も腕もあるメンバーだから、公演を打てばチケットは売れるだろう。しかし、あえて注文をしたいのは、このペースを守ってほしい、ということだ。毎年定期的に、となれば消耗せざるを得ないし、演出のG2を含めてみんながマンネリ化する速度は早まる。毎回の芝居のハードルを上げ、「今度はこういう手で来たか」という作品にするにはちょうど良いペースであると同時に、観客にとっても、2年か3年に一度のイベントとして「おっ、今年は婦人会の公演があるのか」という感覚が、このユニットにはしっくり来るような気がするからだ。三人が毎年顔を合わせるのが「クドイ」という意味ではない。しかし、ここまで書いて、そんな気分も少しあるような気がした。この三人が持つ「甘美な毒」が観客の体内で薄まり、また味わいたくなるには、やはりこのペースが良いのだ。

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2011. 4.24掲載

「帰れ、いとしのシーバ」 2011.04 紀伊国屋サザンシアター

タイトルにある「シーバ」は、舞台には登場しない。主人公夫妻が可愛がっていた犬の名前である。「シーバ」は、二人にとっての幸せな時期の象徴であり、心をつなぐキーワードだ。この芝居は、アメリカのウイリアム・インジの作品だが、インジの芝居を観るのは久しぶりだ。テネシー・ウイリアムズやアーサー・ミラーと同年代のアメリカの劇作家で、この作品の他にもマリリン・モンローの「バス停留所」や「ピクニック」などの映画の原作を提供している。老年を迎える前に自ら命を絶ってしまったことなどもあり、こと劇作について言えば、他の作家に比べると埋もれてしまっている感がある。しかし、作品は佳品とも言うべきものを遺しており、三十年ほど前に、八千草薫の主演で「階段の上の暗闇」などを観た記憶がある。

さて、「帰れ、いとしのシーバ」である。平和な暮らしをし、中年を迎えたカイロプラクティックの施術師ドックとローラ夫婦の家に下宿をしている若い画家志望の女性マリー。謹厳実直な主人の目を盗んでは、近所のボーイフレンドのタークと遊んでいるが、恋人が迎えに来て、手を携えて帰ってゆく。これだけを書くと、これで芝居になるのか、という話だが、実はこの夫婦の真昼の柔らかな陽射しを思わせる生活は、大きな挫折を乗り超えて手に入れたものだった。しかし、また、平穏な日常の中に暗い挫折の影が差す。

アメリカ中西部の古い家を舞台にした二幕の芝居で、晩春の十日にも満たない日常生活が切り取られているこの芝居だが、一家の主であるドックは重度のアルコール依存症で、断酒の会に入って間もなく一年を迎えようとしている。ローラの悩みの種だったこの問題も、そろそろ解決に向かおうとしていたのだが、そこに見える平穏な生活は、来客用にとりつくられたテーブルセットのように儚いものであり、ドックは再度アルコールの淵に落ち込んでしまう。

樫山文枝が演じるローラに、たっぷりとした生活感と、中年の妻の気だるさが良く表れている。これは好演だ。もっとも、考えてみれば当然の話で、私が子供ごころに覚えている「おはなはん」からもう四十以上経っており、今や民藝を背負って立つ大ベテランの一人である。西川明のドックも、いかめしい中にふと垣間見せる心の隙や弱さが、年輪を感じさせる。このベテランに、マリーの渡辺えりかや、タークの齊藤尊史が「胸を借りる」感じでぶつかってゆくが、今回の舞台で勉強できることは多いはずだ。

気になった点が一つある。演出の兒玉庸策の視点が、いささか神経質すぎる嫌いがある。台本に忠実、真面目な演出である一方、ハンドルの遊びがほしいところだ。具体的な例を挙げれば、幕が開いて一家の主人であるドックが登場し、いろいろな行動をするが、それがあまりにも細かすぎて、「癇性」のようにも見え、最後の崩壊の予兆をすでに感じさせかねない。この段階ではまだその部分を観客に感じさせない方が、後のショックが効果的になるのではないか。緻密にインジの原作が書き込まれており、原作に丁寧に向き合って演出をしたということかも知れないが、一考の余地はあるだろう。

