2010. 11.23掲載

マイ・フェア・レディ 2010.11 JCBホール

1990年に初演して以来、20年の歩みを経て、先月博多座で600回のイライザを演じた大地真央の最後の「マイ・フェア・レディ」卒業公演である。森光子の「放浪記」2017回をはじめ、ミュージカルでは松本幸四郎の「ラ・マンチャの男」1100回、森繁久彌の「屋根の上のヴァイオリン弾き」900回など、多くの上演記録を持つ東宝だが、作品ごとに数字の持つ意味合いは違うだろう。私がこの芝居を初めて観たのはちょうど40年前、1970年の帝国劇場公演である。その折のイライザは2代目の那智わたるだった。以後、上月晃、雪村いづみ、栗原小巻を経て大地真央に至るのだが、もちろん600回もイライザを演じた女優はいない。

2002年の中日劇場公演からは演出も西川信廣に変わり、「21世紀バージョン」と銘打って大幅に変更が加えられた。それ以来、8年の間にも細かな変更が加えられているので、変更点をいちいち列挙することはしないが、一言にするならば総体的な意味で「重厚」から「軽快」へ、である。手控えによれば、1990年に初めて大地真央がイライザを演じた時は、一幕が2時間、二幕が1時間10分となっている。今回は、一幕が1時間45分、二幕が1時間5分、全体で20分テンポアップした計算になる。このテンポアップを含んだ西川信廣の新しい演出を私は全面的に肯定するわけではない。ただ、20年という時間を切り取ってみても、観客の生理は言うに及ばず、時代の流れによって多くのことが変わって来たのは確かだ。

さて、大地真央のイライザである。20年前の初演を想い浮かべると、その当時は映画のオードリー・ヘップバーンを意図的に真似ているというイメージがあった。しかし、回を重ねることに、内部から滲み出るイライザの人間性や感情、愛情が加わり、一人の女性としての魅力や存在感が増し、立体的になった。これは明らかな進歩であり、回を重ねるごとに細かな部分を含め、いろいろな工夫を積み上げて来た結果だろう。それが、今回のラスト・ステージへの集大成へと向かって来たわけだが、いずれにせよ、世界中で愛されているこのミュージカルの名作の主役を600回以上演じ切ったことは評価に値する。

次いで、特筆すべきは上條恒彦のドゥリトルだろう。イライザの呑んだくれ親父で、1993年以来何回かの公演を除いて持ち役にしている。下層階級の住民ではあるが、その暮らしぶりが体臭として伝わって来るような、味のあるドゥリトルである。「運が良けりゃ」で軽やかな味を見せ、「教会へ連れていけ」では朗々と謳い上げて聴かせる。こうしたミュージカルにおいては非常に貴重な存在の役者である。

ヒギンズ教授の石井一孝は4回目、ピッカリング大佐の升毅は今回が初役である。石井一孝はだいぶ手慣れて来た感はあるものの、役者としての「貫目」が大地よりも明らかに軽く、上層階級に生きている男性としての感覚に欠け、マザー・コンプレックスの面だけが強調された感があった。この芝居には上流階級と下層階級との身分差を超える愛情が根っこにあり、その超え難い溝を超えた愛情というテーマがあるが、これ格差は存在しても階級の存在しない今の日本では理解のできない部分だろう。その代わりに、大地真央のコメディエンヌの部分を前面に押し出し、他の役者もそれにならったことが芝居の「軽快感」につながったのでもあろう。そこで、時代の変化と共にこの芝居の持っている本質的な部分が若干変化していることは否めないが、そうしたものを踏まえて、違う角度からスポットライトを当てた演出なのであろう。初役でヒギンズ夫人を演じた大空真弓がベテランの貫録を見せたことを付記しておこう。

芝居は時代と共に移ろうものであり、同じ芝居でも長い期間上演されていれば観客の感覚も変われば、芝居を巡る時代も変わる。シェイクスピアの芝居が様々な形で上演されて来ているように、その時代に合わせた上演の仕方を否定するつもりはない。しかし、今回の演出に関して言えば、軽快さを強調する余りか、本来は舞台装置などが語るべき芝居の厚みが薄らいでしまった感があるのが惜しい。しかし、この上演方法が「21世紀バージョン」なのであり、今の大地イライザが到達した、ある意味での「完成形」なのだろう。20年の歳月の移ろいの中で、共演者も様変わりし、演出も変わった。何もかも変らぬ物を求めてもそれは無理な話であり、芝居は常に変化と進化を続けるものだ。例えば、ピッカリング大佐を初演当時から1990年まで持ち役で演じた益田喜頓の「かろみ」と、升毅が今回初挑戦するピッカリング大佐の「かろみ」。言葉は同じでも内容はまったく違うし、現時点で比較のしようのないものを比べることに意味はないだろう。

行き着くところ、名作はやはり名作である。20年間にわたってこの役を演じ続けた大地真央と、この舞台の創造に関わった人々に拍手を贈りたい。

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2010. 11.12掲載

やけたトタン屋根の上の猫 2010.11 新国立劇場小劇場

戦後のアメリカ演劇を語る上で欠かせない作家のひとりであるテネシー・ウィリアムズの「やけたトタン屋根の上の猫」が常田景子の新しい翻訳、松本祐子の演出で上演されている。これは、今シーズンの新国立劇場の「JAPAN MEETS−現代劇の系譜をひもとく−U」シリーズの中の一本で、最初がイプセンの「ヘッダ・ガーブレル」、そしてこの芝居、次がソートン・ワイルダーの「わが町」、最後がベケットの「ゴドーを待ちながら」で、いずれも新訳での上演である。どの作品も日本の近・現代演劇に大きなインパクトを与えて来た作品で、この芝居にしても1955年の作品であり、今から55年前のものである。しかし、翻訳をし直すことにより、ただ言葉を今のものに直すのではなく、この芝居に込められている普遍性をもう一度洗い出し、検討してみようという試みだ。これは他の芝居にも言えることで、「名作」と呼ばれるものが長い歳月の間繰り返して上演されるのはなぜか、上演する側でその意味を探り、観客がそれをどう受け止めるのか。「古典の名作だから」と単純にありがたがるのではなく、その中から現代に通底する何が発見できるのか、である。

アメリカ南部の大農場の一室が舞台で、今日は一代で財を築いたビッグ・ダディ(木場勝己)の65歳の誕生日。ビッグ・ママ(銀粉蝶)、長男グーパー(三上市朗)・メイ(広岡由里子)とその子供たち、次男のブリック(北村有起哉)・マーガレット(寺島しのぶ)の夫婦が集まった広大な屋敷では、誕生日のパーティが行われている。健康診断で「健康そのもの」とお墨付きをもらったビッグ・ダディだが、実は余命いくばくもないガンに侵されており、ビッグ・ダディが偏愛する次男のブリックは、深く愛する友人の死のショックで、アルコール中毒になり、夫婦の関係にも破綻を来している。そんな中、それぞれがビッグ・ダディ亡き後、いかに自分に有利な遺産相続ができるかを考えるが、その一方で家族の赤裸々な姿がさらけ出されてゆく…。空々しく賑やかな一夜の中で蠢く家族の感情を描いたもので、最終シリーズを迎えた「渡る世間は鬼ばかり」も真っ青とも言うべきドラマだ。しかし、どこにでもある家族のもめ事を延々と描いていればすむ話ではない。その中に抱え込まれた苦悩や憎悪、嘘、欺瞞、世間体などの「生」な感情が裸でぶつかり合い、火花を散らしながらそれぞれの人物の葛藤を見せるところがこの芝居の眼目だろう。

舞台には大きな寝室がでんと据え付けられている。かなり豪華ではあるが、洗練された趣味とは言えないところに、この屋敷の主であるビッグ・ダディの性格が垣間見える良い装置だ。学問はないが、上昇志向のエネルギーで今までの身分にのし上がり、莫大な財産を手に入れた男の、下司になり兼ねない際どさが家の中に漂っていることがわかるからだ。それを象徴するように、子供たちの嫁であるメイもマーガレットも蓮っ葉で意地が悪い。一幕をほぼしゃべり詰めで通す寺島しのぶのマーガレットの科白の端々に、この倦んだ空気が漂う「家」の感覚や匂いが良く出ている。この女優、最近ぐんと芝居のスケールが大きくなって来た。良い仕事を重ねている女優である。マーガレットの夫・ブリックを北村有起哉が演じているが、この役はかなり複雑である。アルコール中毒のきっかけになるほどのショックを受けた亡くなった親友との間に同性愛的な感情があり、それが大きな影を落としている。作者のウィリアムズ自身が同性愛者だったためか、「欲望という名の電車」でも重大なキーワードの一つとして登場するが、今の時代、取り立てて大騒ぎするほどのものではなく、むしろ、いろいろな悩みを内包した家族それぞれが、「やけたトタン屋根の上の猫」のような状態で落ち着きなく動き回り、鳴き声を上げ、威嚇をしている状態の象徴としての一つの現われであろう。

ビッグ・ダディを演じる木場勝己がぴったり役にはまっている。成り上がった男の傲岸な自信と家族への不満、次男・ブリックへの偏愛。「家」の中で自分が「主」であることを盛んに鼓舞しなければならず、そのために大声を張り上げている彼自身もまた、やけたトタン屋根の上にいる一匹の猫に過ぎない。妻の銀粉蝶も同様で、面白く下品である。

初演後50年を経ていれば、もう「古典」と呼んでも差し支えはないだろう。しかし、その中に生きている人々の感情や行動はそう大きく変わるものではない。それを、2010年の眼で見直した松本祐子の演出は、奇をてらったものではない代わりに、じわじわと観客の心に沁み込んで来る。「欲望という名の電車」に比べると上演回数が少ない芝居ではあるが、ウィリアムズという劇作家の痕跡を辿る時には、大きな位置を占める作品であることを改めて認識せざるを得ない。それは、作品自体が持っているボリュームでもあろうし、第三幕を二通り書いた作者のこの作品への深い愛情でもあろう。

客席にいて、今の我々にはこの舞台の浅はかな登場人物たちを嘲笑する資格はないのかも知れない、と感じた。日本という国自身が大きく傾き、国民全員がやけたトタン屋根の上にいる状態の今、舞台で起きている家庭のいざこざは、他人事ではない。「名作」と呼ばれる芝居が持つ普遍性は、ここにあるのだ。