新しい芝居がどんどん生まれ、アメリカやイギリスなどではなく、ほとんど世界中の芝居が日本で観られる時代になった。その中で、こうして過去の名作を新たな解釈や試みで上演するところに民藝の芝居に対する姿勢がある。新作を生み出す一方で、過去の名作にも目を配ることは、言うは易いがなかなか難しい。今の演劇界は多くの要素で冷え込みが激しく、これから観客にどんな芝居を提示するかが一番大きな問題だ。その中で、民藝が一貫して示して来た方向性は、最もオーソドックスである代わりに、難しかったはずだ。しかし、その軸がぶれずに今もこうして評価を受けていることが結果である。幾多の名優を輩出し、伝説的な舞台の数々を残して来た民藝が、これから若い世代と共にどういう形で芝居を創りあげて行くのかが、今後の大きな問題だろう。これは、こと民藝だけの問題ではない。

今回の芝居で「シーバ」という姿は見えないが「幸福」を象徴する犬がキーワードであるように、これからの民藝は何を「シーバ」としてゆくのか。観客はここを見届ける必要がある。

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2011. 4.20掲載

CLUB SEVEN 2011.04 シアタークリエ

ダンス、コント、ミュージカル…。今の演劇界において、そうしたジャンル分けはさほど意味を持たない。「エンタテインメント」で良いのだ。この舞台、2003年に品川プリンスホテルで最初の公演を持ち、今回のシアタークリエで七回目の公演になる。「CLUB SEVEN」というユニットの名前の数だけ公演を持てたということだ。ミュージカルで活躍の玉野和紀がトータル・ディレクターとして牽引の役目を担い、メンバーはその都度入れ替わりはあるものの、今回も腕に覚えのある人々から若者までが集まった。涼風真世、吉野圭吾、東山義久、西村直人、原知宏、相葉裕樹、佐々木喜英、遠野あすかと全9人である。今回は、「東日本大震災」の影響のせいか、プログラムに掲載してある内容とは若干違っているが、基本的にはダンスや唄の間にショート・コントを挟む第一部と、ミニ・ミュージカル「妖怪」に、この公演の目玉とも言える「50音順ヒットメドレー」の第二部で構成されている。

ここでコントの細かな批評や各楽曲について批評をすることに意味はない。僅か15分の休憩を挟んで実に3時間、唄うか踊るか喋るか芝居をするか、とにかく出演者全員が大汗を流しての公演である。息をつかせぬ、とはこのことだろう。ニヒルなイメージの吉野圭吾に高校の学生服を着せてみたり、原知宏に可愛くない女装をさせてみたり、と、思いつく限りの「大人のいたずら」を舞台で見せている感じがあり、それが面白い。こうなると、理屈ではないし、難しい演技論を振りかざす必要はないのだ。寄ってたかって騒いでいるだけで終わってしまえば問題だが、ミュージカル俳優としての実績を持つ役者が多いだけに、聴かせるところは聴かせ、踊るところは見せる。ショーのあらゆる部分を詰め込んで、観客を満腹にさせようという試みだ。

第一回目から全公演に参加している西村直人の個性が面白い。真面目にやっているのだが、ふとした瞬間に漂う脱力感のようなものが、舞台の一つのエッセンスになっている。涼風真世にしても、帝国劇場の大型ミュージカルで見せる顔とは全く違い、大人の大騒ぎを楽しんでいるようだ。阿波踊りではないが、演じる方も観る方も、楽しまなければ損な舞台で、そこにこの公演の意義がある。

第二部の「50音順ヒットメドレー」には感心した。まずは、いささかのこじつけはあるものの、CMソングまで幅を広げて、これだけの曲を良く探して来たものだ、ということ。フルコーラスではないし、代わる代わる唄うにしても、50分にわたってノン・ストップで良く唄った、この二点だ。一つ言うとすれば、15分の休憩で3時間の公演は長い。もう15分短くまとめても良いだろう。また、公演全体の方向性や、ここに何が加えられ、何が削れるかなどの考慮の余地はある。ただ、こうした「ショー」が一つの公演形態として今の演劇界に定着しつつある、というのが今回の公演の最も大きな功績と言えよう。

東日本大震災」という、誰も経験したことのないような災害に見舞われ、演劇界も大きな打撃を受けているのは事実だ。これは、演劇界に限ったことではなく、あらゆる産業に通じることだろう。しかし、いつも明るい夢や希望、楽しみを提供する仕事であればこそ、元気を出して舞台を見せ、お客さんに明るい笑顔で劇場をあとにしてもらうのは、演劇人の大きな役目である。この公演が、すぐに災害の復旧に即効性があるわけではないが、下を向きたくなる時に、こういう明るく笑えるショーがあるのは救いだ。

たまたま私の後ろの座席には小学生とおぼしき少年が座っており、お母さんと共に大笑いをしていた。大型ミュージカルも良いが、こうしたショー形式のステージが、これからの演劇界の一つの潮流として、小学生の観客が大人になった時に、上質のエンタテインメントになってくれればよいのだが。

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2011. 4.18掲載

欲望という名の電車 2011.04 パルコ劇場

翻訳劇の場合、訳者が変わるとこうも舞台の色合いが変わるのであろうか、というのが正直な感想だ。「アメリカ演劇の代表作は?」と聞かれれば、多くの演劇ファンがこの芝居の名をその一つに挙げるであろう「欲望という名の電車」。テネシー・ウィリアムズの代表作の一つは日本でも人気で、文学座の杉村春子を筆頭に、青年座の東恵美子、新派の水谷八重子、俳優座の栗原小巻、円の岸田今日子、樋口可南子、大竹しのぶ、女形の篠井英介まで、錚々たる顔ぶれが上演している。最も多く上演し、私自身が最も多く観たのも杉村春子のブランチで、日本の「欲望…」は、杉村でなくては夜も日も明けぬ、という時代があったのは事実だ。とは言え、杉村春子や東恵美子のブランチを、現在の観客に提示することはできない。平成23年の今、渋谷で上演されている「欲望…」を観客はどう観るのか。

今回の舞台は、小田島恒志が2002年の大竹しのぶがブランチを演じた折に新たに訳し直した台本を使用し、それを松尾スズキが演出したものである。鳴海四郎に始まり、自分の父親である小田島雄志の翻訳が長い間「スタンダード」とされていた中での新訳台本には、訳者ならではのこだわりが相当にあり、2002年の上演時には見えて来なかったものが、今回の舞台でだいぶはっきりと見えたように感じた。例えば、土地の名前などの固有名詞一つにも訳者なりの解釈がある。演劇には「同時代性」が必要であり、約60年前の初演当時の台本を今でも何の疑問もなく使用していることが正しいとは思えない。その一方、そうした台本で先に列記した俳優の「欲望…」を長年観続けて来た私には、違和感があるのも否定はできない。

ニューオーリンズの「天国」という下町に住むステラ夫妻を訪ねて来た姉のブランチ。学校の教師で独身だが、休暇で出て来たという。実家は南部の大農園「ベル・レーヴ」で、そこを手放してしまい、今は一文無し。しかし、上品な身づくろいや繊細な感性がステラの夫のスタンリーには気に入らない。その軋轢が増し、スタンリーの手によってブランチの正体が露わにされた時、ブランチが崩壊する…。この芝居を、典型的な悲劇としてではなく、至るところに「笑い」の要素を含んだ芝居として捉え直し、訳し直したのが新訳の特徴である。

ブランチは秋山菜津子、スタンリーは池内博之、ステラは鈴木砂羽、ミッチはオクイシュージ。確かに、松尾スズキの演出は新しい脚本に忠実に、その内容を活かそうとした演出である。しかし、登場した瞬間とほぼ同時に、秋山のブランチが「天国」に住む人々とほとんど差異なく溶け込んでしまうような感覚は明らかに違う。脚本を丁寧に読んで行けば、確かに登場後すぐの時点で最後のカタストロフに向かう「狂気」の予兆は観て取れる。しかし、ここまでブランチの性格をエキセントリックにしてしまうと、単に虚言癖のある気の狂った姉が、下町に住んでそれなりに楽しくやっている夫婦や友達の生活を引っ掻き回して、その挙句に精神病院へ連れられて行くだけの話になってしまう。この芝居の面白みは、ブランチの「高貴なる装い」が、野卑で下品なスタンリーによって徐々にボロを見せ、狂気へ転落するまでの「駆け引き」にもあるはずで、そこが良く見えなくなってしまうのだ。ブランチの「嘘」がだんだんに露わになってゆく駆け引きの妙を役者同士の科白のやり取りでもっと観たかったが、残念だ。観客も「もしかすると、この人は本当に金持ちなのかも知れない」と騙される瞬間があるぐらいの方が良い。秋山のブランチはその点で最初から最後まで「同じテンションで走りっぱなし」というイメージがある。新しい翻訳への挑戦だけに、惜しい。