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2010. 11.7掲載

K2 2010.11 世田谷パブリックシアター

エベレストに次いで第二の標高を誇る山、「K2」。山男にとっては限りなく危険な一方、引き寄せられるほどに甘美な山なのだろう。切り立つ氷壁のわずかな面積の岩棚に置かれた二人の男。余りにも厳しい自然環境の中、一人は骨折をしており、もう一人も決して万全の体調ではない。肉体的にも心理的にも限界に置かれた二人の男の行動や心理、想いとは…。この芝居は、日本ではアメリカで初演後の翌年、1983年に菅原文太・木之元亮で初演され、その後、97年に加藤健一・上杉祥三で上演された。そして今回は堤真一と草g剛である。幸いにも、初演からの舞台を観て来たが、おぼろげな27年前の記憶を辿ってみると、「K2」という山そのものに今よりも馴染みがなかったせいか私が幼かったのか、このドラマをどう扱い、観客もどう受け止めて良いのかに戸惑いを覚えていたような覚えがある。

しかし、今回の舞台はかなりリアリティに富んだ舞台である。幕が開いて、大きな氷壁がリアルに創られていることを評価したい。批評の最初に美術を褒めるほどに、何者をも寄せ付けに厳しさを持ったK2の絶壁が観客に迫って来る。これは、パブリックシアターの劇場構造が充分な高さを持っており、それを充分に活かした装置で、二村周作の見事な仕事だ。この芝居は、氷壁のわずかな岩棚と絶壁でしか芝居をする場所がない。そういう点では、装置の出来で芝居も大きく変わる。いい装置だ。

堤真一の物理学者ハロルドと、地方検事補のテイラーが、この難しい山の登頂に成功はしたものの、下山途中で遭難しているという状況で幕が開く。氷点下40度以下の寒さ、酸素も薄く、充分な装備もないという過酷な状況の中、ハロルドは足を骨折している。その中で、何とか下山の工夫をする二人。しかし、意見は食い違い、極限状態の中で昂った感情がぶつかり合う。「死」を目前にした状況の中で、希望と絶望が交互に顔を出す中で、二人の男は冗談に紛らわせてそれぞれの決して長いとは言えない今までの人生や地上での出来事を語り合い、そこに僅かな希望を見いだそうとするが、刻々と日暮れは近づく。日没を迎えれば、それはすなわち二人の人生の日没でもあるのだ。この状況の中で、彼らはどんな行動を取るのか。

通常のイメージで行けば、堤真一は「攻め」の芝居で草g剛は「受け」の芝居に回りそうなところだが、今回はあえて逆の配役である。骨折している堤真一は、ほとんど動くことなく1時間40分の舞台を演じる。その一方で、草g剛は、叫び、わめき、僅かでも助かる道を探すために実際に氷壁を登り、と非常にアクティブな芝居をする。草g剛の芝居に、いささかの焦燥感を感じ、科白が聞き取りにくい場面もいくつかあったが、この配役の妙は面白いアイディアだ。実際に数メートルをよじ登る草gも大変だろうが、座ったままで抑制した芝居の中で感情のうねりを創る堤も楽ではない。ただ、こうしたシチュエーションになると、舞台経験の豊富な堤真一に一日の長がある。最近の彼の舞台を観ていると、「抑制」する芝居に味が出て来たようで、これは役者としての一つの進化を語る側面だろう。

お互いが決して言葉にはしないものの、時が過ぎるに従い、二人が無事に下山できる可能性は絶望的になる。その中で、自分だけが助かりたい、という自己中心的な感情ではなく、命の瀬戸際を共にした二人の男の間に、「友情」とも「連帯」とも「共有」とも言える不思議な感情が芽生える。「相手を助け、共に下山したい」と考えるテイラーと、自分が下山することは不可能なことを知り、冷静に相手だけは下山させたいと思うハロルド。もちろん、その想いへたどりつくまでには様々な感情の交錯やせめぎ合いがある。それを経て、お互いが行く末を見極めた時に、その微妙な感情が成立するのだ。

演出の千葉哲也は、このドラマを「薄っぺらな感動」にはしたくない、とパンフレットの中で語っている。怒鳴り合い、罵り合い、下品なジョークを飛ばして現実から目を背け、とあらゆる感情を交錯させた二人の男に最後に残ったものは何だったのだろうか。我々が日々生きて行く中で、多くの人と交わり、信頼関係を築くためには無数とも言えるパターンがある。厳しい自然を前にした登山など、よほど相手に対する信頼がなければ成しえないだろう。その中で、危機的状況に置かれた時に、相手の「本音」がわかる。この芝居でお互いが本音を見せた後、それぞれがどういう行動を取るのか。これは、わずか数平方メートルの氷棚のドラマではない。日常の人間関係が、その場所にさらされているのだ。私がハロルドだったら、私がテイラーだったら、どういう科白を吐くのだろうか…。その科白に「人間」が描かれている。

あえて、結末は書かない。

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2010. 9.26掲載

表に出ろいっ! 2010.09 東京芸術劇場 小ホール

 劇場へ入った途端、「表に出ろいっ!」と来た。しかし、そのまま劇場を出てしまっては、批評を書くことはおろか芝居を観ることも出来ない。野田流の洒落が利いたタイトルで、野田秀樹と中村勘三郎が小劇場で顔を合わせるというのは面白い試みだ。

 舞台にはやたらにサイケな色どりのリビング・ルームと思しき部屋がある。しかし、通常の場所ではなく、劇場の前方右端にしつらえてある。つまるところ、このリビング・ルームは能舞台のような造りになっており、芝居が始まってみれば、主人公の「お父ちゃん」の主人公は能楽師なのである。観客は、能楽堂と同じように、正面と脇正面からこの芝居を観るという、能を模した仕掛けになっているのだ。登場人物は「お母ちゃん」の野田秀樹と、ダブル・キャストの娘だけの三人。この日の娘は太田緑ロランス。

 「表へ出ろいっ!」というタイトルは裏腹に、結局この三人はリビング・ルームを出ることは出来ない。それぞれに、ディズニー・ランドのような遊園地のパレードに行きたいだの、ジャニーズのコンサートのようなライブに行きたいだのという、非常に「本人には切実な」外出の必要性を持ってはいるのだが、その切実さが相手を説得することができない。うがった観方をすれば、この芝居は一種の家庭崩壊劇でもあり、不条理劇でもある。家族とは言え、価値観の違う三人がぶつかり合い、家族同然に暮らしている犬のお産をもほったらかしにする人間の自分勝手な一面をも描いている。しかし、不条理であろうが無茶であろうが、観客が楽しめる芝居づくりがまず先にあり、さんざん笑った挙句に観客はそこから何かを感じ取る。この辺りが野田秀樹の作劇の巧さだろう。一歩間違えれば非常に重いテーマや内容になる芝居を、軽やかに仕上げている。ここの、この人の才気がある。

 勘三郎と野田秀樹のぶつかり合いが滅法面白い。舞台がメチャクチャになる寸前まで二人で大暴れをするが、野田秀樹が実に軽やかに動き、しかも、中年の奥さんの役が似合うのだ。これは、いわゆる「女形」になっていないからだろう。さりとて武骨な中年の男でもない。野田秀樹が昔から持っている独特の少年性が、うまい形で表現されているのだ。同い年である勘三郎も、野田に負けじと大汗をかいて舞台をかけずり回っている。

 勘三郎と野田秀樹の顔合わせは、これが初めてではない。歌舞伎座で野田作品の上演も行われている。「新しい歌舞伎」「現代の歌舞伎」を創造しようとの試みだが、それが必ずしも成功であったかどうかは、私には疑問が多い。しかし、この芝居に関して言えば、明らかに「平成の歌舞伎」になっていると思う。ここで、「歌舞伎とは何か」という定義の問題に深入りするつもりはない。改めてきちんとした論証が必要ではある。しかし、一応江戸時代同様に、現代をある視点のもとに諧謔と洒落で切り取ったもの、という大まかな定義を仮にしておく。この「歌舞伎」が成功した一番の要因は、興行場所が「歌舞伎座ではない」ことにある。歌舞伎座で新作を上演する以上は、それがどんなに斬新なものであっても、長年の歴史と時間、空間を持った歌舞伎座という得体の知れない劇場の呪縛を逃れることはできない。今の観客がほぼ共通項として認識している「歌舞伎」というもののフレームの中でしか考え、行動することができないのだ。しかし、池袋の芸術劇場小ホールにはそうした呪縛は何もない。物理的には、定式幕もなければ花道もない。そこで、さまざまな「伝統」と呼ばれる因習から解き放たれ、大いに現代の世相を洒落のめすことが、一つの歌舞伎らしさではないだろうか。

 古い歌舞伎ファンからすれば、三味線音楽もなく、けたたましく飛び回って何が歌舞伎だ、という声はあるだろう。しかし、それは歌舞伎四百年の歴史の中で、新しいものが生み出されるたびに言われて来た言葉でもあろう。誤解のないように念を押しておくが、野田秀樹も中村勘三郎も、「これが歌舞伎だ」などとは一言も言っていない。ただ、私には、この舞台が平成の歌舞伎の一つのありようを示唆するものに感じられた、ということだ。この意味を、真っ先に、かつ真面目に考えなくてはならないのは、実は我々演劇人なのだ。

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2010. 9. 5掲載

立川志の輔と「江戸の夢」 2010.08 東京會舘

今、最もチケットの取りにくい噺家と言えば、志の輔の名が挙がるのだろう。どこも即日完売の勢いは、落語という芸能がこんなにもみんなに愛されるものだったのか、ということを再認識させてくれる。油の乗り切った話術で会場を爆笑に巻き込むのはいつものことだが、最近は、聴衆の方にも「今日は笑うぞ!」という期待感が満ち溢れているのを感じる。ここまで来てしまうと、噺家はさぞやりにくかろうと思うのだが、こちらの余計な推量はどこ吹く風で、今の話題を盛り込んで観客を一瞬にして志の輔ワールドに引き込んでしまう。

この日は、東京會舘での「独演会」とは言うものの、前に色物を含めて三人が上がったから、長講一席で見事に決めるだろう、と思って聴いていた。枕でさんざん笑わせておいて、すーっと入って言った噺を聴いて驚いた。人情噺の「江戸の夢」だった。思わず、「あっ」と声を挙げそうなるほど驚いた。

これは、厳密に言えば、「古典」ではない。(などと書くと、師匠の立川談志が『古典の定義とは何だ!』と食ってかかって来るような気がするが…)昭和の黙阿弥と呼ばれた劇作家の宇野信夫が、六代目三遊亭圓生のために書いた人情噺である。普通に聴いているだけでは、明治時代にできた噺だと言われても何の違和感もない。それは、作者が歌舞伎の劇作を主にしていたからだろう。しかし、私は志の輔で「江戸の夢」を聴くとは思わなかった。圓生没後、もう演り手のない噺の一つだろう、と思っていたからだ。以前、同じようなケースで「帯久」を聴いたが、この「江戸の夢」も、噺としては良く出来ているものの、芝居で言えばあまり「しどころがない」。大見得を切って見せることもなければ、思い切り泣かせるでもない。しんしんと人の情は伝わるのだが、その先の爆発がない。良く言えば、淡々とした人情噺だ。