スタンリーの池内博之。粗野で下品だが逞しく魅力的で、見かけによらない繊細な部分もある。この厄介な性格のうち、意外なことに「繊細さ」に新しい発見があった。野卑で下品というのは演出の小ネタで見せる部分が大きく、彼が本来持っている役者の魅力は、見かけよりも濃やかな神経にあるのではなかろうか。そんなことを感じた。

三人の中では、鈴木砂羽のステラが最も良い。今までの多くのステラが、ブランチに対する従順で可愛い妹に徹していたのに対し、彼女のステラは時に堂々と姉・ブランチと渡り合い、今の暮らしに根をおろしている強さを感じさせる。造り物のお人形のようなステラではなく、ブランチとはやはり血のつながった姉妹なのだ、と納得させる感情の起伏の激しさや淫蕩な部分が見え隠れするのが面白い。

新しい発見もあり、首を傾げる部分もある、というのがこの舞台の結論だ。しかし、これを否定しては演劇の前進はない。次の上演の折にどう変容するのか、そこに期待を残しておこう。

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2011. 2.28掲載

「女殺油地獄」の陰影 2011.02 ルテアトル銀座

青年が持て余したエネルギーの発露の場がなく、それが暴発した一連の行為ではなかったのか。市川染五郎が演じる「女殺油地獄」の河内屋与兵衛を観て、そう感じた。現行の上演では油まみれになってお吉を殺すまでで終わりにするのがほとんどだが、今回は齋藤雅文の補綴で、上方の風景や町家の雰囲気を尊重しながら、殺人後の「逮夜」の場までをテンポ良く見せた。「逮夜」を観るのは二十年以上前に、前進座で先代の嵐芳三郎が演じて以来のことで、久しぶりだ。

この芝居は、歌舞伎の解説本などで、よく「現代の青年像に通底するものがある」という取り上げ方をされる。確かに、その場その場で都合の良い嘘をつき、犯行を重ねてゆく与兵衛の刹那的とも言える姿だけを観ていれば、そうなのかも知れない。しかし、与兵衛という男を囲む状況を眺めてみると、紛れもなく江戸時代、なのである。上方の商人の暮らしの中の「義理」、生さぬ中の親子の「義理」、男同士の「見栄」、それらの柵と狭い世間の中で、どこへ飛んでゆけばよいのか、自分でも計りかねて暴発せざるを得なかった与兵衛の姿が浮かんで来るのだ。与兵衛の父は、実父ではない。先代の主人の奉公人である。それがために、与兵衛は「息子」でありながら、かつて仕えていた主人の子、という遠慮がある。母は実母だが、それゆえ今の夫への遠慮がある。こうした互いの義理に縛られている家庭環境が、与兵衛を生んだのだ。これは、「平成時代」には滅多にない環境だろう。

野崎参りへ向かう人々が行き交う花見の土手で幕が開く。その賑やかさの中には、後に起こる惨劇の予兆は何もない。しかし、与兵衛が登場してから、急速に悲劇の色合いが濃くなる。染五郎の与兵衛は、ぞろりと着物を着こなし、いかにも遊治郎然とした姿が良い。上方の芝居だが、科白のアクセントも気にならない。今までは若さ一直線で演じていたが、今回は与兵衛の中にその人間の姿が感じられる。具体的に言えば、与兵衛は罪を犯すたびに反省もすれば、親のありがたみもわかる。その一方で、目の前の問題を片づけるために、人妻に「不義になって貸してくだされ」と借金を申し込む。最後の逮夜の場では、犯行が露見して、縄につく。引き立てられながら歩く与兵衛の顔には、冷たい薄笑いさえ浮かんでおり、反省の色など微塵もない。これらの行動をつなげてゆくと、矛盾した人格のようだが、どの与兵衛もその瞬間の気持ちは本気であり、嘘偽りはない。前後の行動と矛盾していることを、本人自身が感じていない、あるいは信じていないからだ。この人間像を見せたところが、以前と比べて大きく進化したところだろう。十年ぶりに演じた今回の役で、その成長の姿をくっきり見せた。