志の輔の落語における才能はいろいろあり、それだけでも大論文になるかも知れない。その中で、こうした噺のように、評価は悪くはないが演じ手もあまり手を出したがらないものを近代化する才能は特筆すべきものがある。「江戸の夢」も、圓生のそれに比べてかなり登場人物の考え方が近代化している。今の人にわかりにくいところは大胆にカットする代わりに、わざとらしい説明にならないように入れごとをうまく挟みながら、周りの情景や人間関係を炙り出してゆく。登場人物が増えることによって、話に膨らみが出て来るのだ。この噺で言えば、「豆茶」を呑む場面は老夫婦の団欒を描いてはいるが、今の人には説明なしでは豆茶がわからないので、カット。その代わりに、夫婦が江戸へ出かける理由が、オリジナルの「ただ何となく…」ではなく、兄の還暦の祝いという目的がはっきりし、そこに必然性と説得力が出ている。随所にこうした作業を施すことによって、我々にこの噺がより身近なものになる。この辺りは、もう完全に志の輔流のアレンジだ。ここで、圓生流が良いか、志の輔流が良いのか、というのはまったくもって無意味な議論で、よって立つ場所が違っているものを比べても意味はない。乱暴を承知で比較をすれば、衣裳を着けない名人の素踊りと、衣裳を着けた手練れの歌舞伎役者の踊りとの違いだ。「芸のたち」が違うのである。

これは「落語とは何か」「どうするべきか」を常に考え続け、実践し、格闘してきた師匠・談志の薫陶だろう。誤解を怖れずに言えば、圓生が演じたように、何となくそれらしく演じることは、実力のある噺家であれば可能だ。もちろん、それが圓生の技量とイコールという意味ではなく、あくまでも「それらしく」という点のみにおいて、である。しかし、志の輔の中にある落語への炎は、先人の姿をなぞることだけで満足して消えるものではない。あらゆる角度から眺め、ためつすがめつした挙句、どこに「現代」を持ち込めるかを、常々考えていなくてはできない仕事で、これは苦しい作業だ。「古い革袋に新しい酒を」と言うのは簡単だが、現代の視点で落語を捉え、いかにわかりやすく面白く聴かせるか。その苦労は並大抵のものではない。年に三日ぐらいしか高座がないのであれば考える時間はじっくりあるだろうが、ほぼ毎日のように独演会を開いているほどの売れっ子が、忙しい合間を縫って、「これでどうだ」「これでもか」と格闘をしている。数年前に、私は新聞に「志の輔は落語と心中をするつもりであろう」と書いたが、その姿勢は今も何ら変わっていない。

今の落語ブームの中で、これほどの覚悟を持った噺家が何人いるのだろうか。もっと言えば、一瞬で消えてしまう「芸」に携わる人々が、どれほどの覚悟を持って臨んでいるのだろうか。そんなことを考えていると、この噺家がどこまで発展してゆくのか、今までの落語の既成概念をどこまでぶち壊してくれるのか、それが楽しみになった。にわか仕立ての「迷人」たちにも、ぜひ見習ってほしい姿だ。

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2010. 6.26掲載

峯の雪 2010.06 紀伊国屋サザンシアター

劇団民藝には所縁の深い劇作家・三好十郎の作品である。三好十郎と言えば「炎の人」を思い浮かべる人も多いだろうが、戦中に、「国威発揚」のために何本かの芝居を書いている。その折の作家の胸中に想いを馳せると、それは「良い」とか「悪い」などとすぱりと割り切れるものではなかっただろう。この「峯の雪」は昭和十九年に書かれたもので、舞台となっているのは昭和十六年の太平洋戦争前の九州である。長らく未発表で、今回の上演が本格的な意味での初演に当たる。この芝居を今、世に問うことは多くの三好作品に触れて来た民藝ならではの意味を持っているだろう。

名人と呼ばれた陶工でありながら、軍の要請で碍子(電信柱の絶縁器具)を造らされている花巻治平と、その娘や弟子、出入りの画商など、周囲の人々の間にある日常生活。その中に感じられる人々の思惑などが、十人の登場人物によって描かれる。「時代」というものに踏みにじられる職人の「誇り」が、やがてどういう形になるのか。珍しく、休憩をはさまずに一気に約二時間の舞台を演じるが、緊張感が途切れないために長くは感じない。

三好十郎の科白は重い。いささか抽象的な表現ではあるが、一言の科白に込められた「情念」の深さとでも言おうか。それが幕開きから地を這うように漂ってくる。舞台が明るいとか暗いという問題ではなく、科白が持っている質感としての「重み」である。これが感じられた時点で、今回の舞台は一定の評価を得た、と私は感じた。科白の重み、重要性というものをきちんと踏まえ、忠実に描こうとしている姿勢が感じられたからである。

陶工の治平を演じる内藤安彦の声質がこの役にぴたりとはまっており、名工の一刻さが良く現われている。口調は物静かでも頑として揺るがない精神性、とでも言おうか。画商の伊藤孝雄の持つ「いい加減なうしろめたさ」を持つ明るさと好対照だ。こういう配役が自然に出来るところが劇団の強みだ。先日、北林谷栄という大功労者を喪ったばかりだが、劇団の精神がいろいろな人々に脈々と受け継がれていることの証だろう。

治平の長女を演じる中地美佐子が最近目覚ましい力を付けて来たのも嬉しいが、神敏将、塩田泰久らの若い男優陣が出て来たのも良いことだ。これからの民藝の芝居に、新しい風を吹き込むメンバーが増えてゆくのは頼もしいことである。戦後六十五年を間もなく迎える今、戦争を知らない世代が圧倒的に多い。かく言う私もその一人だ。しかし、知らない世代なりの理解の仕方や感じ方もあるはずで、若い役者たちが先輩の話に触れながら、自分なりの感覚を磨いてゆくには良い勉強の素材でもある。

幕切れ、治平が再び「陶工」として長らく放置していた轆轤を回す決心をする。そこで一心に轆轤に向かう姿に、私は岡本綺堂の「修禅寺物語」の夜叉王の姿を観た、と言えばそれは誤解だろうか。三好十郎が夜叉王の姿を意識してこの幕切れを書いたかどうかは知らない。しかし、面作りと陶工の違いはあれ、一つの作品を自らの肉体で生み出そうとする「職人」のありようは、どこかで通底するところがあるように思えてならない。

長い歳月を閲して光を浴びた一つの芝居が、今後どのような形を取ってゆくのか。そこにも興味がある芝居だ。

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2010. 6.21掲載

モリー先生との火曜日 2010.06 本多劇場

「先生」と呼ばれる職業の人だけではなく、我々の人生で「師」と仰げる人に出会えるのは幸福な瞬間だ。どんな分野にせよ、教えを乞う人がいるのは幸せだが、年齢を重ねると共に、そうした師も少なくなる。今回、加藤健一事務所が三十周年記念公演の最後に取り上げたのは、加藤健一と高橋和也の二人芝居、「モリー先生との火曜日」。大学の老教授と教え子のスポーツライターが、筋萎縮性側索硬化症(ALS)で余命いくばくもない教授に最後の授業を受けるために毎週火曜日に1000キロ離れた場所から飛行機で飛んで来る。その二人の会話を綴った、事実に基づいた芝居である。

多くの人々がそうだと思うが、学生時代は勉強をすることなど考えることはない。いかに楽しく遊び、恋をし、趣味を楽しみ、そのために要領よく出席や試験を効率化して潜り抜けるか。しかし、そうした学生たちも社会へ出て、つかの間の学生時代のエピソードを想い出すことはあるが、そこには「あの時にもう少し真面目に勉強しておけば…」などという言葉がセットになっていることが多い。高橋和也演じる売れっ子スポーツライターのミッチも、さしずめその口だろう。一方、思わぬ難病に倒れ、自分の季節が秋を過ぎ、いきなり冬も終わりに差し掛かったことを知る加藤健一のモリー先生。自分に残された時間は僅かしかない。

ミッチが見舞いに訪れた当初は、二人の会話は噛み合わない部分が多い。今が自分の人生の盛りだと信じている自信に溢れた四十代と、死の瀬戸際にいる七十代が十六年ぶりに会ったのでは噛み合うはずもない。モリーの現況を知ったミッチが忙しい時間をやり繰りして、学生時代のように「毎週火曜日」の授業を重ねるうちに、モリー先生の思慮深さから出る警告や金言に、ミッチはハッと胸を突かれるようになる。「老いとの戦いに、勝ちはないんだからね」「人を愛することに意味などもうけてはいけない」など、聞いていて随所に人生の名言が出て来る。それが、決して悟りすましたものではなく、従容として「死」を受け入れた潔さを持ったモリー教授の飾らない想いなのである。だからこそ、そこに重みがある。

自信満々のミッチも、客席にいる我々も、明日は今日の続きだと何の根拠もなく考え、信じている。しかし、モリー先生には、我々には当然の「明日」はもう来ないかも知れない。それを考えた時、生きることの愛おしさで心が満ち溢れてくるのを感じる。幕間を挟んで約二時間の芝居だが、加藤健一の絶妙な間に時には笑いもこぼれ、「死」をテーマにした芝居とは思えない部分もある。三十年の仕上げにこの芝居を選んだのは、加藤健一の見事な「役者の嗅覚」に他ならないだろう。それに真正面からぶつかる高橋和也が良い出来だ。彼が演じるミッチと等身大の感覚を感じる。この二人は実に良いコンビで、これは時間をかけて、丁寧に何回も演じてもらいたい芝居だ。それぞれの五年後、十年後にこの芝居を観るのは楽しいだろう。客席からは多くの啜り泣きが漏れていたが、それは、観客の心の中にミッチがおり、身近なところにいる、あるいはかつていたモリー先生を想い出しての涙だろう。同時に、ミッチは、「売れている」「忙しい」という、一見充実したように見える日常のどこかに心が疲れている。それが、死を目前にしたモリー先生に癒されているのである。その同じ想いを、観客が感じているからに他ならない。誰にでも平等に訪れる死にどう対峙するか、高齢化社会が云々される中で考えさせられる芝居だが、この芝居は老境に差し掛かった人だけではなく、ミッチのような現役バリバリの世代に観てもらいたい芝居だ。 心より再演を望む。