市川亀治郎のお吉が予想以上の出来を見せた。まずは釣り合いが良い。子を持つ女性の成熟した色気がもう少し漂えば、さらに良かっただろう。しかし、与兵衛に対してきっぱりと物を言う商家のおかみとしての姿が良く描けていたのは成功だ。見せ場である油の中での殺しの場面では、染五郎と共に身体を惜しまずに、暗闇での恐怖感を見せる。今の我々は、暗闇というものを体感しにくい時代になった。か細い灯りが消え、油がこぼれて足を取られ、思うようには動けない。樽が倒れ、油が流れる音、与兵衛と自分の息遣いの音の中で殺される恐怖、である。

与兵衛の両親は坂東彦三郎と片岡秀太郎である。秀太郎は、兄の仁左衛門が一昨年一世一代で演じた「女殺油地獄」で同じ母親のおさわを演じており、上方の商家の品の良さと情がある。徳兵衛の彦三郎はいささか科白がもたつくが、実直さが身上である。

歌舞伎座再建中のため、現在、いろいろな劇場で歌舞伎公演が行われている。このル テアトル銀座もその一つだが、そこで気付いたことを書いておこう。この劇場は歌舞伎のために造られた劇場ではないから、花道は仮設だが、問題はない。むしろ、舞台の間口が、歌舞伎をリアルに見せるためにはちょうど良い寸法である。また、客席の中を与兵衛が歩きながら通る演出が、観客との距離感をより近いものにしている。歌舞伎座や国立劇場などの大きな舞台の歌舞伎を見慣れた眼には新鮮に映るし、江戸時代のことを言えばこの寸法でも広いほどだ。また、劇場を移したことから開演時間のバリエーション、上演時間の短縮を図り、夜の部の開演が16:30、18:30という二通りにした工夫が大きい。従来の歌舞伎ファンを逃さず、新たに勤め帰りの若い観客をも歌舞伎に誘導できる仕組みだ。また、上演時間も休憩を挟んで2時間30分にまとめ、役者も観客もそう負担にならない時間の設定にした。

いろいろな意味で、本来の歌舞伎が持っている柔軟性や自由さを、改めて観て、その成果を感じた想いである。

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2011. 2.24掲載

「南へ」2011.02 東京芸術劇場中ホール

結論を先に言う。今の若い人を中心に、ぜひ見せたい芝居だ。ここ何作かの野田秀樹の芝居の中では、最も完成度が高く、なおかつ多くの問題を孕んでいるからだ。この「南へ」というタイトルも非常に象徴的な意味を含んでいる。野田秀樹も出演はしているものの、この芝居に関して言えば、出演者と言うよりも作家としての比重が遥かに大きい。「野田地図」の乾坤一擲とも言うべき芝居だ。

舞台は「無事山」という、今にも爆発しそうな火山の測候所を中心とした物語である。そこへやって来た一人の男・妻夫木聡。能舞台の橋掛かりを歩くように登場するが、芝居が巧くなった。今でもはっきり覚えているのだが、彼がこの「野田地図」の「キル」で初舞台を踏んだ時に、「素直に下手なところに好感が持てる。意外に舞台向きの役者かもしれない」という主旨の批評を書いた。それからの間に、役者としての逞しさを増し、一回り大きくなっていたのが嬉しい。彼に対する蒼井優の嘘をつきまくる女が、いかにもエキセントリックで、渾身とも言えるエネルギーで芝居にぶつかる。幕切れ近くの悲痛な叫びは、耳に残る。若い二人の好演に、渡辺いっけい、藤木孝などのベテランが絡む。藤木孝の怪しさは、他に変え難い面白さだ。

私がなぜ、この芝居を「若い人を中心に見せたい」と言うのか。2時間を少し超えるこの一幕の中に、我々がなおざりにしていることや、考えずにすませていることが、たくさん散りばめられているからだ。日本における「天皇家」の問題に始まり、マス・メディアのあり方、戦争、北朝鮮の問題、ひいては「日本人というもの」「自分は誰なのか」といった歴史的・政治的・哲学的問題が山盛りになっている。

例えば、我々は「天皇家」というものに対して、年始や天皇誕生日の一般参賀の折に発せられるお言葉、あるいは週刊誌が報道している「跡継ぎ問題」や皇太子妃殿下のご体調に関する話題を中心に知っているのが一般的だろう。しかし、野田秀樹は、「この国は、天皇家を利用した詐欺の歴史である」と芝居の中で言い切っている。この言葉だけを取り出すといかにも過激に聞こえるが、その事実が厳然と存在したのも確かだ。数年前に宮家の名を騙って詐欺を働いた男女が逮捕されたのは、いくら忘れっぽい日本人でも記憶に残っているだろう。こうしたことは、千年以上も前から手を変え品を変え行われていた日本人の「お墨付き」に対する憧れから出ている行為であることを看破して、先の科白にしたのだ。戦国時代に、多くの武将が家系図をいじり回し、何とか天皇家に結び付けようとしたのは周知の歴史的事実だ。これは是か非かの問題ではない。この事実をどう受け止めますか?という作者の、観客に対する問題提起なのである。同様に、先に挙げたような問題が、次々に観客に問い掛けられる。

ただ、惜しいのは野田秀樹の才気煥発な筆が走り、想いが溢れすぎてしまっていることだ。速射砲のように繰り出される大きな問題やテーマを、観客が拾い切れないうちに、どんどん新しい事象が起きてしまう。これが今の世の中の、あるいは野田秀樹独特のスピード感なのだ、と言ってしまえばそれまでなのだが、どれもが大切かつ重要な問題だけに、残念だ。泣いて馬謖を切る想いで、一つか二つテーマを減らせば、より濃密な芝居になっただろう。あるいは、濃密さを嫌う風潮の時代にはそれは向かない、と作者は考えたのだろうか。

情報過多の時代の中で、情報を得ることは簡単でも、それらの情報をもとに「考える」ことをしなくなった我々がいる。マス・メディアが我々に届ける情報は、果たして本当に正確なのか。それは、日本の歴史の中でどういう意味を持っているのか。そうした思索を飛ばして次へ進んで行かないと時代に追い付けない一方で、思索をしないためにどんどん情報の渦に埋没していく自分がいる。では、「自分」とは、一体どこから来たどういう人間なのか。果たして、この劇評は、「南へ」という芝居のテーマを正しく捉えているのか。野田秀樹の挑戦である。

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2011. 2.12掲載

Endless SHOCK 2011.02 帝国劇場

「凄絶」、という言葉が頭に浮かんだ。一幕の幕切れに主演の堂本光一が激しい立ち回りの後で、二十段以上ある階段を転げ落ちる。俗に言う「階段落ち」である。その前に、抜き身の刀で激しい大立ち回りをし、激しい呼吸の音がマイクを通して聞こえて来る。その中で、一幕の最大の見せ場となる階段落ちがある。一見、華奢にも見えるこの青年が、疾走を続け11年目を迎えた今回の「Endless SHOCK」で上演回数も800回を超えると言う。毎年、いろいろな部分に手を入れながらバージョン・アップを重ねて来た舞台である。2000年に、彼が「MILLENNIUM SHOCK」で帝国劇場の史上最年少座長を勤めた折に、「演劇界の潮流が変化している」ことを感じたが、今やそれは大きなうねりの一つになった。