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2010. 6.11掲載

キャンディード 2010.06 帝国劇場

「人生なんて何とかなるもんだ」、いや、「人生はままならぬことが多いものだ」。片方を「楽天主義」と呼び、もう一方を「悲観主義」と呼ぶ。どちらの考えも正しいだろう。我々の一生は、その間を行ったり来たりしている。「どっちもあるのが人生さ」というのが、この「キャンディード」の粗筋を非常に乱暴に紹介したものだ。休憩をはさんで三時間半に及ぶ舞台、しかも18世紀の作家・哲学者であるヴォルテールの「カンディード」に、20世紀の音楽家、レナード・バーンスタインがその死の直前までミュージカルの曲を推敲していたほどの難物である。それにしてはいい加減な粗筋の紹介だが、逆に言えば、我々の日常に余りにも身近な問題であるからこそ、答えが出ない。そこに深みと面白みがあるのだ。

もっとも、この「キャンディード」という作品は、演劇界の中でも「難しい作品」と言う評価がある。哲学的な示唆に富んだ作品に楽曲をどう組み合わせるか、でいくつかの演出バージョンがあり、今回帝国劇場で上演されているのは、「レ・ミゼラブル」や「ベガーズ・オペラ」でお馴染みのジョン・ケアードによるもので、「ジョン・ケアード版 キャンディード」となっているほどだ。シェイクスピアの作品にいろいろな演出方法があるのと同じような感覚に近いとも言えるが、膨大な作品のどの場面を舞台に乗せ、バーンスタインのどの楽曲をどこへ当てはめるか、という作業である。原作がある作品を舞台化する場合、日本に「潤色」「脚色」という言葉があるが、それに近い感覚も持っている。

井上芳雄が演じる主人公のキャンディードが、世界各地を回りながら多くの人に会い、その中で自分を見つめ、考える。一見すると「トム・ソーヤーの冒険」のようだが、そこには常に市村正親が演じる家庭教師・バングロス博士の「楽天主義」と、村井国夫が演じるマーティンの「悲観主義」が付いて回る。単なる冒険活劇ではなく、主人公の行動の裏に、常に「哲学」や「人生観」が見え隠れし、その中でキャンディードが最後に自分を発見する、という芝居なのだ。この芝居が「難解だ」とされる理由の一つは、「入れ子構造」にある。市村正親は、二役で、作者自身のヴォルテールを狂言回しのような意味合いで演じているが、このドラマそのものが、すべてヴォルテールの頭の中にある物語で、それが舞台の上で演じられている。今風に言えば、舞台の上のドラマは、すべてヴォルテールの頭の中にある「ヴァーチャル」な存在とも言えるのだ。

多くの登場人物が何役かを兼ねて演じているが、今回の舞台で最も光っていたのは、阿知波悟美が演じた老女である。喜劇の老舗・NLTで培った笑いのセンスがあざとくなく、舞台全体の雰囲気を和らげる効果を見せている。こういう役者はなかなかに得がたい存在であり、今回の舞台では殊勲賞ものだ。市村正親の巧さについては、今更改めて論評する必要もないだろうが、相変わらず観客をぐいと引き込む力は凄いものを持っている。若手では、キャンディードを演じた井上芳雄、クネゴンデの新妻聖子、マキシミリアンの坂元健児の三人が目だった芝居を見せるが、坂元健児の持ち味とも言えるおかしみが役にはまり、この舞台では生きた。

東宝がこうしたミュージカル作品に意欲的な姿勢を見せるのは、多くの作品で示し、定着した。しかし、この芝居について言えば、今回の舞台に大きな不足があるというわけではなく、完成に向かう時間が他の芝居よりも時間がかかる作品だと言えよう。これから数を重ねて、試行錯誤を繰り返しながら、日本における「キャンディード」の一つのモデルケースを作り上げるまでにはある程度の時間がかかるだろう。ただ、この作品にはそれだけの奥行きと深さがある。一度や二度ですべてを理解することが不可能な面白さ。三度目で気付く発見。それも芝居の魅力の一つである。「レ・ミゼラブル」がそうやって日本で長い歴史を歩んでいるように、この作品も回を重ねてそうした作品になる可能性を充分持っているはずだ。

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2010. 5.21掲載

前進座公演「切られお富」 2010.05 国立劇場

来年で創立八十年を迎える前進座恒例の五月国立劇場公演である。しかし、今年は例年とはいささか趣を異にしている。まず、十四年前に急逝した先代嵐芳三郎の次男・嵐広也がこの公演で七代目嵐芳三郎を襲名すること、またその兄である河原崎国太郎が初役で祖父・五世国太郎の当たり役「切られお富」を上演することだ。「切られお富」の上演は実に二十五年ぶりのことになるが、その時間の長さよりも、いよいよ前進座の第三世代の人々が、劇団を背負って立つ時代になった、ということだ。そういう意味で、喜ばしい要素がたくさんつまった公演である。

まず、「七代目嵐芳三郎襲名披露口上」。劇団の長老・中村梅之助を中心に、藤川矢之輔、嵐圭史、嵐芳三郎、河原崎国太郎の五人が並ぶ。劇団ならではの家族的ムードが漂う「口上」はほのぼのとしているが、口上を述べている新・嵐芳三郎はもうすでに口調が違う。父の名を襲う、ということで覚悟を固めたのだろう。女形・立役に味を見せた父とは違い、立派な顔立ちと体格を活かした嵐芳三郎の誕生を、喜びたい。

「切られお富」。私は初演を見逃しているので昭和五十五年の再演からしか観ていないが、それから三十年経った今も、先代国太郎のお富は鮮烈に脳裏に焼き付いている。その孫である現・国太郎がどこまで彼なりのお富を演じることができるのか。結論から言えば、予想よりはかなり良い出来であった。ふとした科白の言い回しや立ち居振る舞いが祖父にそっくりだ。もちろん、初演のことであり、問題がないわけではない。声がいささか高すぎるのは以前から気になっていたことだが、これが地声の女形の声でおさまれば、グンと深みが出るだろう。しかし、藤川矢之輔の蝙蝠安を相手に、年増の崩れた色気が横溢していた点は買える。

嵐芳三郎が相手役の与三郎を演じる。きりりとした白塗りの男前で、科白が粒立つのが良い。先代は柔らかみを前面に出していたように思うが、今の芳三郎のやり方も決して悪くはない。お家の重宝の刀のために奔走する、凛とした男の姿が清々しい。お富との釣り合いも良く、襲名披露にはふさわしい役だ。

この二人を支える藤川矢之輔の安蔵、嵐圭史の舟穂幸十郎、中村梅之助の赤間源左衛門。この三人がいいバランスで国太郎・芳三郎コンビの芝居が立つようにしている。この辺りが、劇団の持つ良い部分だろう。この芝居、以前は国立小劇場での上演だった。今回は、襲名興行とは言え、それが大劇場で上演できるということは、前進座で歌舞伎を演じたいと思う若い役者が増えたことでもあり、喜ばしい。その一方で、若い端役の面々は、まだ「歌舞伎の科白」になっていない人がいる。眼を閉じて科白を聞いていると、平成の言葉に聞こえてしまう。こういう若いメンバーを前進座の立派な役者に育てることも、国太郎・芳三郎・矢之輔ら第三世代の大きな仕事の一つである。

演出家の言葉に、「現代人が観ても楽しめるドラマチックな歌舞伎に出来るはず」とあった。それは大賛成で、演劇とは時代と共に変容を繰り返すものだ。古典芸能の歌舞伎とてその例には漏れない。昔からのものをすべてそのまま演じているだけでは、現代人の感覚とはどんどん乖離していく。その距離をどういう方法で埋めるかが、演出家の大事な仕事になる。歌舞伎には新作などの例外を除けば、原則として「演出」はいない。その幕の主役が演出家を兼ねるという旧来の慣例が今も生きているからだ。私は、それが必ずしも正しいありようとは思えず、客観的な眼で歌舞伎を演出する必要があると思う。この芝居について言えば、河竹黙阿弥の時代と現代とのすき間をどういう形で埋め、今の観客が楽しめる芝居を作るか、ということだろう。江戸時代そのままでは今は通用しない言葉をどう解釈するのか。あるいは、科白の発音やイントネーションをどうするのか。そうしたことどもを含めて、考えなくてはならない問題は多い。四百年以上生きながらえている歌舞伎を現代人の眼で演出するというのはそう簡単な仕事ではないが、歌舞伎に眼が注がれている今がチャンスの一つであることは言うまでもないだろう。

また、歌舞伎で扱っている時代の「風情」や「匂い」を舞台に漂わせることも重要だ。今回の舞台で言えば、普通は「とば」と発音する「賭場」を「どば」と言っていたことや、「どじを踏む」が慣例になっているのを「どじを組む」と言っていたことなどに、私はその香りを感じた。これらは、「切られお富」を当たり役にした先代の国太郎が「大切にしなければ」と言っていたことであり、私も直接に聞いている。一見、どうでもいいように思える話題だが、どんなに立派な城でも、石垣の小さな石が一ポロリと落ちていることを見過ごしている間に、そこから石垣が徐々に崩れ、やがては城の本丸に及ぶこともある。そうした、大切にするべきものとの見極めなどもこれからは重要な課題だろう。

かつて、劇団創立五十周年の折に皆が感涙にむせんで舞台を踏んだ歌舞伎座も、先月改築のため休場した。新築なるまでの三年間、歌舞伎が変わるチャンスである。その間に、前進座ならではの歌舞伎を創る糸口が見つけられるかどうか、これからが重要だ。

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2010. 5.17掲載

冬のライオン 2010.05 

 平幹二朗が主宰する「幹の会」の公演で、シェイクスピアなどを中心に優れた戯曲を取り上げているが、2007年の「オセロー」以来の今回は、「冬のライオン」である。映画化されたこの作品は1183年のクリスマスのフランスが舞台になっている。壮年の王とその三人の息子という、「リア王」のような設定だが、そこで描かれているドラマは、「リア王」に似てはいるが全く異なる家族の愛憎劇である。

 平幹二朗演じるヘンリーと麻実れいの妻・エレノアの夫婦関係は事実上破綻しており、ヘンリーには、若い愛人のアレー・高橋礼恵と共に暮らしている。ヘンリーとエレノアには三人の王子、リチャード(三浦浩一)、ジェフリー(廣田高志)、ジョン(小林十市)がおり、ヘンリーは後継者を誰に指名するのか。そこへ、アレーの異母兄弟で失った領土を取り戻そうと機会を窺うフィリップ(城全能成)。ヘンリーは末っ子のジョンを愛し、エレノアは長男のリチャードを愛している。さまざまな人の思惑が入り乱れる中で、ヘンリーはクリスマスの夜に何を決断するのか…。確かに、こうして粗筋を書いていると、「リア王」に酷似している部分がある。それは登場人物の構成で、芝居の内容はまったく違っている。リアは荒野をさまよい荒れ狂い、哀しみのどん底を彷徨する。しかし、ヘンリーが悩み苦しむのは自分の城の中、つまり「家庭」である。壮大な歴史的事実やエピソードに基づくドラマは、裏を返せば約1000年ほど前の家庭劇でもあるのだ。 