折から、今年は帝国劇場開場100周年という記念すべき年に当たる。開場記念日に当たる3月1日は、この舞台の上演中でもある。この舞台のテーマが「Show must go on」であるのと同様に、帝国劇場もまた、100年もの歳月を走り続けて来た劇場である。考えてみると、100年の歴史の中で、私は約40年にわたり客席の人となっている。もちろん、すべての公演を観ているわけではないし、帝国劇場の一世紀に及ぶ歴史に比べれば、私と帝国劇場の歴史など微々たるものに過ぎないが、それでも多くの名作や心に残る芝居を観て来た。その中の一割以上を、彼は、「SHOCK」を演じ続けている。これは、若いからできる、とか体力があるというだけの問題ではない。もちろん、それらは必須の要素ではあるが、何よりも「座長」として大所帯のカンパニーを引っ張って行くだけの「覚悟」がなくては勤まらない。それを承知の上で走り続けている堂本光一のエンターテイナーとしての魅力が、二か月の公演を満席にするのだろう。

フライングや和太鼓の演奏など、身体をギリギリまで酷使してファンの要望に応え、昨年よりも質の高い物を見せようとする姿勢には好感が持てる。これは同じジャニーズ事務所の植草克秀や内博貴など、同じ志を持つ多くの仲間に囲まれ、支えられているから出来る事でもある。本来、「芸能」の本質はここにある、と私は考える。観客に迎合するのではなく、ギリギリのラインでどこまで観客を満足させ、次への期待につなげるのか。文章にしてしまえば非常にシンプルだが、これを実行するのは至難の技、とも言える。人間にはどうしても「狎れ」があり、楽をしたいものだ。しかし、その感情や意識を抑え、観客の期待に応えるのは並大抵のことではない。堂本光一がこの若さにして、帝国劇場の座長を11年間勤めていられるのはここに想いがあるからに他ならない。そういう座長の姿を観ていれば、カンパニーはおのずとまとまり、一つの方向を向く。もちろん、細かな部分を見て行けば、まだまだ修正の余地も一考に値する部分もある。その中で、座長を含めたカンパニー全員が今日より明日、今年より来年への成長を目指し、努力していることが観客にとの間に呼応するのだろう。メンバーの中では、内博貴が昨年の七月の舞台よりも格段に存在感を増し、スケールが大きくなったことを書いておこう。死に物狂いの一ヶ月が大きく成長させたのだろう。昨年の舞台で垣間見えた戸惑いや遠慮のようなものがなくなった。心理的にも大きく成長を遂げた証拠である。

帝国劇場の百年は、日本の演劇シーンの百年の象徴とも言えるのだ。

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2011. 1. 8掲載

大人は、かく戦えり 2011.01新国立劇場 小劇場

 「子供の喧嘩親かまわず」という諺は死語になって久しい。今は、「子供の喧嘩に親が出る」どころか、モンスター・ペアレントなる親でもない子でもない未成熟な大人が跋扈する時代だ。どうやらこの問題に頭を抱えているのは日本だけではないようで、この作品は2006年にスイスで初演され、作者であるヤスミナ・レザの本国フランス、そしてイギリス、アメリカなど各国での上演を経て日本での上演となった。芝居の役割の一つは、時代の世相を映すことでもあり、どこの国でも同じような事情、ということだろうか。

 登場人物は二組の夫婦、四人だけである。お互いの十一歳の子供が喧嘩をし、一方が怪我をした。それをどう納めるか、という問題で話し合いが持たれている居心地の良さそうな、それでいて無理をして取り繕っているようにも見えるリビングルームでの一幕だ。どちらの親も社会でそれなりの地位におり、収入も教養もある。最初はお互いに非常に冷静にかつ紳士的に話し合いをしているのだが、そのうちに話が噛みあわなくなり、気まずい雰囲気が漂い始める。やがて、子供のことはどこへやら、お互いの夫婦のあり方を批判し出すかと思えば、夫婦喧嘩も始まり、先ほどまでの「仮面」を脱ぎ棄てて、人間の本性丸出しの醜い言い争いから、果ては取っ組み合いにまで…。一つ間違えば笑えない話題になりかねない問題を、作者のいささかシニカルな感性でコメディに仕立て、このところ好調なマギーが演出をしている。