 効率的に造られた装置の中、和風とも感じられる衣装をまとって七人の登場人物がテンポの速きい芝居を繰り広げる。やはり、平と麻実の科白の朗誦術は見事なもので、他を圧倒した出来映えだ。地位にふさわしい威厳を持つ一方で、狡猾に愛を囁き合う。いわゆる科白の「活け殺し」が自在とも言える二人のやり取りは、この重い芝居の中で観客に笑いを与える。こういう場面では、ある夫婦の諧謔と皮肉に満ちたやり取りで、ぐっと人物像が我々に近づいて来る。その一方では、掴み合いになるのではと思わせるほどの丁々発止としたやり取りで、芝居の密度をグングンと高めてゆくシーンもある。平幹二朗の存在感とそのエネルギッシュな演技、麻実れいの、時には受けに回りながらも平に拮抗した鋭さ。このコンビが見せる迫力はたいしたものだ。きちんと描かれた脚本、丁寧な演出によるものだろう。

 三浦浩一のリチャードは毅然とした姿、立ち居振る舞いが役に若々しさを与えている。ベテランの領域の役者だが、厭らしさを感じさせない清涼感がある。これは、この人持ち前の魅力だろう。廣田高志のジェフリーはシニカルな役柄を、声の質と科白の間で活かした。何を考えているのかつかみどころのない役を、あざとくなる寸前で止めているのだろうか、逆に人物像がはっきり際立った。小林十市のジョン、16歳という設定だが、、科白の切れ目にきちんとしたメリハリを付けることで少年らしさが出た。動きに切れがあるのもそれに役だっているだろう。それが役に自然な若さを与えている。高橋礼恵には透明感がある一方で、そこに見え隠れする「女性」が面白い。城全能成のフィリップは心情的に複雑なものを抱えた難しい役だが、凛々しい若き王子の姿とその苦悩を良く表現したと言えよう。フィリップだけが一幕しか出演しないが、その分の見せ場である一幕の最後の芝居は役に対する工夫が感じられる。

 この「冬のライオン」、述べて来たように非常に水準の高い舞台になった。今年の1月15日の東京公演で幕を開け、その後、中部・北陸・九州・東北と巡演を重ね、最後は6月19日に千葉県で千秋楽を迎えるという実に半年がかりの公演なのだ。全部で112ステージ、同じ劇場での公演であればさして苦にもならないかも知れないが、南は鹿児島から北は青森まで、旅を重ねながらの公演である。こうした公演を他にも何回か観て来たが、旅に出るとぐんと結束力が上がり、舞台の質も上がる。同じ会場で二日以上の公演を持つこともあれば、三日間続けて違う会場での公演もある。この緊張感が、スタッフを含めた一座のまとまりを固くし、芝居の内容に反映されるのだろう。東京にいれば芝居を観ることは本人にその気さえあればさほど難しいことではないほどにあちこちで上演されている。しかし、そうではない地方は多く、そこを回ってこうした良質の舞台を見せることの意義は大きい。

壮健ではあるものの、人間としての季節はもう冬に差し掛かった王者であるヘンリー。「冬のライオン」がさまようのはやはり荒野ではなく、冷たい空気しかない家庭がふさわしいのだろうか。詰まるところ、いくらいがみ合い、憎しみ合っても家族であり、その絆や愛情を逃れることはできない。1000年近く前の家庭も今も、たいして変わりはないのだ。平幹二朗のヘンリーの最後の科白に、その想いを感じた。

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2010. 4.09掲載

滝沢歌舞伎 2010.04 日生劇場

 この舞台を観終わって、はたと考えた。何十年も芝居を観ていながら、基本的な問題に対する疑問である。我々は、無意識のうちに「歌舞伎とは日本に伝わる古典芸能である」というイメージを持っている。その一方で、「こういう条件を満たしていなければ、歌舞伎とは言えない」という絶対条件はない。今ここで歌舞伎の歴史を説くつもりはない。いわゆる松竹の歌舞伎を見慣れた「通」や「歌舞伎ファン」の眼からすれば、「これが歌舞伎?」という疑問や不満はあるだろう。しかし、ここ数十年を振り返っても、いろいろな形態の「歌舞伎」が松竹の歌舞伎役者以外によって上演されている。東宝の長谷川一夫の「長谷川歌舞伎」、舞踊家の吾妻徳穂の「アヅマ歌舞伎」、武智鉄二の演出による「武智歌舞伎」。これは、松竹の役者が演じたものだが、武智鉄二という演出家が新たな感覚で演出し直したものだ。いずれにせよ、松竹の歌舞伎以外の「歌舞伎」というものが演じられて来た例はあるのだ。

 歌舞伎の定義は「傾く=かぶく」、時代の先端を行くアヴァンギャルドな感覚の演劇というのが、演劇史での通例の解釈である。その意味で言えば、「滝沢歌舞伎」も立派な歌舞伎である。古典の要素である邦楽を使い、カットが施されてはいるが「京鹿子娘道成寺」や「櫓のお七」や「将門」などの歌舞伎演目も演じる。そうした要素を残す一方で、ダンスあり、和太鼓あり、群舞あり、もちろんフライングもある。新橋演舞場から日生劇場へと所を変え、今年が五年目になる公演で、「歌舞伎」と名乗ったのは今年が最初だが、同種の公演を続けてもう200回になる。

 いわゆる「歌舞伎通」の眼からすれば、眉をひそめて「これは歌舞伎ではない」という場面もあろうが、言うまでもなく、演劇とは常に時代と共に流動している。2010年の「歌舞伎」と称する芝居の一つがこの舞台であることを、否定する材料はない。まして、演劇のジャンルのボーダーレス化が異常な勢いで進んでいる現在、一つのフレームの中で納まることにそう重要な意味がなくなって来た。ファンサービスの一環として、舞台の上で滝沢秀明が女形の化粧をする場面を見せる。体格的には、古典歌舞伎の女形として育って来たわけではないから、そこに違和感がないと言えば嘘になる。しかし、ほとんど出づっぱりでおしみなく肉体を駆使し、スピーディな立ち回りやアクションを見せ、エンタテインメントとしての要素は山盛りで、観客は大いに喜んでいる。

 多少固い話をすれば、歌舞伎界の中でも「時代に合わせた歌舞伎とは何か」という試行錯誤を、いろいろな役者が試みている。現代の作家と組んで新作を上演したり、過去の作品の演出方法を全く変えたり、時代と観客のニーズを見出すことに懸命だ。その行為は評価できる。今回の「滝沢歌舞伎」の中で評価できるのは、歌舞伎役者ではない滝沢秀明が、「歌舞伎」というジャンルのフレームの外側から、彼なりの歌舞伎を創ろうとしていることだろう。これは、ある意味では「コロンブスの卵」とも言える行為である。「歌舞伎役者以外は歌舞伎を演じてはいけない」というルールはない。歌舞伎のフレームの中にいれば、良くも悪くも連綿と続く先人からの習慣を全く無視した形での上演はそう簡単ではない。しかし、フレームの外にいれば、その部分に関する遠慮はなく、全く新しい発想で「歌舞伎とは何か」を考えることのできる強みがある。今回の舞台は、滝沢秀明が「観て」「感じて」「見せたい」感覚的な歌舞伎なのである。そこに、歌舞伎的な視野での演技の巧拙を持ち込んでも比較の対象にはならず、あまり意味はないだろう。

 今まで私が述べてきたことは、実は劇場を満員にしているファンにはあまり重要な問題ではないのかも知れない。歌舞伎の骨法や仕組みがどういうものであろうと、目の前で、滝沢秀明があらゆる努力をして観客の喜びを生み出す、そこに意味があるのだ。そうした観点で言えば、今まで我々が持っていた歌舞伎に対する既成概念を破る一つの試みとしての意義はある。折から、今月で東銀座の歌舞伎座が改築のために閉場する。ある意味では演劇界は戦乱の時代を迎えている。その中で、一つの方法を提示した意味は大きい。

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2010. 3.24掲載

エクウス 2010.03 自由劇場

 初演が1975年だというから、もう35年前になる。私がこの芝居を最初に観たのは再演の1990年の舞台だったが、その時の鮮烈な印象は今も忘れない。ラテン語で「馬」を意味するこの芝居、「ブラック・コメディ」や「アマデウス」などの名作を送り出しているピーター・シーファーの手による作品である。六頭の馬の目をアイスピックで突き、精神病院に送られた少年・アラン。異常とも言える行動の動機はどこにあり、なぜそのような行為を冒したのか。アランの精神世界に隠されているものを暴き出そうとする精神科医・ダイサート。白日のもとにさらされた事実は…。私はこの芝居を何度も繰り返し観て来たが、常に非常な緊迫感を伴った芝居である。舞台の上にも観客席が作られ、主に繰り返されるアランとダイサートの会話は、観客に全方位から見られている。今でこそ珍しくもない演出法になったが、最初にこの舞台を観た時にはとても新鮮に感じたものだ。そうしたことを含めた演出方法は大きく変わってはいないが、もう一つ、この舞台で欠かせないのは、照明技術の巧みさだろう。良くも悪くも、あまり通常の舞台で批評が照明に及ぶことはない。舞台照明が軽視されている認識を改めなくてはならないが、この芝居に関して言えば、照明は俳優と同等とも言えるほどの重さを持っている。人物の出入りやスポットだけではなく、微妙な灯りの切り替えは登場人物の心情を現わし、見事な効果を挙げている。

 精神科医のダイサートは初演以来、35年間日下武史が演じている。今年79歳になるという日下だが、見事なエロキューションを駆使してアランと対峙し、時にはギリギリまで追い詰め、いたわり、と緩急自在の科白は改めてこの役者の巧さを感じさせる。休憩を一回挟んで二時間半の芝居の中で、極度の緊張感を保ちながら芝居を演じるのは並大抵の技ではない。劇団四季の創立メンバーの一人でもある彼が、四季の旗艦の一つであるストレート・プレイで健在ぶりを示しているのは嬉しいことだ。アランは藤原大輔。28歳になるというが、少年らしさを遺した役者だ。前半にはもう少し華奢な少年の部分がほしいと思ったが、芝居が進むに連れて気にならなくなった。