 怪我をした子供の両親が段田安則・大竹しのぶ。させた方の両親が高橋克実、秋山菜津子。油の乗った役者たちの丁々発止のやり取りが面白い。最初は夫婦同士が相手の腹を探るところから始まるのだが、秋山菜津子のあるシーンをきっかけに大竹しのぶが暴発し、それからは大暴走になだれ込んで行く。公演が始まって間がないせいか、科白のやり取りの間や笑いのテンポなど、こなれていない部分も何ヶ所か見られたが、それぞれの登場人物が自棄になり、仮面を脱ぎ出すところが面白い。中でも、大竹しのぶの芝居が凄い。非常にエキセントリックに叫び、暴れる一方で、幕切れの一言でいきなり氷点下まで舞台の温度が下がる。この感情の振幅の広さは、他の女優には観られないものだろう。彼女の芝居はずいぶん観て来たが、今回は沸点を遥かに超えた摂氏180度の芝居もあれば、零下30度の場面もある。それが、一人の人間の感情の流れとして不自然ではないように見せるテクニックはたいしたものだ。高橋克実の人をいらだたせる傍若無人、無神経さは、役のイメージにぴたりと合っている。登場人物の中では最もバランスが取れているかのように見える段田安則は、裏を返せば優柔不断でその場を納めることだけに腐心している。しかし、それが切れた瞬間に本来の人物像を見せるところは、まるで遠山の金さんのようでもある。秋山菜津子は演出過剰とも思えるシーンもあったが、その一方で腹の底でぐつぐつと煮えたぎる感情が面白かった。

 その一方で、この作品の「罠」は、二組の夫婦がそれなりの教養人である、というところにある。表面的なものだけを観ていれば、喧嘩をした子供の真似を親がしている、という現代の問題を切り取った作品だが、それだけではない。なまじ教養がある人々だけに、その言葉や行動の端々に、現代の親の姿だけではなく、「人間」そのものが抱える問題をも作者は同時に提示している。それぞれが信じ、囚われている常識という形のないものがいかに不安定なものであるか、人によってその尺度がどれほどに違うか。もっと突き詰めて言えば、夫婦のありよう、人間のありようとして何が正しいと言えるのか。作者は、二組の夫婦の暴言や破廉恥な行動を通じて、それを観客に考えさせようとする。ある意味では、現代という厄介な時代を生きる我々の感情が、非常に複雑に入り組んだものになっており、舞台上の四人は、我々の身近な人々であったり、あるいは我々自身が必死に押し隠そうとしている姿の一部でもあるのだ。「笑い」のオブラートに包まれた芝居のテーマは、実は重い。

 ところで、この芝居の上演時間は休憩なしの1時間20分である。芝居の種類や書かれた時代にもよるが、3時間前後の芝居が多く、中には2時間以上休憩なし、という芝居もある。観客の生理を考えた時、私個人の問題ではあるが、今まで数千の芝居を観て来て、休憩を挟まない場合、観客の集中力の限界は1時間30分が限度ではないか、という体感を持っている。そういう点で、80分という上演時間は誠に心地よい。考えようによっては、実力のある四人の役者であれば、この芝居の後に休憩を挟み、キャストを変えて短編を一本上演して全部で3時間程度の構成という公演形態を取ることも不可能ではないだろう。しかし、上演時間の長さではなく、内容の密度で見せるという考え方でこの作品一本に絞っているのは英断であろう。

東京公演について言えば、チケットの代金は7,000円と4,500円だ。短いから安い、というだけの問題ではない。この忙しい時代に、夜の7時から10時までの芝居を観るのは体力的にキツイ観客もいる。仕事の帰りに濃密な芝居をサラッと観て、一杯呑むなり食事をして帰るにはちょうど良い時間であり、遠距離の観客にはありがたい話でもある。もう10年近く前のことになるが、交通の便が良いとは言えない劇場で、終演が10時を過ぎる芝居があった。若い女性の観客が多かったが、カーテンコールを観る間もなく、ハイヒールで脱兎の如く駅へ向かう観客が多かった。これでは、芝居の余韻に浸る暇もなく、気の毒極まりない。こうした観客の生理を考えた芝居も、今後の演劇界のあり方の一つではなかろうか。芝居の内容とは関係のない問題かも知れないが、芝居を創る側にも観る側にも大きな問題ではあるのは間違いない。結局のところ、芝居のライブの良さを味わうことは大切だが、量と質の問題が重要なのだ。これは、我々演劇人が考えるべき問題である。

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