 精神科医と少年の対話、という劇は今の時代では珍しくも何ともないだろう。しかし、35年前に書かれた当初はかなり刺激的だったはずである。しかも、芝居が進むに従い、アランの行為の真相を読み取ることで、ダイサート自身にも一つの問題が突きつけられる。二人は合わせ鏡のように、お互いの心理を読み取り、その裏をかこうとし、暴いてゆくのだ。ここに提示される問題は、35年経った今でも全く古びることなく、現代を生きる我々にも当てはまる。それが、35年にわたって上演されている大きな理由である。時代の最先端を行くものは古びてゆくのも早い。しかし、人間の精神に宿る考え方は、50年や100年では変わらない部分も多々ある。作者はそれを執拗なまでに炙り出し、観客に対しても「あなたはどうなんですか」と切れ味鋭く突き付ける。アランとダイサートが抱えている精神的な問題は、同時に観客自身のものでもあるのだ。もちろん、全く同じ悩みを抱えているわけではない。しかし、人の悩みに耳を傾け、治す立場の精神科医とて人生に何の憂いもないわけではない。病人を治した結果、そこに残るものは何なのか。一体、「正常」とは何なのか。基準が多様化し、細分化する今、我々にとっての「正常」と「異常」にもはや境目はないのだ。

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2010. 3.20掲載

いい加減にしてみました3 2010.03 本多劇場

 世を挙げてのお笑いブームである。玉石混交であることは言うまでもないが、「本物の芸」を目の当たりにした時に、「笑い」というものの難しさ、そして巧みな芸の面白さを改めて感じる。13年前に伊東四朗と三宅裕司が始めたコントライブ「いい加減にしてみました」。二回目は小倉久寛が加わり、三回目の今回は沢口靖子がゲストとして参加している。コントを見せ、舞台を回して楽屋の場面で着替えながらしゃべる、というパターンは二回目の舞台を踏襲しているが、ノンストップで二時間を超える舞台、三人とも出ずっぱりである。本科白だかアドリブだか分からないほどに稽古を重ね、その上で出てくる舞台の味わいは、伊東四朗が「てんぷくトリオ」で人気を博するよりも遥か以前、浅草の軽演劇での修行時代から培った芸の血筋を、三宅裕司が見事に受ける、この絶妙のコンビによって醸し出されるものだ。

 13年前の「いい加減にしてみました」の時のネタに沢口靖子が加わり、さらにバージョンアップしたものなどもあり、大いに楽しませる。とても、「いい加減」なことでは出来ない舞台である。こうしたものに飛び込んで来た沢口靖子の女優としての度胸も買えるが、笑いの世界では二人には到底太刀打ちできない。ある意味では、伊東四朗と三宅裕司のコンビ(別にコンビとして活動をしているわけではないが)ぶりが余りに見事で、そこに入るすき間がないとも言える。そういう点で見れば、このシリーズは完成している。

 評判が評判を呼び、チケットの取りにくい舞台として知られるこの公演、観客は役者の顔を観ただけで爆発的に笑い、拍手が起きる。殺伐とした時代の中で、いかに観客が「良質の」笑いに飢えているかが良く分かる。テレビの前ではこうは行かないだろう。ここが、コントライブの面白さと、鍛えた芸の凄みなのである。

 舞台を観ていると、「笑わせようとして起きる笑い」と「自然発生的に起きる笑い」があるのが良く分かる。もちろん、自然発生的な笑いにも用意周到な仕掛けが施されてはいるのだが、それがそう見えずに、観客がつい笑ってしまう。伊東四朗は72歳だと言うが、出ずっぱりの舞台に衰えを見せず、観客を沸かせている。厳密に言えば、13年の間に肉体は衰えているだろう。しかし、それもカバーした上で笑いに転化させ、観客を満足させてしまうところに、ベテランゆえの「芸」がある。役者の抽斗とはこういうものを言うのだ。多くの仕事を共にして来て、伊東四朗にとっては現段階では最高の相手とも言える三宅裕司でも、この部分はかなわないところだ。とは言え、三宅裕司も伊東四朗との間合いの取り方は抜群で、たとえ大先輩であれ舞台の上では容赦はしないで突っ込む場面は突っ込む。観客を笑わせるために芸の火花が散る、とでも言おうか。それが、あざとくならないから観客が喜ぶのだ。もう一つ言えば、この二人は笑いの感性が非常に似ている。

 今回のゲスト、沢口靖子について言えば、「コント」という側面から見ればまだまだ課題は多い。しかし、天然にも見える素材が、こうした舞台にも向いているのだということを発見できた、という意味では良い勉強になっただろうし、初参加の割には貢献している。ラーメン屋の妻の怪しさなどは、意外とも思えるほどの出来を見せた。

 かつて人気を博した「軽演劇」というもの自体が姿を消し、「喜劇役者」という言葉も死語に近い時代になった。観客を笑わせるのに、呼び方はどうでもいいようなものだが、伊東四朗の芝居を観ていると、明らかに喜劇役者、なのである。間の取り方に始まって、科白の調子、結末が分かってしまうのに面白く見せる技、どれもが昭和の匂いのする笑いだ。最近のテレビのお笑いでは、ともすると何を言っているのか分からないほどの早口でまくし立てているケースが多々あるが、堂々とした東京弁で「日々」を「しび」と発音する伊東四朗の姿に、「喜劇役者」としての誇りを感じた。大阪には大阪の笑いがあるように、東京には東京の笑いがあり、間がある。その正統派とも言える舞台が、このシリーズなのだ。

 今回の舞台には、三宅裕司が主宰している劇団「スーパー・エキセントリック・シアター」の劇団員が六人「お手伝い」の形で参加している。ここに、三宅裕司の伊東四朗に対する尊敬と愛情を感じた。この三宅裕司の温かな気持ちは、嬉しい。

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2010. 3.11掲載

「海賊」 2010.02 オーチャードホール

 熊川哲也のステージを観るのは何年ぶりになるだろうか。他の舞台は観ているが、この「海賊」は初めてであり、2007年にこの舞台で怪我をし、代役を立てたという経験もあり、前回の舞台との比較はできない。ただ、観たままを言えば、数年前には彼のニジンスキーにも例えられた跳躍力は明らかに落ちている。それは、足の故障からの復活や、38歳という年齢の問題もあろう。逆に言えば、そうした故障を経験し、それでもなお今のレベルを保てるのは自分との闘いの果てに得たものだろう。肉体を過酷なまでに駆使するバレエは、その分花の盛りは短い。全盛期は過ぎたとは言え、二幕のスピード感溢れる場面などはたいしたものである。

 この「海賊」という作品は、約150年前に初演されたものである。タイトル通り、海賊の仲間同士の恋ありアドベンチャーありで、いわゆる一般的に「バレエ」という言葉で即座に思い浮かぶ性質の舞台とはいささか趣を異にしている。「眠れる森の美女」や「白鳥の湖」というタイプの作品ではなく、冒険活劇のような内容の作品だ。その故かどうかは知らぬが、バレエの歴史の中では余り陽の当らない場所に置かれていた「不遇」とも言うべき作品である。それを、熊川自身が演出に当たり、「古い革袋に新しい酒を」という試みでもある。舞台芸術のジャンルを問わず、古典と呼ばれる作品はこうした試行錯誤を経て残されてきたものなのだ。

 頭領とも言うべきスチュアード・キャシディ演じるコンラッドと、その右腕となっている熊川哲也のアリ。どちらが主役なのか、は舞台を観ている限り非常に微妙な問題である。熊川哲也というブランドが持っているカリスマ性のゆえだろう、観客の多くは、彼の一挙手一と投足に熱い視線を注いでいる。「K-BALLET COMPANY」の主宰であり、1900人収容のオーチャードホールをあっという間に満席にする力を持った熊川哲也の悩みはここにある。これは彼に限ったことではなく、一座を率いるカリスマには共通している悩みだ。自分のコンディションは自分が一番良くわかる一方で、ファンの熱望には応えてゆかねばならない。そこに、彼の表現者としての葛藤と苦しみがあるのだろう。

 一つ感じたのは、技術的な部分での全盛期は過ぎてはいるものの、いかに自分の踊りを美しく見せるか、観客を魅了するかというテクニック、あるいは表現の手段にはやはり他の人々とは格段の差があることだ。それが、今でも人気の衰えない大きな理由の一つでもあるのだろう。鳴りやまぬカーテンコールに応え、そこで見せた彼の微笑みに感じ取ることができた。100%満足の舞台というのは、真摯な気持ちを持っている舞台人にはなかなか出来ないものだ。しかし、この舞台の彼の微笑みに、会心の感情を感じた。こうして、満員の観客席の心を一瞬にしてつかみ取り、自分の世界に引き込んでしまうことが、彼のもう一つの才能であると言えるのだろう。鍛え上げられた肉体でシャープな踊りを見せることで、観客は大きな満足を得る。当然のことだが、「熊川哲也ありき」のカンパニーの強みでもある。

 緊張感のない舞台には感動もない。そういう意味において、この舞台は非常に緊張感に満ちた舞台であった。科白のないバレエの肉体は、時として雄弁に物事を語るものだ。

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演劇批評"Endless Shock"

2010. 2.18掲載

Endless Shock 2010.02 帝国劇場

 2000年の初演以来、今年で11年目となる。「Show must go on」をテーマに、毎年いろいろな部分を変えながら、一つの芝居が進化をたどっている舞台だ。バックステージ物とも言えるジャンルの芝居で、堂本光一扮する「コウイチ」がショーの世界で多くの困難にぶつかりながら進んで行くという設定は当初から変わっていない。「継続は力なり」というが、31歳になったばかりの若さで、帝国劇場を11年間満員にする力はたいしたものだ。

 今回の舞台を観ていて感じたことが幾つかある。まず、11年間演じていながらスピード感が全く衰えていないこと。いくら若いとは言え、今年について言えば2月、3月、7月と三カ月で合計100ステージを演じることになる。ハードスケジュールの合間を縫っての稽古で、毎年新しい要素を加えながらも舞台のテンポが落ちずにいることは評価して良いだろう。もう一つ感じたのは、堂本光一が去年のステージに比べて格段に逞しさを増したことだ。格闘技などのスポーツ選手のような体格ではないながらも、あの華奢な身体のどこにあんなにエネルギーがあるのだろうと思って今までの舞台を観ていたが、身体が一回り大きくなっているような気がした。具体的にどんなトレーニングを積んで来たのかは知らないが、ハードな舞台をこなすために、努力を重ねた結果であろう。この事実一つを取ってみても、まさに「Show must go on」のために他ならない。

 昨年、ある雑誌に、彼の個性は「愁い」と「翳り」にその真骨頂がある、という内容の記事を書いた。その感覚は今も変わっていないが、今回の舞台を観ていて、ふとある歴史上の人物に似た感覚を覚えた。誰もが知っているが実像は観たことがない、悲劇的な歴史のヒーロー「源義経」である。「義経」は同じジャニーズ事務所の滝沢秀明が演じているが、どちらが良い悪いという比較検討の問題ではない。堂本光一が感じさせるものは大袈裟に言えば、悲劇的な「運命」とも「陰」とも言えるべきものを身にまとっているものの魅力だ。ある場面では、京都の五条橋で弁慶を相手に軽々と立ち回った白皙の美少年の面差しを感じさせる。その一方では、来るべき悲劇の予感をまといながらも果敢に運命に立ち向かう武将としての義経の側面をも見せる。義経の短い生涯の中でもいろいろな顔があるわけで、我々が「伝説」として知っている幾つかの顔、場面が今回の舞台から感じ取れた。悲運の武将と堂本光一の姿を重ね合わせることがどういう意味を持つのか、それが意識的に行われているものなのか無意識に彼が醸し出すものなのかはわからない。ただ、それが変にギラギラと男くさくならない「淡さ」とでも言うべき二面性が、彼の魅力であるのかも知れない。

 さまざまなイリュージョンやフライング、和太鼓の演奏、シェイクスピアの「ハムレット」や「ロミオとジュリエット」の一場面など、観客をいかに多くの方法で楽しませるか、という舞台の創り方は、今までにも何度か書いて来たがショーマン・シップを知りつくしたジャニー喜多川の薫陶によるものだろう。今、景気の悪化と共に演劇界も厳しい状況に置かれている。その中で、劇場にいる数時間、いかに観客を満足させるかという、一番シンプルで重要なところに力点を置いた舞台には、それなりの価値がある。ジャニーズのファンに熱狂的な人々が多いとは言え、「満足」が得られなければ次へはつながらないだろう。そのために努力を惜しまないカンパニーの姿が観客に響き、それが11年続いている原因の一つである。

 先輩に当たる少年隊の植草克秀が劇場のオーナー役で出演し、後輩の屋良朝幸がライバルで出演している。先輩を立てながら同時に後輩を育てて行くという器量は、立派な座長である。「Endless」と銘を打っている以上、まだしばらくはこうした公演形態は続くのだろう。その中でどう次の年へ脱皮を繰り返してゆくのか、そこに興味がある。

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2010. 1.27掲載

「慙紅葉汗顔見勢」 2010.01 新橋演舞場

 昭和五十四年に、市川猿之助がこの芝居を復活した折に、一人で十役を早替わりで演じ、しかも宙乗りまであるというので大きな話題になった。実際に舞台を観て、それまで観ていた日本の伝統芸能の一つの殻を破ったような衝撃を受けたのを今でもはっきり覚えている。残念なことに病に倒れた猿之助が、この十八番を市川海老蔵に譲り、新橋演舞場の花形歌舞伎で、猿之助に負けず劣らずの奮闘を見せている。

 市川海老蔵という役者を観ていて、ここしばらくの間に、大きな変化を遂げたように感じる。歌舞伎の宗家としての市川家の次の世代を担うべき者としての大きな自覚と厳しい覚悟、それが感じられるようになった。このことは他の芝居でも書いたが、それがどんどん顕著になっている。この公演にしても、猿之助一門を束ねる市川右近や中村獅童、それに市川海老蔵というメンバーで、本来であれば「無人芝居」と言われても仕方がない。しかし、観客は大入りで、若いエネルギーが横溢する歌舞伎を楽しんでいる。市川海老蔵という役者が放つカリスマ性に他ならないだろう。

 この芝居は、「伽羅先代萩」のお家騒動を核として、そこに累と与右衛門、土手の道哲など、他の芝居でもお馴染みの役が登場する。海老蔵は立役の人であり、十役の中には政岡や累などの女形が精いっぱい取り組んでも難しい役も多い。そうした役の一つ一つの細かな点を取り上げて行けば、食い足りない部分は確かに多い。その一方で、政岡などは想像していたよりも良い出来であった、という意外性もあった。また、仁木弾正の宙乗りでの引っ込みには迫力が感じられた。若いながらも、久し振りに仁木弾正を演じられる役者が出た、という想いもある。

 演技術、という観点で考えれば、同世代の役者でも海老蔵よりも技巧的に優れた役者は他にもいる。それが全般的ではなくとも、役によっては明らかに差違を感じる役者もいる。しかし、そうしたものを超えてしまう「空気」を、海老蔵が身にまとっていることは否定できない事実でもある。この稿を書きながら、今の団十郎が襲名した時の歌舞伎座のことを想い出している。団十郎も、若い頃からさんざん科白の難を指摘された役者だった。同世代の亡くなった辰之助の歯切れの良さなどと比較されもした。しかし、団十郎襲名披露の折に演じた「助六」で、花道から出て傘を広げた瞬間に、歌舞伎座の空気がぱっと華やぎ、明るくなったような気分になったのを鮮明に覚えている。俗に、「華のある役者」と言うが、団十郎の「助六」にそれを感じた。同様のことが、今の海老蔵にも言えるのだ。科白も決して巧みとは言えないし、まだまだ勉強の余地がある。しかし、身にまとっている「華」は確実に父譲りのもので、もっと言えば、「市川団十郎家」に伝わる空気とも言えるかも知れない。

 彼が、何をきっかけに本気で歌舞伎に取り組もうと考えたのか、私は知らない。しかし、今月の舞台では明らかに彼が「歌舞伎」という巨大なエネルギーを持った芝居と格闘し、闘っている姿があった。それは、この芝居が肉体的、時間的に膨大なエネルギーを必要とするものだから、という意味ではない。彼が、歌舞伎役者として先輩の歌舞伎を引き受け、それにまさに「体当たり」でぶつかっている姿に共感を覚えたのである。それぞれの役の巧拙や性根の捉え方を批評する方法もあるが、この芝居に関して言えば、それはあまり意味をなさない。むしろ、一本の芝居に彼がどういう姿勢で取り組み、それがどこで見て取れるか、の方が重要であろう。そういう意味では、市川海老蔵が歌舞伎に対して大きく踏み出したここしばらくの舞台の中では一つの象徴とも言えるべき舞台であったことは間違いない。今後の歌舞伎を牽引していく世代の役者の一人として、彼がこれからどういう仕事を成して行くのか、そこに興味がある。

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2010. 1.27掲載

やみ夜 2010.01 シアターχ

 聴きなれないタイトルだが、樋口一葉の作品だ。しかし、「たけくらべ」や「にごりえ」、「十三夜」のように、我々が一般教養として抱いている樋口一葉の清楚で可憐な世界を期待して劇場へ出かけると、おそらく度肝を抜かれるだろう。この作品には毒がある。タイトルの「やみ夜」に象徴されるような毒だ。しかし、その毒は「美毒」とも言えるもので、美しい明治の文体で綴られると、白昼の光の中で咲く花のような輝きを見せる。この作品を二十三歳で発表していたことにまず驚かされる。明治の人々がいかに大人であり、情報にまみれた現代を生きる我々がいかに表層的で幼稚なものしか持ち合わせていないかを、突きつけられた想いである。明治時代から見れば、新宿だの渋谷のように二十四時間人通りが絶えず電気の消えない街などは想像もつかず、また、我々から見れば、明治の夜はまさに「やみ夜」であろう。しかし、回りが暗いからこそ、かそけき灯りが美しく見えるのだ、ということを我々は忘れている。この舞台を観て、そんな印象を抱いた。

 ドイツで活躍中の演出家・渡邊和子の熱望により、この作品が上演されたと聴いたが、出演者はわずかに四人。芝居も一時間半に満たない、いわば小品である。しかし、実を言えば登場人物は少なければ少ないほど、上演時間は短いほど難しいものだ。役者も演出家も、逃げ場がないからだ。横山通乃、塩野谷正幸、重田千穂子、三宅右矩と、大ベテランから20代までの四人が演じる世界は、美しくもおどろおどろしい。零落して逼塞している美しい女性・お蘭と、彼女に仕える佐助、おそよ。そこに直次郎という青年が交通事故に遭い、助けられて運び込まれて来る。お蘭の屋敷にいついた直次郎はその気高き美貌に憧れるのだが、何とお蘭は、直次郎をテロリストにしてしまう…こういう作品が、明治期に、樋口一葉の手によって描かれていたのが面白い。現実に疲れ、その中でも創作活動に専念した一葉の、「見果てぬ夢」だったのだろうか。

 舞台には残念な点がいくつかある。幕が開いてから30分近く、舞台には必要以外はわずかな灯りしか差さない。時として役者の顔も判別しがたいほどで、これはいかにも勿体ない。闇夜であればこそ、白昼の眩しいような光の中で繰り広げられ、暴かれる人の心のドラマを観たかった。そこにこそ、「暗く深い闇」が口を開けているはずだ。また、幕切れに現代へ結びつけるために、映像が挟まれる。ここで舞台が十分近く伸びてしまうが、この場面はなくもがな、で、もっと象徴的に終わらせることもできるし、工夫の余地は充分にあるところだ。最近、こうした現代的な映像を使う舞台が割に多いが、私はこの手法は採らない。なぜなら、劇場を一歩出れば、どこにも溢れかえっている「日常」だからだ。せっかく明治の「非日常」の世界へタイム・スリップさせてくれたのであれば、そのままの余韻を味わいたかった。

 この舞台で一番成功だったのは、おかしな「脚色」をせずに、原文を尊重し、あくまでも「構成」としたところだろう。それによって、役者が発する明治の文体の美しさが生きた。これは成功である。特に、横山通乃の朗唱術の美しさには驚いた。江戸でも大正でもなく、明らかに「明治の言葉」である。一葉の文章が持つ骨太な美しさ、とでも言うべきものがくっきりと描き出せた。巷で流行っている陳腐な朗読劇など、どこかへ飛んでしまうほどの技術だ。他の三人と比べても、明らかに群を抜いている。役者の教養というのであろう。その中で、一瞬伝法な口調に切り替わるところも見事だった。役者が科白を朗唱する、ということの大事さを、演じる方はもとより観客も疎かにしがちな時代にあって、これは評価すべきことだ。もう一つは、衣裳と装置の工夫が活きている。小劇場の芝居にありがちな、発想だけで実が伴わない貧相なものではなく、奇抜な発想がキチンと活きている。

 流山児★事務所の塩野谷正幸、テアトルエコーの重田千穂子、和泉流狂言師の三宅右矩という個性的なメンバーを集めたのも面白い。所属や携わっている分野など、どこにも共通点のない役者達だが、強いて言えば役者としての体臭に共通点があると言えるだろう。それぞれの世代でアヴァンギャルドを生きている役者を選んで来たかのような印象を受けた。塩野谷には安定感があり、重田には突飛な部分がある。そういう個性で言えば、若い三宅が一番おとなしく、まともに見えるのも面白い。

 勝手なことを言えば、芝居は荒唐無稽の一言に尽きる。一方、小説は「文学」だ。その二つの間を漂っているのがこの作品のような気がする。どちらか一方に偏ることなく、二つの交差するテリトリーを往来するところに、この舞台の面白さがあるのだろう。今まで、シアターχではあまりよその劇場では取り上げない芝居を演じて来た。その分、当たりはずれも大きかったが、今回の舞台は「当たり」に属すると言えよう。

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2010. 1.22掲載

新橋演舞場初春花形歌舞伎 昼の部 2010.01 新橋演舞場

今年の四月に改築のため閉館が決まっている歌舞伎座とそろってお正月に歌舞伎の幕が開き、賑やかなことだ。こちらは海老蔵、右近、獅童などの若手を中心にした花形歌舞伎。別れを惜しむ歌舞伎座に負けないぐらいの大入りである。昼の部は「寿曽我対面」「黒塚」「春興鏡獅子」と三本が並ぶ。「黒塚」と「鏡獅子」の二本が共に長唄の舞踊で、いささか狂言が「つく」嫌いはあるものの、若い才能が奮闘している。  

「寿曽我対面」。今まで、昭和の名優をはじめ幾多の大幹部たちが演じて来た舞台を想うと、舞台に隙間風が吹くように感じるが、過去のものばかりを追っていても仕方があるまい。現に、今この舞台で演じている若い役者たちが、今後の歌舞伎を担っていくのである。それを、芸歴何十年というベテランと比較をして、細かいことをあげつらってもさして意味はないだろう。もちろん、大先輩が工夫を重ねて今まで築いて来た芸を学ぶ必要は絶対にある。その上で、市川猿之助一門が多いこの一座で、これからの歌舞伎をどう考えるのか、彼らの視点でどう創って行くのか、そこにこの花形歌舞伎の若い一座の意味があるのだろう。工藤祐経は右近。科白がいささか籠もり気味に聞こえるのが難点である。口跡は悪くないし、メンバーの中では適役なのだから、それを活かした方が良かっただろう。獅童の曽我五郎、役の勢いは買うが、そこの部分だけが先行気味で、見得の形が綺麗に決まらないことや、科白が聞き取りにくいところがある。こうした問題を、一つずつクリアしてゆくことが今後の課題だろう。笑也の曽我十郎は、女形の部分が勝ちすぎてしまい、もう少しきっぱりしたところが欲しい。猿弥の小林朝比奈が、仁に合っている。お正月にはつき物のめでたい芝居で昼の幕開きは悪くない。  

「黒塚」。右近が初役で勤める師匠・猿之助の十八番である。猿之助が病に倒れて以来、観ることができなかったものだけに、愛弟子の右近が猿之助の当たり役をどう継承するか、興味のあるところだ。結果を先に言えば、初役ながら上々の出来である。「猿之助写し」とでも言おうか、相当細かい部分まで猿之助の風を漂わせており、この演目に賭けている意気込みがよくわかる。歌舞伎の世界では、先輩に教えてもらった芝居は、まずはその通りに演じ、次回からは自分なりの工夫を加えるのが礼儀という習慣がある。そういう意味では、猿之助の芸の多くを引き継ごうという意志が良く現われた「黒塚」だった。ただ、難を言えば、張り切りすぎて元気一杯のあまり、時として「老女岩手」から離れてしまい、「男」になってしまう部分が散見できた。これは、今後の課題だろう。身体が良く動くので迫力があるが、その分、抑制と躍動のメリハリをもっときちんと付ければ、さらに良いものになっただろう。師匠から弟子へ、こうした形で名作が継承され、やがて右近が自分なりの「黒塚」を創り上げる日が来るだろう。そのスタートラインとして、という意味ではまずまずだった。  

市川海老蔵の「春興鏡獅子」。私が思うには、この舞踊の眼目は、勇壮な獅子の後ジテよりも、小姓弥生で踊る前ジテの方が遥かに難しい。そこに一抹の不安はあったが、予想していたよりも良い出来だった。体格が良いだけに女形はいささか、とも思ったが、時折振りが大ぶりになる他は、これと言った傷もなく演じおおせた。二枚扇のくだりなども、扇の扱いに変に気を取られずに、さらりと見せるのが良い。後ジテの獅子の精の迫力は、まさに海老蔵の面目躍如と言ったところで、華麗で勇壮な獅子の踊りを見せる。獅子の毛を振る所作や舞台を大きく使って踊る獅子の精に、満場は喝采である。ずいぶん前に、父の市川団十郎が踊った「鏡獅子」を想い出した。  

私が、今回の舞台で感じたのは、市川海老蔵の「覚悟」である。夜の部では、市川猿之助の当たり役で人気狂言の「伊達の十役」を演じている。こちらはまだ観ていないので批評はできないものの、市川猿之助一門と一緒に一カ月興行の幕を開け、自らがリーダーシップを取って今までにないものに挑戦して行こうという意気込みに、彼が今後歌舞伎とどう対峙してゆくのか、という決意と覚悟を観た想いである。芝居の細かな点をあげつらえば、まだまだ足りない部分はある。それは先の右近と同じことで、これから自分が勉強をし、身につけてゆけば良いだけの話だ。

昨年の七月の歌舞伎座で、玉三郎と共に猿之助一門との奮闘公演を行ったが、彼が歌舞伎の宗家・市川団十郎家の後を継ぐ役者として、真剣に歌舞伎と対峙し、考えていることがその公演でもわかった。もちろん、いくら海老蔵が覚悟を決めたところで歌舞伎は一人ではできるものではない。しかし、今の海老蔵には同世代で切磋琢磨できる染五郎や愛之助、孝太郎や菊之助などの好敵手があちこちにいる。それに加えて、父の団十郎をはじめ、幸四郎、菊五郎、仁左衛門、勘三郎など、彼がこれから演じるであろう役を演じて来た先輩達も健在で現在の歌舞伎界を懸命に牽引している。そういう意味では、今が、またとない修行のチャンスだ。この機会を活かして、次の世代の歌舞伎を牽引するメンバーとしての活躍を期待したい。

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2010. 1.22掲載

細雪 2010.01 明治座

谷崎潤一郎の名作「細雪」。大阪・船場の旧家の四姉妹を中心に絢爛豪華に、また時代の変わり目と共に描いた名作は、舞台化されて四十四年になる。今回で三十二回目の公演となり、その間にキャストを何回も変えながら、上演回数が千三百回に達するという。和物の大劇場演劇の作品で、こういう上演の形態を続けている作品も珍しいとも言えるだろう。「放浪記」の森光子のように、単独主演という形ではなく、ある時期が来るとメインの四姉妹を変えて新たなキャスティングで上演をする。顔ぶれが変わらないことに安心感を覚える芝居もあれば、顔ぶれが変わり新鮮な感覚で観られる芝居もある、ということだ。  

今回四姉妹を演じるのは高橋惠子、賀来千賀子、紺野美沙子、藤谷美紀。この顔ぶれでの上演は今回が初めてとなる。私がこの芝居を初めて観たのは昭和五十九年の東京宝塚劇場で、四姉妹は淡島千景、新珠三千代、多岐川裕美、桜田淳子だった。それから二十六年の間に、十一組の四姉妹がこの芝居を演じている。煩雑になるのでそのメンバーを列挙することはしないが、東宝が生み出した芝居のうち、立派な古典の一つになったと言えよう。  

昭和十二年から十四年にかけて、江戸時代から続く大阪・船場の木綿問屋・蒔岡商店の没落と変遷を描いたこの芝居、どこかチェーホフの「桜の園」を思わせる。原作者の谷崎の頭の中に「桜の園」があったかどうか知らないが、芝居の重要なモチーフとなるのも大きな桜である。もっとも、谷崎がそんな短絡的な発想でこの作品を書いたとは思えない。昔から歌舞伎とシェイクスピアが対比されるように、そうしたものが「作家の運命」の中にはあるのかも知れない。  

この芝居を観るたびに感じるのは、四姉妹が実に巧みに描き分けられていることだ。時代遅れと言われようが船場の旧家の誇りを第一に生きる長女の鶴子、一番バランスが取れている次女の幸子、いかにも旧家のお嬢様育ちの雪子、末っ子でおちゃっぴいの妙子。この四人がそれぞれに問題を抱え、繰り広げていくある意味大時代なホームドラマは、今はもう壊滅状態に近い「家制度」がまだ厳然と残っていた時代のものである。それを、単に「古き良き時代」であるとひとくくりにすることはできないものの、こういう時代の感覚が、かつての日本に存在していたことを考えると、わずか七十年という時間の中での日本のいろいろな意味での劇的な変化を感じざるを得ない。この芝居が指示され続けているのは、実際の体験は持たないまでも、そうした時代に対する観客のノスタルジックな想いの一部や、緩やかに時間が流れていた時代への憧れなどの感情がないまぜになって投影されているからではないだろうか。  

この芝居の見せ場は、美女の四姉妹が見せる豪華な衣装である。今は、和服の展示会でもなければ目にすることのできない美しく、品のある和服姿は、観客のどよめきを誘う。美女がまさに「妍を競う」ばかりの艶やかさは、この芝居の大きな見どころだ。特に幕切れ、満開の桜の中、晴れ着を着て歩く四人の姿には観客からため息がもれていた。いかにも「お芝居を観た」という気にさせる豪華さである。ただ、気になったのは舞台装置の重厚感がいささか薄れて来て、船場の旧家の古色蒼然とした味わいや芦屋の邸宅の重厚感が今一つ伝わって来ないこと、もう一つは、戦前の船場の言葉とは思えない、現代の言葉で話している役者がいたことだ。テレビの時代劇などでも、目を閉じて聴いていると全く現代の科白に聞こえることがしばしばあるが、個々の役者の科白の調子や時代色がだんだん希薄になっているのは否めない。  

今回が四回目となる鶴子の高橋惠子が、古臭く、誇り高い船場の御寮人を、わざとらしくなる手前でキチンと止めて演じている。蒔岡家という旧家の象徴の一つでもある桜の大木と鶴子自身が重なるような印象を与えた。今回が五回目となる三女の紺野美沙子が次いでいい。役の雰囲気に合ったおっとりした空気を身にまとっているのが良い。四女の妙子に恋焦がれる「啓ぼん」の太川陽介、啓ぼんの元の使用人の板倉の新藤栄作、この二人はここ十年ほど変わっていないが、すっかり役のイメージを作り上げた。橋爪淳の品の良さもこの作品に良くなじんでいる。新陳代謝する女優と固定化する男優、どちらの方法がより適切なのか、は観客の判断だろう。  

時代の変遷のスピードが異常に早い中で、変わらないものもあれば、やむを得ず変わるものもある。変わるものに対しては懐古や想い出が美しくつきまとっている。「細雪」は決して単なる懐古趣味によるものではなく、原作にどっしりと描かれている「時代に遅れながらも生きている人々」の姿がある。だからこそ、半世紀に近い間繰り返し上演されるのだろう。作品の魅力、というものを改めて感じさせる芝居である。

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